一月二十二日 黙阿弥忌(河竹黙阿弥の命日)
カクヨムに身を置く以上、無視をしてはいけない日、その二十一。
幕末から明治にかけて活躍した俳人であり歌舞伎、狂言作者。生涯に残した作品は三百を超えることから、「日本のシェイクスピア」なんて呼ばれていたりもする。
比較的裕福な商家の次男として生まれたが、とにかく読本や芝居の台本が好きで、ろくに勉強も家業の手伝いもせずに読書に明け暮れていたそうだ。現代の感覚だと、ラノベや漫画、アニメ雑誌大好き少年といった感じだろうか。
度が過ぎるというので、親に勘当されたのは若干十四歳の時の話だ。
家を追い出されて、とりあえず貸本屋でバイトを始めるのだが、やっぱり読書ばっかりしていたという。
それが功を奏したのかは分からないが、非常に創作的思考が豊かで記憶力も抜群に良かったらしい。
例えば、歌舞伎十八番に代表される勧進帳(現代だとおおよそ一時間強くらいの上演時間)の台本などは丸暗記済だったという説もある。
転機が訪れたのは二十歳の時だ。
歌舞伎役者兼作者であり俳人でもあった某人に見出され歌舞伎の世界へ足を踏み入れることになった。この時出会った人物が誰だったのかは諸説ある。五代目鶴屋南北、四代目市川小園次、七代目市川團十郎等々、ここではあえて某人としておく。
歌舞伎役者として芸を磨きながら、台本書きの修行も重ねていったという。
役者としてはそこそこだったようだが、台本については若い頃からの読書量の賜物か、言葉選びのセンスが抜群に光っていた。
後世、「黙阿弥調」と呼ばれているのだが、小洒落た言い回し、枕詞、掛け言葉、独特の節回しは当時から高く評価されていたようである。
鶴屋南北の描く悪党が、太々しくて憎たらしい極悪ヒールの鑑(だからこそヒーローのクリーンさが際立つ)だとしたら、黙阿弥の描く悪党は小心者で小狡く立ち回ろうとして痛い目をみる感じの、何処か憎めない身近に潜んでいそうなひょうきんな小悪党という感じだ。
悪党なので、基本やることがえげつないのだが、それを観客にそうと感じさせないキャラクター作りが込んでいる。
有名どころで挙げると、「
明治十四年(一八八一年)、集大成として「島ちどり」を書き上げると引退を宣言したのだが、あまりの人気作者だったため、なんやかんや台本の手直しに携わっていたようである。
そして明治二十六年(一八九三年)一月二十二日、最後の作品となった「
この時、作品の総数は、のべ三六〇本を超えていたそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます