九月十日 カラーテレビの放送開始

 日本で初めてのテレビ公開実験が行われたのが昭和十四年(一九三九年)のNHKだったという。そこから戦中の一時中断期を挟んで本格的にテレビ放送を開始したのが昭和二十八年(一九五三年)なのだが、この時はまだ映像はモノクロであった。


 そこからわずか七年後、昭和三十五年(一九六〇年)にカラーテレビが登場する。

 アメリカ、キューバに続いて世界で三番目のカラーテレビ導入国が日本なのである。(ただし、カラーテレビの発案と実験はイギリスが初)


 四年後に控えている東京オリンピックを万全の状態でカラー放映したいという執念が感じられるというものだ。そして、戦後復興をガッツで頑張っていたこともそこはかとなく窺える。

 もっとも、当時は「カラーテレビ」とは表現されていない。

 日本でお目見えした当初、この受像機テレビは「総天然色テレビジョン」と呼ばれていたそうだ。

 何でもカナカナ和製英語と省略表現が溢れる昨今の風潮を鑑みると、一周回ってむしろ新鮮に感じる語彙力だと思う。(個人の感想)


 しかし、爆発的に売れたかというとそうでもない。高価であったこともさることながら製造メーカーが一社しかなく、放送局もNHK、日テレ、TBS、フジの四社でせいぜい三十時間程度の放送時間だったようだ。

 転機はやはり、オリンピックだった。

 安定的なカラー中継規格が定められ、受像する画質の改善がなされ、生産メーカーが増えれば生産台数も当然増え、市場が活性化されれば次々と高性能テレビが登場する。

 パナカラー(現パナソニック)、キドカラー(現日立)、トリニトロン(現ソニー)、サンカラー(現三洋)、純白(現JVCケンウッド)、ロングラン(現シャープ)、ダイヤトロン(現三菱)等々、こんにち一部上場企業に名を連ねる大手が揃い踏みである。


 時代が薄型テレビに移行していくのは二〇〇〇年代に入ってからだ。

 テレビリモコンなど無かった時代、チャンネルは物理的に「回す」ものであったし、一家に一人は「テレビを平手打ち(あるいはチョップ)」して不具合を直す達人が居たものだ。

 あれ、精密機器って何だっけ? という昔懐かしい昭和の光景である。

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