三月二十八日 楼蘭が発見された日
ペルシャから中国、果ては日本へと続いていた大陸横断大物流網シルクロードの要所として栄えた都市国家だ。
古代中国後漢との間に紛争が続いていたが、紀元前七七年頃、最終的に楼蘭王が死去したことで(後継者が次々に後漢の人質にとられて刑罰を受けたりしてたよ)都は属国扱いとなり
この楼蘭という表現の元々は、クロライナ(あるいはクロレン)という当時アケメネス朝ペルシャの支配下にあった西北インドの統一文字(カローシュティー文字)が由来の音読みであるらしい。
一説によると七八〇点を超えるカローシュティー文書が楼蘭の遺跡から発掘されているそうだ。
博物館等に来日経験のある「楼蘭の美女」として有名なミイラは、ここで発見されている。衣類の炭素年代測定の結果、紀元前十九世紀頃の人物だと推定されているという。(日本の場合は旧石器時代くらいかな?)
明治三十三年(一九〇〇年)三月二十八日、スウェーデン人探検家であり地理学者でもあったスヴェン・ヘディンらによって砂漠の廃墟に埋もれていた古代都市国家楼蘭は発見された。
それに因み三月二十八日は「シルクロードの日」とされている。
このシルクロードという表現も、ヘディンらの著書のタイトルに用いられ、それが英訳されたもの「ザ・シルクロード」が元で定着した呼び名だという。
ヘディンの師であったドイツ人地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン(撃墜王じゃない方のリヒトホーフェンさん)が明治二十年(一八七七年)に発表した著書において、大陸横断大物流網のことを「ザイデンシュトラーセン(=絹の道)」と表現したものを弟子が踏襲した形で世に広まったそうだ。(ドイツ語、無駄にカッコいい)
紆余曲折あれど一時代を築いた古代都市国家だったが、衰退したきっかけは自然現象だという。
楼蘭を支えていた貴重な水資源「彷徨える湖」との異名を持つ砂漠のオアシス「ロプノール」が干上がったのと時を同じくして楼蘭は姿を消した。
四世紀頃のことだという。
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