十月二十六日 正岡子規が柿の句を詠んだ日

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」


 正岡子規がこの句を詠んだのは明治二十八年(一八九五年)十月二十六日のことだったという。

 実際に奈良を訪れて詠んだとも言われているし、病がちだった子規が病床で詠んだ句とも言われている。(明治期に活躍したこの人も、三十四歳で没した夭折近代文豪の一人である)

 無類の柿好きとして知られる正岡子規は、他にも柿の句を詠み残していたりする。


「柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな」

「渋柿や落ちて踏まるゝ石の上」

「奈良の宿御所柿くへば鹿が鳴く」

「渋柿や古寺多き奈良の町」

「渋柿やあら壁つゞく奈良の町」


 親友、夏目漱石によれば、「死んだら柿好きの俳句好きと言われたい」とまで残していたという子規。後世、望みどおり柿の句=正岡子規の構図が出来上がっている。

 もっとも、鎌倉時代以前の認識といえば柿=渋柿が一般的だったようだ。

 縄文時代から弥生時代の遺跡ではすでに渋柿の種が出土しているようなので昔から馴染みのある果物だったのだろう。


 因みに、日本最古の甘柿とされているのが「禅寺丸柿」と言われている。

 鎌倉時代前期、建保二年(一二一四年)王禅寺(神奈川県川崎市)のある星宿山山中で発見されたそうだ。その後、江戸時代から明治期にかけて栽培の最盛期を迎えているので、きっと無類の柿好きなら子規も愛食したことだろう。


 そんなわけで、十月二十六日は正岡子規の句と、元来、柿の旬であることに因み「柿の日」に制定されている。

 携わったのは全国果樹研究連合会カキ部会(略して全果連)とのことだ。(コロナ禍が叫ばれる以前、二〇一八年には第四十回全国カキ研究大会も催していたようである。早く大々的な活動再開ができるといいね)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る