少女と彼女の真名の芽吹き 4

「無事か?!」


 誰よりも早く我を取り戻したハマダリンは、すぐさま少女の顔を覗き込む。

 腕のなかで美名は朦朧もうろうとしており、息を荒く吐いていた。身体が熱く、発汗があり、くぐもらせたせきが苦しげ。顔面は蒼白で、手先には震えがある――。


 大師自身、すでに自覚があった。

 自らの病は綺麗さっぱりなくなった。

 頭はハッキリと働き、いくぶんだるさは残るものの、腕も手も足も、思えばすぐに動かすことができる。喉の通りも快適。

 美名が完全に引き取ってくれたのだ。「不治の病」を。

 しかし、この病との付き合いが長く、それ以外にも様々な病状不調をてきた経験が豊富な他奮たふん大師は、少女を一見してすぐに判った。

 ――。


「ヤ行・治癒力強化! お前らも唱えるんだ!」


 大師の一喝を受け、忘我から返ったばかりの術者らもいっせいに平手を光らせる。

 ヤ行の眩しい光に包まれる小柄の少女。

 傍らの小さなネコも美名の手をとり、ハラハラして相棒を見守る。

 ほどなくして、大師の腕のなかで「無事です」とか細い声が上がった。


「ダイジョブ、美名?!」

「美名、無理には答えるな!」

「大丈夫です。大丈夫だよ、クミ……」


 ハマダリンは美名をあらためて覗き込んだ。

 応じるように、少女の紅い双眸そうぼうはしっかりと大師を捉えてきた。身体の震えはもうほとんどなく、顔色には赤味が差しだす。少女がもらい受けた病状は、


(やはり……)


「モノははっきり見えるか? 喉がつらくはないか?」

「はい……。今は、です」

「全力で走った、だと……?」

「はい」


 訊いている間にも少女の顔肌かおはだにはつやりが戻っていく。

 ついには、大師とネコから身を離し、美名はその場で立ち上がってみせた。その動作にもしっかりと芯がある。

 

「もう、本当に大丈夫……。ほら!」


 少女は見せびらかすように、その場で跳躍した。ブレずにまっすぐ跳び上がり、着地も膝を使って柔らか。音さえしない。ふらつきもなく、不調を疑う余地は、すでにどこにも見当たらない。


「な、治ったってこと……?」

「そうよ、クミ。きっと、大師様とみんなの他奮術がすごく効いたんだわ」


 少女はペコリとお辞儀すると、振り返って他奮術者らにも頭を下げた。


「大師様はお加減、どうですか?」

「あ、ああ……。これほどに快調なことは、久しぶりだ……」


 クミやヤヨイ、ルマや術者らにも、ようやくにして安堵の空気が流れる。

 大師と少女。ふたりは共に窮状を脱した。ハマダリンをさいなんでいた病は、美名にも残らずに消え去ったのだ。

 セレノアスールの英傑、ハマダリンの救済は成功した――。

 だが。


……)


 ハマダリンだけがただひとり、戸惑いを残す。


(確かに症状が出ていた。私の病は、美名に移っていた。それが、だ。私が術をかけるより早く、美名には。私たちの他奮術は、ただ、その快復をいくらか早めただけに過ぎない……)


 住人らに囲まれだした美名は、口々の称賛を受け、気後きおくれしてえくぼを浮かべている。黒ネコは相棒に駆け寄っていって、スルスルと肩のうえまで登ってしまった。

 ハマダリンは、そんなふたりから目を離せない。


(美名の回復力が尋常でないというのか? 客人まろうどのクミには何か、『神世かみよの力』があるのか? 私だけ……、特定の者にだけ害為す病種のものであったか?)


 ハマダリンの疑問は尽きない。

 しかし、室内でひとりだけ、いまだに晴れない顔をしていたため、注目を集め出したことに気付くと、大師は威儀を正して自らも立ち上がる。


「私にも問題はない。健勝けんしょうの至りだ」


 「おぉ」とどよめく室内で、大師は窓に向けて歩き出す。

 明言があったとおり、彼女の歩き姿にも憂うべきところは見当たらない。確固として地を踏みしめて歩む、凛然りんぜんさそのものである。


「美名も来い」

「え、あ……、はい!」


 少女の手を引くと、大師はふたたび窓辺に立った。美名も横に並ぶ。

 眼下では、少女がギョッとするほどに多くのヒトが見渡す限りにいて、どれも心配げな顔色を浮かべていた。

 数千に及ぶ瞳が、現れた大師と少女に注がれる――。


「終わった」


 ハマダリンの言葉が、海辺の朝に明瞭に響く。


「この才女により、施術は見事に成し遂げられた。ヨ・ハマダリンは旅路を支えられた。この可憐な・美名こそ、我らが今世こんせいにして初めて迎えた、ワ行劫奪の栄華ある大師だ!」


 人々は、一気に沸き上がった。


「私は、今この場、セレノアスールのともがらの前で誓おう。延伸えんしんされた旅路のあいだ……、いや、それだけではない。居坂の旅を終え、魂の旅に出ようと、幾世いくせいを経ようと! 美名大師を尊敬し、今日の恩寵を忘れはしない!」


 少女や大師の名を連呼し、たたえる声。

 少し淀みの残る少女の胸を叩くような、拍手かしわでの嵐。

 冬の晴天下に巻き起こる、歓喜歓呼――。


「あのぉ……。おおげさすぎじゃないでしょうか……」


 気恥ずかしさに頬を染め、美名は傍らのハマダリンを見上げる。

 大師は少女に顔を向けず、住民らに手を振ってやりながら、「なぁに」と笑った。

 

「ご覧のとおり、演出は過剰なくらいが観衆も喜ぶものだ。美名もほら、応えてやるといい」


 二、三の瞬きをすると、美名も外へと向き直り、言われたとおりに手を振る。

 これだけ多くのヒトから注目され、称賛の声をもらうこと。美名とて高揚してしまうのだろう、だんだんと手の振りは大きくなっていき、浮かぶえくぼも深まっていく。

 そんな騒然のなか、優れた聴覚がため、聞き取ることができた小さな声。すぐ隣から発せられた、小さな「本当に感謝する」の言葉。

 美名も小さく、「はい」と答えた。

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