六月二十八日 第一次世界大戦きっかけと終結の日

 大正三年(一九一四年)六月二十八日。

 北米カナダでは「労働環境改善するで! 労災認定するで!」と法整備して「移民さん、いらっしゃーい」と国政に勤しんでいた頃、大西洋を挟んだお向かい、ヨーロッパ大陸の東の端の方で殺人事件が起きた。


 殺されたのはオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇位継承者(皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の甥っ子)で、エスターライヒ・エステ大公のフェルディナントさん(五十一歳)。

 本名フランツ・フェルディナント・フォン・ハプスブルク・ロートリンゲンさんは、この日、軍事視察目的でサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。オスマントルコからぶん取ったから、当時はオーストリア領だったよ)に入り、とある民族主義的テロ組織の標的にされた。

 計画は幾重にも練られていたようだが、最終的にオープンカー上で狙撃暗殺となった。


 元々、この辺りの小さな国々にはセルビア人が広く分布しており、セルビア王国(ベルリン条約でトルコが手を引いたから一応国になったよ)を中心に「大セルビア国」を作りたいという構想があったそうだ。

 そこにヨーロッパ最大級の大帝国がドーンとはす向かいからやってきてトルコに代わり新しい親分になったものだから、「お前誰やねん、帰れや!」と反感を持つ者が一定数存在した。

 初めは大帝国と仲良くしていた王様も、世代を交代するごとに関税摩擦(俗に豚事件と呼ばれている)などで険悪ムードになっていく。


「やったるわ!」

 ズドーン。

「やったったわ!」


 それが今から一世紀以上前の本日起こった出来事である。

 当然、親分ハプスブルクさんは激おこである。

「お前ら処す」

 要するに問答無用の最後通牒をセルビア側に叩きつけた。


 両国間は一気に緊張状態になり、それぞれがヨーロッパの国々を支援要請という形で巻き込んだ。

 これが第一次世界大戦のきっかけとなった「サラエボ事件」である。

 とある夫妻の死が国境を跨ぎ、あっという間に世界中に飛び火して起こった戦争だった。(日本も日英同盟の影響で、半ば場外乱闘のように参戦している)


 敵味方をばっくり分けると、英仏露日 VS ドイツ・オーストリア・オスマントルコ・ブルガリアという構図である。

 (ヨーロッパの敵味方は伝統的に義理人情よりも場当たり的な利益優先というのがよく分かる。クリミア戦争時は、概ね同じメンツが敵味方シャッフルしている)


 これ以降、栄華を誇ったハプスブルク家は失権し皇位を返上して帝国は瓦解する。そして次代に台頭するのがナチスドイツなのである。


 五年後の大正八年(一九一九年)六月二十八日。

 敗戦濃厚となったドイツは講和を申し入れる。フランス・ヴェルサイユで調印されたこの条約こそが、悪名高い「ヴェルサイユ条約」である。


 フランスの「ぜーんぶ、お前が悪い」という丸投げスタイルにはズッコケるしかなかったドイツだ。

(無茶苦茶人員投入して、勝手に大損害出した弱小軍隊おフランスざんす)


 マルク紙幣が一兆というあり得ない桁になったウルトラハイパーインフレもこれがきっかけである。しかし、これで一応第一次世界大戦は終結したとされている。本日はそういう日だ。

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