九月十二日 マラソンの日

 数あるオリンピック種目の中でも花形と言われるマラソン。

 四十二・一九五キロにおよぶコースをひたすら走るこの競技は、第一回オリンピックから脈々と続いている。

(当初は距離に関しては「だいたい四十キロくらいあればOK」という緩いルールだった)


 かつて、長距離を走ることは伝令に課せられた大事な使命であった。

 とりあえず、元になった故事を紐解くと今から二五〇〇年弱遡ることになる。


 時はだいたい紀元前四五〇年(ヘロドトスの歴史書による)九月十二日。


 古代ギリシャに数ある都市国家の一つ、アテナイ(現アテナ市)。

 エーゲ海に面した島々の集合体であるギリシャには、内陸国だけでなく海洋国家も多く存在し、アテナイもその一つであった。


 この頃、エーゲ海を含む地中海・中近東世界をブイブイ言わしていたのは、古代ペルシャ帝国(現イラン広域——西はエジプトから東はパキスタンあたりまで広く支配下に置いていたよ)だ。

 アケメネス朝時代のペルシャは、とにかく西を向いてはブイブイし、東を向いてはブイブイし、今度はちょっと左斜め四十五度くらいを見上げてブイブイし始める。

 その「ちょっと左斜め四十五度くらい」に位置していたのが古代ギリシャだ。(ばっくりとした世界地図だが問題ない)


 この頃のギリシャは、内を向いても外を向いても敵ばかりだった。

 イケイケどんどんの大帝国が攻めてくるというのに、アテナイはエーゲ海を挟んだお向かいさん、同じく海洋都市国家のアイギナとバッチバチの関係にあって、互いに掠奪行為を繰り返していたし、屈強な重装歩兵に定評のある陸軍国スパルタは王位継承問題を抱えて内紛状態に陥っていた。


 何のことはない、ペルシャ側からしたら「いつ攻めるか、今でしょ」という状況だったから、ギリシャは狙われたわけだ。

 かくして、カネにものを言わせる六百隻からなる艦隊、遠征兵推定二万という規模で、ペルシャはギリシャ圏へと侵攻する。


 その動きをいち早く察知したのは海洋国アテナイだった。

 本来なら、同じく海洋戦に強いアイギナと同盟を結んで海上でペルシャ軍を叩くのがセオリーだと思うが、そちらは無視スルーしてその向こう、プロタイアと組むことにした。


「ペルシャ来よるから力貸してや」

「おけ」


 この状況で素朴な疑問を呈さず、快く応じたプロタイアの処世術はさておき、アテナイは一応、俺TUEEE国家スパルタにも声をかけている。


 かくして、アテナイ兵およそ九千、プロタイア救援兵およそ六百(+多分スパルタ重装歩俺TUEEE兵およそ二千)からなる連合国軍(アテナイ軍指揮将十名有する)であったが、ペルシャは割と良い感じでギリシャ圏に駒を進めて、早々に上陸できている。

 その上陸を許してしまった土地が「マラトン(マラソン発祥地)」なのである。


「ちょ……っ、奴ら、もう来よったで!」

「俺TUEEEまだ来よらんけど !? 」

「どうする?」

「交代制で様子見よ」


 指揮権限を持つ将軍職が十名も居て、この体たらくである。

 かっぱえびせんも憤慨するであろう「決められない♪ 止められない♪」状態の連合国軍だ。


 そんな中、豪を煮やした将軍の一人がミルティアデスという。

 将軍回転寿司(待機&様子見)中に他を説得にあたり、自分の番が回ってきた時に奇襲作戦を決行する。


 敵軍勢の隊列幅に合わせて、横列を長く取り(その分中央縦列は薄くなる)、両翼に厚みを持たせて展開する。

 中央の弓兵部隊を射程距離までじわじわ前進させ、そこから一斉攻撃の開始であった。


 当然、中央の厚みがないことはペルシャ側も認識しており、中央狙いで猛攻撃を加えてくる。

 押し返されて後退する中央部隊が袋の底になり、突っ込んできた敵軍を厚みのある両翼が包囲し、分断する。

 分断した敵軍を閉じた両翼の厚みで前後挟み撃ちにし、後退できた敵兵は海へと待避し、袋小路に追い込まれた敵軍はことごとく殲滅された。


 この時の損害は、連合国軍のべ百九十人余りに対し、ペルシャ側は六千人を裕に超えたという。また、連合国軍は敵艦艇七隻ほどの拿捕にも成功している。


 そして、マラトンの地からアテナイまで、およそ四十キロにおよぶ距離(戦争となれば目と鼻の先だ)を全速力で走り切り、勝利エヴァンゲリオン(実際の発音は「エウアンゲリオン」らしい)を叫んだ伝令は直後、倒れて息絶えた。

 これが、最初のマラソンである。


 因みに、俺TUEEEが到着したのは二日後——この時には、全てが終わっていた。遅れてやってきたヒーローには活躍の機会が無かったのである。

 それでも、スパルタ・アテナイ間およそ二百キロを二日で走破した重装歩兵俺TUEEEの健脚は驚嘆に値する。(本当なら、そっから戦うわけだしね)


 現在、歴史研究が進みヘロドトス(紀元前四五〇年)説は、四十年ほど遡り実際の事変は、紀元前四九〇年ごろだったのではないかとされている。

 古代史は毎度新しい発見に溢れているから面白い。

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