一月二日 初夢

 その年の初めに見る夢。

 江戸時代以前は大晦日から元旦にかけて見る夢のことを初夢と呼んでいたようだが、現在では元日から二日にかけて見る夢のことを初夢と呼んでいるそうだ。


 夢の内容でその年の吉凶を占うという中国由来の風習が元になっているといわれているが、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人、西行法師の歌にも既に「初夢」は詠まれていたりする。

 それが、「年暮れぬ春来べしとは思い寝にまさしく見えてかなふ初夢」という歌だ。

(その年が暮れて春よ来いと思いながら寝ると、春の夢を見た。目覚めてみれば、春のような朝だった)


 この場合、旧暦の正月なので季節は二月頃だったと思われるが、かすみたなびく春を思い描いて眠ると、翌朝起きたら本当に霞たなびく光景が広がっていた。願っていると叶うって本当なんだなあという感じの歌だ。


 平安時代末期には「初夢」の概念が日本にも浸透していた様子が窺える。

 ただ、本家と少し違うのは、どうやら日本では「見たいもの、得たいものを思い描いて夢に見ると現実に叶う」という捉え方をしていたらしい点だ。

 一種のプラシーボ効果みたいなものだろうか。


 時代を下り、江戸時代には初夢に出てくると縁起が良いとされている「一富士二鷹三茄子」が登場している。

 一説には徳川家康が好んだものとも言われているが定かではない。あくまでも一説という話である。


 富士は日本一の山であることから、高い目標と立身出世を連想し、また「ふじ」と「無事」を掛けているそうだ。


 能ある鷹は爪を隠す——とコトワザにもあるとおり、鷹は賢さと飛躍の象徴、また優雅に飛ぶ様から気品や誇りなども暗喩しているという。


 茄子は「成す」に転じて物事の達成を指しており、子孫繁栄や家内安全といった意味合いも含んでいるそうだ。


 実はこの縁起物にはまだ続きがある。

 それが「四扇五煙草六座頭」と言われている。


 扇はその形状から末広がりを意味しており、煙草はその昔、酒とともに祝い事に欠かせないものとして扱われていたことに由来する。

 そして座頭は盲目の法師を指す言葉だが、とりわけ琵琶奏者をピンポイントで指していたそうだ。

 法師=坊主頭=毛がない=怪我ない——という連想ゲームの集大成だ。


 以上を踏まえてとりあえず、初夢は「見たいものを見るのが吉」だと捉えて心安らかに眠るのが一番である(結論)

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