三月二十九日 八百屋お七の日

 天和三年(一六八三年)三月二十九日、三日間の市中引き回しの末、鈴ヶ森刑場(現在の東京品川区南大井あたり)で処刑されたお七の命日。

 落語や歌舞伎、浄瑠璃等でも有名な演目の一つである丙午生まれの八百屋お七の名前は一度は耳にしたことがある人も多いだろう。


 前年の江戸大火(天和の大火)で焼け出されたお七一家の避難所(寺)生活で、寺小姓の青年に恋をしたお七が避難明けで元の生活に戻ってのち、二目会いたさに再び江戸の町に火をつけて火事を起こそうとした騒動だ。

 実際は小火ボヤ止まりですぐに消し止められたがその行為は当時の極刑に値した。

 捕らえられたお七だったが、当時の法律では十八歳未満ならば極刑を免れることができるため、そう取り計らおうとした奉行に対して、お七は正直に十八歳であることを認め、結局死刑が確定したというバッドエンド物語である。


 しかし、当時の死刑執行記録からは、そもそもそれを裏付ける資料が見当たらないらしい。

 お七がそもそも八百屋の娘だったのか、助命救済措置としてのやり取りがあったのかさえ定かではないというのがこんにちの研究結果であるらしい。

 疑う余地のない点だけを洗うと、「お七という女が火付け行為をした」ということは間違いないようである。


 このお七の物語が最初に世間に発表されたのは、処刑から三年後あたりのことだという。

 御当代記(戸田茂睡)や天和笑委集(作者不詳)あたりは喫緊の数年以内に出版されたものだとされているし、お七の死後七十年以上経って出版された近世江都著聞集(馬場文耕)などでもお七の物語は史実を元にした限りなくノンフィクションな作品とされている。


 しかしこれらの本も曖昧な部分が多く、エンタメ性を強調した感が否めない。歌舞伎や浄瑠璃のような見せ場を重要視する作品では、お七は振袖を着て火の見櫓の梯子をよじ登ったりするが(火事でもないのに櫓に登ったり鐘を打ったりする行為も重罪だったらしいよ)、落語など耳で聞くエンタメではお七は実際に火付けを行い捕まっている。

 そして肝心のお七の片恋相手の名前や所属していた寺名なんかも作品によって異なるのは意図的なのかと疑りたくなるボカシ方だと思う(個人の主観)


 当時としてもセンセーショナルだった十八歳の少女(当時の十八歳を少女というのは語弊があるが、当時の認識でも若気の至りと思ってもらえる年齢ではある)が起こした拗らせ恋愛観による放火事件——丙午生まれの女はヤバイという認識を世間に植え付けた事件でもあったそうだ。

 ある意味メンヘラ女子(暴言)だったお七は、現代でもオマージュ作品が散見される破滅型女主人公として人気を博している系女子だ(持論)

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