十一月十四日 ライオン宰相、凶弾に倒れる。
一日平均九十万人以上が乗降しているといわれている東京駅。
その駅構内、八重洲口中央付近、新幹線改札口にほど近い場所にある白い円柱の側面に掲げられた黒いプレートには、こう記されている。
「浜口首相遭難現場」
※ 広い東京駅で迷子になったわけではない。
今からおよそ九十年ほど前、この場所で時の首相が銃撃された。
白いタイル床の敷き詰められた駅構内に一枚だけ、少し赤みがかった茶色い菱形が
狙われたのは、立派なひげをたくわえた黒縁メガネの厳しい風貌、豪胆な気性から「ライオン宰相」の愛称で国民人気の高かったといわれる第二十七代内閣総理大臣、
首相に就任したのは一九二九年——。
第一次世界大戦の勝利による好況はすっかりとなりを
財政の立て直しが目下の課題なのだが、濱口は金輸出解禁(=金本位制に復帰。ただでさえ不況のどん底なのに円高レートで金と貨幣の価値を同じにする為替統一やっちゃったよ。で、金が大量に国外流出しちゃったよ)や緊縮財政を推し進める傍ら、国際的にはロンドン海軍軍縮条約を締結(実務者レベルでは
戦争より経済。
自国ファーストより国際協調——という考え方そのものは間違いではなかったはずなのだが、振り返ってみれば、GDP成長率は一パーセントそこそこ(=ほぼゼロ成長)。
国際協調路線で(主に海軍の)軍事費を削減したものの、国内は軍拡路線だったため、ほぼほぼ軍部の総スカンを喰らう始末だ。
この時、特に軍縮に表立って反対していたのが
そんな世相で事件は起きた。
昭和五年(一九三〇年)十一月十四日、午前八時五十八分。
軍事演習視察のため神戸行き特急列車に乗車するべく東京駅を訪れた濱口は、とある右翼活動家(軍のトップは天皇陛下やろ → 軍縮 → 勝手に何してんねん
→ 処すという極端思考の
三〇パーセントもの腸を摘出する大手術を乗り越え一命を取り留めはしたが、術後の病身をおして、がちゃがちゃ言う野党の要求に応じて登壇を続けるうちに体調は悪化し、結局退陣を余儀なくされ、翌年、六十二歳で没することになる。
あのぉー、一国の首相でしょ? SPどうなさった?
何と、濱口は経費削減で自らのSPも減らしており、それがこの凶行が防げなかった一因だとも言われている。
「政治が道楽であってたまるか。命懸けでやるものだ」
「(暗殺もまた)男子の本懐である」
これらは濱口の名言とされているが、ある種の不器用なまでの真面目実直さが窺えるというものだ。
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