六月二十六日 菅公さんが雷様になった日

 六月二十六日は雷記念日なんだそうだ。

 梅雨時期ということもあるし、季節柄、連日の天気予報を見ていても非常に大気が不安定になりやすく、突然雷雨に見舞われたりする時期だが、千年以上前の本日も大いに荒れていたようだ。


 時は延長八年(西暦九三〇年)六月二十六日、平安京は晴れ。

 日照り続きで農作物がヤバイと、やんごとなき方々が内裏だいりに集ってあれやこれやと話し合っていたところ、午後になって突然天候が崩れ雷雨になったという。

 雷雨になっただけなら良かったのだが、雷がドーンとやんごとなき方々の集う内裏(清涼殿)に落ちた。そして、政権を牛耳ってウハウハしていた藤原ブラザーズが落雷によって落命した。

 それを目撃した時の帝(醍醐天皇)もショックを受けて体調を崩しそのまま数ヶ月後に崩御した。


 亡くなったのが軒並み政権の中枢でウハウハしていた人たちばかりだったので、世間の人たちは思ったそうだ——「これ、菅公かんこうはんの祟りちゃうん?」


 そう、ただ政権の中枢でウハウハしていただけでなく、かつて右大臣だった菅原道真公を讒言ざんげんで追い落とし、真に受けて左遷した張本人たちだったのである。

 道真自身は雷事件のおよそ三十年程前に太宰府で没しているものだから、京の都では一気に「道真はん怨霊にならはった!」と恐れられたという。

 当時の日本は怨霊信仰ガチ勢だ。

 だから祟りは鎮めなければならない——と真剣に考えていた。

(じゃないと祟られっぱなしやん。それはイヤ)というわけで、まずは道真の左遷を撤回して官位を戻してから、上乗せして正二位を贈る。

 天慶五年(九四二年)のことである。


 それで様子をみていると、五年の間に縁もゆかりもない幼い子供たちが立て続けて同じことを託宣した。

 詳細には触れられていないが、「これで終いと思うなよ?」というニュアンスを感じていただければ十分だ。


 撤回して特進させるだけじゃあかんかったかあ……というわけで、本格的に道真を祀るための社寺の造営に着手する。

 当初、神宮寺と呼ばれていた。寺で祀っていたのである。これが天暦元年(九四七年)の出来事だ。


 その後、一条天皇がバリバリ道真の神格化を推し進める。

 社殿を大きく豪華にし、「北野天満宮」という名を贈り、じゃんじゃん特進させたので最終的に道真は死後、太政大臣にまで昇進している。

 言うなれば物言わぬ行政の長である……現代人にとってはシュール以外の何ものでもない。

 ここまでしてようやく菅公は表向き鎮まったとされる。

 氏子としても一安心だ。例え六月二十六日に雷が鳴ったとしても、「菅公はん、元気やなあ」と屋内でまったり一服する心持ちである。

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