演劇の町と大師の生い立ち 1
「スピンは何と言っていた?」
協力してくれたヤ行の住人らひとりひとりと言葉を交わし、
「ハマダリン様の復帰を喜んでて、すぐにでもお会いしたいと書かれておりました。ですが、病のことを打ち明けてもらえなかったのは、少し寂しいとも書かれてます」
「『寂しい』、か……」
寝間着から白
「
「返事はありません。でも、絶対に大丈夫です。そう言ってくれましたから」
少女とネコの前に立つと、ハマダリンは「ふふ」と可笑しそうに笑った。
頑健さを取り戻した
「そうは言うのに大都にすぐにでも向かいたいと望むのだから、心配なのだか、信頼なのだか、君たちの関係は複雑に絡み合うのだな」
瞬きを繰り返し、照れを隠す少女に大師はまたひとつ笑いかける。
「気分はどうだ? 吐き気や
「問題ないです」
少女の答えに「そうか」と頷くと、外套衣が
「スピンは……、いつのまにやら成長していたな。私が知る愛娘のままであれば、『
美名は、『てれび』の仕掛け人であるクミをチラと見下ろすが、小さなネコは少女の膝のうえで素知らぬ風を装っていた。
「あの……」
「……ン? どうした、美名?」
「ハマダリン様は『真名』に懐疑的なのですよね?
そこへ「違います」と割り込んできたのは、室の隅にいたユ・ヤヨイであった。
今回の一連の考案者である彼は、治療が終わってからもずっと居心地悪そうにしており、大師を待つ間、見かねた少女が「座られてはどうですか?」と促しても、こうして、師の帰りを待つように腰高棚の脇で立ち尽くしていたのである。
「その、教会本部への
「心配り、ですか?」
美名が小首を傾げたところ、ヤヨイは小さく頷いて返す。
「半年前、すでに病状の悪化を予見していたリン様は、こ教主様のお心を、自らのために騒がせたくないとお考えになったのです」
「フクシロ様の心……」
「はい。先代教主の
「ヤヨイ」
師の
「お前はつくづく、私を過大に見るものだな。そんな高尚な配慮は私にはなかった」
可哀想になるほどヤヨイがおどおどするので、美名もチラと様子を窺うが、ハマダリンは優しく微笑んだ顔のままである。
しかし、美名もまた、その笑顔が「怖いもの」だと直感し、ひと筋だけの冷や汗を流した。
「スピンを遠ざけたのは幼稚な心。ただのやっかみだ」
ハマダリンは、美名の視線にも気づいた様子のあと、「ふん」と自嘲気味に鼻を鳴らしてみせた。
「『歌劇
「なんで?」と首を傾げるのは小さなネコ。
「歌劇って、ミュージカル……、エンターティメントでしょ? ……って、これはまた、『
「クミ。その疑問は、君が『エンタァテイメン』という『神世言葉』を咄嗟に使ってしまうのと同じ、『
「
「居坂において、
「……検閲?」
「それは私も……、知らなかったわ」
「本当に長い間だ」と、他奮の大師は遠い目をする。
「千年前に
「それは……、キツイですね……」
「ほかも似たようなものだ。画紙にはヒトや神々の姿を描くことはできず、当然、彫り像も駄目。
「人物画も小説も……。自由な表現が許されない時代だったのね……」
美名は、半年前の『真名宣布』の折、フクシロが『教会改革の展望』に言い及んだ際、『解放党員』のなかで歓呼した者があったことを思い出した。
かの者が望んでいたのが絵画か演劇か、はたまた他の何かか知ることはできないが、あの喜びの背景にはそういった抑圧の風潮があったのだろう。
「それをいくらか緩和したのが、マニィ。先代の魔名教教主だ」
ハマダリンは、室の対面の壁、掲げられている絵画の一枚一枚を、ゆっくりと眺めていく。
「教主となったマニィは、『新しく歌劇をやってみたい』という私のわがままを受け
「モモ
ほぅと息を呑む少女に、大師は目を細めて頷く。
「教主と古参の大師。教会そのものに影響が強いふたりの協力があって、ようやく、セレノアスールに限ってではあるが、歌劇の新作と披露は公認された。おかげでこの町は、ただの教区都や港町というだけではない『固有の色』を得ることができ、演劇に関心のある者が集まり、作られて披露された演劇で新しく関心を持つ者が出てくる。私の在任の十二年、そうやってこの町は変化してきた。今では地域の者らも観劇を楽しみにしてくれて、ほかの教区から移住してくる若者もある。今のセレノアスールの姿は、マニィとモモノ師のふたりがいて、私と住民らの長い努力があって、ようやく根付いてきたところなのだ」
大師の目が、窓へと向けられる。
朝には人だかりがあって騒がしく、今では波のさざめきが心地よく聴こえてくる。数が数であったから、ハマダリンが協力者たちを見送るのにも時間が相当にかかってしまい、今はもう、冬の
「……だが、スピンの『真名』は、私たちをあっという間に抜き去ったな」
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