五月十五日 犬養毅が暗殺された日(五・一五事件)

 昭和五年(一九三〇年)、世界中の資本主義国がアメリカ発世界恐慌のあおりを頭から被っている真っ最中、日本も例外ではなく苦境にあえいでいた。


 次々と企業が倒産し、失業者が溢れ、市民の懐事情も厳しいが、(勝ったはずの)日露戦争で莫大な借金を抱えた国の財政も相当に逼迫ひっぱくしていた。


 そんな最中イギリスで、WW1第一次世界大戦戦勝国間で「ロンドン海軍軍縮条約」が締結された。平たく言うと、「戦艦多くね?(戦争勝ったし)みんなで減らさね?」ということだ。

 日本としては国費を捻出するため、また国際協調の一環として(主に海軍の)軍事費を削減することになった。これに対し、軍内部では一定の理解を示す賛同派と、強固な反対派に二分される事態となる。


 ただでさえ国民は貧乏に拍車をかけている状況だ。不満が政党政治や大金持ちに向いている中、一部の過激な民間人と軍人が結び付く。


 因みに、犬養いぬかいは軍縮条約には否定的な立場であった。条約締結を推進した政権下で交渉を担当した若槻禮次郎わかつき れいじろう(その後、第二次若槻内閣発足)と対立する。

 しかし、過激派のターゲットとされた若槻内閣は一年足らずで解散してしまい、次に発足したのが犬養内閣だ。


 そして、ターゲットを失った過激派は、どうしたわけか犬養内閣をロックオンするのである。

 昭和七年(一九三二年)五月十五日。

 過激派グループは同時多発テロを展開する。


 第一グループは総理大臣官邸を襲撃(犬養毅いぬかい つよしを銃殺)。

 第二グループは内大臣ないだいじん官邸(現在でいう宮内庁外局)を襲撃。

 第三グループは政権与党(立憲政友会)本部を襲撃。

 便乗した第四グループの大学生が、三菱銀行を襲撃。

 さらに第一から第三グループが合流し、警視庁を襲撃。

 そして別働隊民間人が複数の変電所を襲撃し、首都圏が停電する事態となった。


 実際のところ、犬養毅襲撃には、いくらか動機不透明な部分があり、さまざまな陰謀憶測が飛び交う。歴史ミステリー枠でカクヨム心をくすぐられる胸熱題材だ(持論)。

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