一月二十七日 国旗制定記念日

 日本の旗を日章旗とすると定めた明治三年(一八七〇年)一月二十七日(新暦二月二十七日)、「太政官布告商船規則」を記念して、一般社団法人 国旗協会が制定している。


 同法人は「国を象徴する国旗の正しい理解と普及を目的」としているそうだが、元々は内閣府本府大臣官房管理室の所管だったもようだ。

 内閣府のアーカイブを覗くと、一応公式に天下りがいないことを確認している公益法人と報告されていた。はてさて。


 それはさておき、太陽をモチーフとする白地に赤丸デザインは平安時代には扇などの模様として既に存在していたようである。

 その後、鎖国体制化とはいえ徳川幕府時代、細々と限られた国々との交易に際して日の丸を貿易船に掲げたことで国旗として正式運用されるようになった。「日本惣船印」と呼ばれている。


 ただこれは、あくまでも商船用の国旗だった。

 幕府が倒れてのち、巷には様々な旗が「日本」として掲げられ諸外国から見ても非常にややこしい感じだったので、統一することになった。

 それが前出の商船規則である。

 ここで初めて規格とデザインが定まったと言われている。

 縦横比率七対十、日の丸の中心はやや旗竿寄りに描かれていたそうだ。こうして日の丸は商船以外にも軍隊や様々な場面で使用されるようになる。


 さて、戦後。

 現行の憲法になってから国旗の扱いはふわっとなってしまっていた。そこで平成十一年(一九九九年)法律第百二十七号として「国旗及び国歌に関する法律」が公布されることになった。

 毎度お馴染みe-gov法令検索によると、条文は至ってシンプルである。

 第一条には、「国旗は日章旗」とする。

 第二条には、「国歌は君が代」とする。

 という二点が明記されている。そして、この法律を施行したことにより、明治時代に公布された商船規則は廃止されることとなった。国旗の規格とデザインもマイナーチェンジされている。

 新法律では縦横比率二対三、円の直径は縦長の五分の三、中心は中央を取るようになり、白地に紅色と定められている。


 筆者が幼少の頃は、祝祭日になると家々の門や二階の窓に国旗を掲揚していたものだが、昨今そんな光景はめっきり減ったように思う。

 国旗を掲げる日を「旗日」というのだが、一応掲揚マナーというものがやんわりあったりする。

 例えば、「掲揚は日の出から日没まで(雨天は屋外には出さない)」とか、門扉のある戸建の場合などは「門から家に向かって左側に掲げる」とか、通常時の掲揚では「竿球と旗の間に隙間を作らない」とか「弔意を示すときは半旗(竿の長さで無理な時は喪章を旗の上に掲げる)」とか、そんな感じだ。

 豆知識程度に頭の片隅に置いておきたい。


 あと、海外の国旗については汚損破損などの行為は侮辱に当たるということで、刑法九十二条「外国国章損壊罪」なるものが存在している。

 間違っても踏んだり破いたりしちゃいけないのだが、良識のある人ならまずしない行為だろう。

 加えて、海外などでは自国の国旗に対しても同じように侮辱行為を法律で禁止している国がままあるのだが、日本にはなぜかないのである。

 この点については右派新聞の産経などは「なぜ法整備しない」と問題定義しているし、毎日や朝日などは「他国がやってるからって日本が倣う必要があるか」みたいな難色を示す論調であることも毎度のことだ。


 とはいえ、踏んだり火を付けたりする行為が「表現の自由」とは到底思えないので、そういう思考回路の方々とは距離を置きたいものである……。

 良い子は真似しちゃダメ絶対。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る