少女と彼女の真名の芽吹き 3

・美名……。段か! 魔名の段が足りないか?!」


 問いかけてきたハマダリンに、クミは大きくかぶりを振って返す。


「判りません! 判らないけど……、美名!」


 ネコが見上げた先、見慣れた少女の顔は苦悶くもんで歪んでいた。


「無理ならやめて、美名!」

「もういい、美名! 術を解け!」

「と……、解きません!」


 ふるふると震えながら、美名は拒否した。

 彼女には中断する気などはじめからなかった。どんな危険に陥ろうと、完遂だけを心に決め、この場に臨んだのだ。

 ハマダリンも、少女に何かしらの思惑があるのはうすうすと察していた。それは、「失敗したときに自らに不調が残ることを無自覚に懸念している」のだろう、と考えていた。それもあって、「返却」の確認をしっかりとさせたのだ。

 しかし、大師は見誤った。


(美名がこれほどまでの決心だったとは……! しかし、これ以上は!)


 行く先に輝かしいみちが広がる若人わこうどを、自らの転落に巻き込んではならない。この少女を道連れにしてはいけない。

 大師が手を離そうとすると、先んじて、相手が強く握り込んできた。


「離せ、美名!」

「離しません!」


 少女の震えが大きくなり、握るハマダリンの手とともにガクガクと揺れ出す。

 長い時間に、たったひとり。たったひとりで耐えてきたものを、今、目の前の少女と共有している。

 だが、他奮たふんの大師はこのような共有を望んではいない。


「離せぇッ!」

「ッ?!」

「キャッ?!」


 いくらか戻ったちからを目一杯に込め、ハマダリンは少女を突き飛ばした。

 丸椅子から転げ落ちる美名。

 しかしそれでも、少女は繋ぐ手を離そうとしなかった。引っ張られる形で大師も倒れ込み、クミとともに雪崩なだれこむ。


「もういいんだ、美名ッ! 私との約束を破るのか?!」

「私の魔名は……、『和』の魔名は! きっと応えてくれます!」

「美名ァッ!」

貴女あなたのために! セレノアスールのヒトたちのために! きっと援けになってくれます! なるんです!」


 顔を上げると、大師はヤヨイやルマ、周囲の者を見渡す。


「手を貸せ! 美名を離すんだ!」


 とりわけ強い目を向けられたのは、大師のじき弟子――ユ・ヤヨイである。

 しかし、気が弱い性格の少年は、師に命じられて駆け寄ってくるのではなく、平手をかざし向けてきた。


「ヤヨイ! 何の真似だッ?!」

「リン様、すみません! ヤ行・鋭気えいき強化!」


 他奮の詠唱で、少女の身体にほのかな光がまとう。

 「ヤ行・鋭気強化」。

 ヒトの精神を調ととのえ、気力を高める他奮術――。


「美名さんに私たちは託しました! リン様も託されたはずです!」

「バカ者がッ! 身代わりを託したつもりはない!」

「『ヒトを援けて自ら助かる』! たくさんのヒトを援けてきたリン様が、今度は助けてもらうんです!」

「ヤヨイッ!!」


 怒号強い大師であったが、次の瞬間、室内が眩しく瞬いた。

 取り巻いていたヤ行他奮の者たちが、それぞれに一歩、前に踏み出し、いっせいに平手を光らせたのだ。


「ヤ行・耐力たいりょく強化!」

「治癒力強化!」

「ヤ行・鋭気強化!」

「お姉ちゃん、がんばれ! リン様、がんばれぇッ!」


 ありとあらゆる他奮術を一身に受け、術が未修得らしい子どもらからは声援を送られ、少女は握る手をさらに強く引き寄せる。気が高ぶり、集中が増し、黒光こっこうが勢いづくなか、美名は感得かんとくする。


 セレノアスールと教区を導いてきたハマダリンの正しさが、ヤ行魔名の響きを集め、少女を通じ、大師へ還ろうとしているのだ。

 「ワ行劫奪こうだつ」は――いや、ワ行だけではない。すべての魔名は、ヒトとの繋がりがあってこそ。すべての旅路は、居坂いさかともがらといっしょに歩むもの。他者との融和を抜きにして、ヒトが生きることはできない――。

 今、この場にて、少女の真名まな――「和」の魔名が、真に芽吹いた。


「これだけの想い、無駄にできない! ワ行ッ! 響いてぇッ!」


 少女の叫びに、黒光こっこうがひと際に大きくほとばしる。大師と美名とクミとを中心に、膨らむように拡がっていく。瞬く間、劫奪の光は外光や他奮の光さえも飲み込み、室内を暗闇に染めた。

 しかし、それも一瞬のこと。全員の視界が暗転した直後には、黒い光は少女の小さな身体に吸い込まれるようにして消えていく。

 まもなく、元のとおりの人いきれの寝室に戻った。事態の転回の激しさに全員が茫然ぼうぜんとするなか、少女のうめき声だけが小さく響く。

 劫奪の黒光が消えた。「ワ行・物貰ものもらい」は完了したのだ。

 それはすなわち、ハマダリンの悪病を美名がもらい受けたことを意味する。

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