六月十六日 和菓子の日

 かつて六月十六日に和菓子を食べて疫病退散、健康祈願をしていたという。

 江戸時代頃までは広く普及した重要な行事であったそうだが、その大元となった出来事は承和じょうわ十五年(西暦八四八年)の改元であったとされる。


 世は波乱の平安時代前期、承和期の日本は慌ただしい。


 承和元年、藤原くんを遣唐使に選んでみた。

 承和二年、初めて貨幣を作ってみた。(承和昌宝)

 承和三年、藤原くん、渡航に失敗。

 承和四年、彗星飛んできた。(藤原くん、また渡航に失敗)

 承和五年、伊豆諸島噴火した。(藤原くん、渡航失敗したくないから小野くんの船ぶん取った)

 承和六年、また彗星飛んできた。(藤原くん帰ってきた)


 一年空けて承和八年、信濃と伊豆で大地震発生。(フォッサマグナが荒ぶっている)

 承和九年、承和の変。(伴氏、橘氏 VS 藤原氏戦で最初の流刑者を出す。藤原くんが政権牛耳るために荒ぶっている)


 また、承和期間(わずか十五年足らずの間)に淳和上皇と嵯峨上皇が立て続けて崩御しており、世間にはじわーっと疫病が流行していたという。

 そこで御神託により承和は十五年目で改元される運びとなった。

 新元号は「めでたいしるし——嘉祥かしょう」である。本来なら承和の十六年目となるはずであったが、ともあれ十六の数に因んだ菓子や餅を神前に備えて疫病退散、厄除け招福を祈願したのが由来とされる。


 以後、六月十六日に厄除け健康祈願として餅や菓子を食べる習慣が根付き、それを「嘉祥」と表現するようになったそうだ。しかし近代化の流れを受けて明治以降はその習慣が廃れていった。

 そのことに危機感を覚えた全国和菓子協会が、昭和五十四年(一九七九年)に和菓子文化の伝統と継承を目的として六月十六日を「和菓子の日」に制定して今日に至る。


 効果の程はさておき、げんを担いでたまには和菓子を口にするのも気分転換になって良いのかもしれない。私はこれを書きながら今、猛烈に水饅頭が食べたい衝動に駆られている。

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