演劇の町と大師の生い立ち 1

「スピンは何と言っていた?」


 協力してくれたヤ行の住人らひとりひとりと言葉を交わし、ねんごろに見送ってきたハマダリン大師は、寝室に戻って来るなり、美名に問いかけた。


「ハマダリン様の復帰を喜んでて、すぐにでもお会いしたいと書かれておりました。ですが、病のことを打ち明けてもらえなかったのは、少し寂しいとも書かれてます」

「『寂しい』、か……」


 寝間着から白外套がいとう姿に変わり、カッカッと美足びそくぐつを鳴らして歩み来る大師の姿には、病の気配など微塵も残っていない。美名もあらためて胸を撫で下ろす。


大都だいと明良あきらという相手はどうだ?」

「返事はありません。でも、絶対に大丈夫です。そう言ってくれましたから」


 少女とネコの前に立つと、ハマダリンは「ふふ」と可笑しそうに笑った。

 頑健さを取り戻した他奮たふん大師は気力のみなぎりが身にまとって見えるかのようで、威圧が増している。丸椅子に座る少女とネコからすれば、大師の長身はそびえる高山のようでもあり、なおさらだ。


「そうは言うのに大都にすぐにでも向かいたいと望むのだから、心配なのだか、信頼なのだか、君たちの関係は複雑に絡み合うのだな」


 瞬きを繰り返し、照れを隠す少女に大師はまたひとつ笑いかける。


「気分はどうだ? 吐き気や目眩めまいはないか?」

「問題ないです」


 少女の答えに「そうか」と頷くと、外套衣がしわになることも気にしない様子で、寝台にどさりと腰を落とすハマダリン。


「スピンは……、いつのまにやら成長していたな。私が知るのままであれば、『真名まな宣布せんぷ』などと大それたこと、絶対にしない。ラ行波導はどうをあのように使い、『てれび放送』などという発想もありえない」


 美名は、『てれび』の仕掛け人であるクミをチラと見下ろすが、小さなネコは少女の膝のうえで素知らぬ風を装っていた。


「あの……」

「……ン? どうした、美名?」

「ハマダリン様は『真名』に懐疑的なのですよね? 十行じっぎょう会議かいぎの召集に応じず、教会本部に一切従わないって申し渡してきたのですから……」


 そこへ「違います」と割り込んできたのは、室の隅にいたユ・ヤヨイであった。

 今回の一連の考案者である彼は、治療が終わってからもずっと居心地悪そうにしており、大師を待つ間、見かねた少女が「座られてはどうですか?」と促しても、こうして、師の帰りを待つように腰高棚の脇で立ち尽くしていたのである。


「その、教会本部への違背いはいの件は、リン様の心配りなのです」

「心配り、ですか?」


 美名が小首を傾げたところ、ヤヨイは小さく頷いて返す。


「半年前、すでに病状の悪化を予見していたリン様は、こ教主様のお心を、自らのために騒がせたくないとお考えになったのです」

「フクシロ様の心……」

「はい。先代教主の夭折ようせつを鑑みれば、教主様と私的に親交が深かったリン様が病床にあると知れば、教主様はリン様を心配しないはずがありません。これから居坂を革新する事業に入っていくであろう時機、大きな心配をさせたくない。ですから、『本部への違背』を通告し、その頃はまだ、無理すれば参加できたところ、会議にもお出にならなかったのです。『真名の考え』に不服だというをすれば、教主様と会わないことにも、おおやけに姿を出さないことにも、相応の理由が付けられますから……」

「ヤヨイ」


 師のとがめ声がはさまってきたことに、ヤヨイ少年の身はビクリと跳ねる。


「お前はつくづく、私を過大に見るものだな。そんな高尚な配慮は私にはなかった」


 可哀想になるほどヤヨイがおどおどするので、美名もチラと様子を窺うが、ハマダリンは優しく微笑んだ顔のままである。

 しかし、美名もまた、その笑顔が「怖いもの」だと直感し、ひと筋だけの冷や汗を流した。

 

「スピンを遠ざけたのは幼稚な心。ただのやっかみだ」


 ハマダリンは、美名の視線にも気づいた様子のあと、「ふん」と自嘲気味に鼻を鳴らしてみせた。


「『歌劇芸事げいごとの町』……。今日こんにちるセレノアスールの姿は、マニィとモモノ師の後援のもと、私が……、私と住人たちが、長い時間をかけて築き上げてきたモノだ。モモノ師は私の後見として、マニィとは姉妹同然に育ってきたものだから、その援助に私情がなかったとは言いきれん。だが、私は私なりの『大師の役務』として、『歌劇の定着』にも苦心してきたつもりだ」


 「なんで?」と首を傾げるのは小さなネコ。


「歌劇って、ミュージカル……、エンターティメントでしょ? ……って、これはまた、『神世かみよ言葉』になるか……。要は、娯楽ですよね? みんなが喜ぶんだもの、内容が面白ければ、広めていくのにも苦労する必要なんてないんじゃないですか?」

「クミ。その疑問は、君が『エンタァテイメン』という『神世言葉』を咄嗟に使ってしまうのと同じ、『客人まろうど』がゆえの所感だろう」


 「居坂いさかと神世は違う」と、ハマダリンは嘆息たんそくを吐いた。


「居坂において、芸事げいごとには長らくの制限があった。つい最近まで、演劇や絵画、物語といったものにはすべて、魔名教会の検閲けんえつが必要だったのだ」

「……検閲?」

「それは私も……、知らなかったわ」


 「本当に長い間だ」と、他奮の大師は遠い目をする。


「千年前にかれた『信奉しんぽうの新定あらたなさだめ』のうち、第六項に明文がある。正確には、のちのの聖人が注釈を入れたものだがな。それに基づき、様々な娯楽事には検閲制限があった。演劇題目は、教典や神言かみごとを題材にした『教劇きょうげき』しか許されず、それ以外は罰の対象。その『教劇』でさえ、内容が多少とも逸脱していると判断されれば懲罰対象になった」

「それは……、キツイですね……」

「ほかも似たようなものだ。画紙にはヒトや神々の姿を描くことはできず、当然、彫り像も駄目。譚本たんぼんでは、原則、まったくの創作そうさくものは厳禁。既存の伝承や神話を写したものばかりだ。変わり映えのしない物語で、時流に合った筋書きなど生まれないのだから、娯楽として広まるはずもない。つい最近まで、教戒は厳格だった」

「人物画も小説も……。自由な表現が許されない時代だったのね……」


 美名は、半年前の『真名宣布』の折、フクシロが『教会改革の展望』に言い及んだ際、『解放党員』のなかで歓呼した者があったことを思い出した。

 かの者が望んでいたのが絵画か演劇か、はたまた他の何かか知ることはできないが、あの喜びの背景にはそういった抑圧の風潮があったのだろう。


「それをいくらか緩和したのが、マニィ。先代の魔名教教主だ」


 ハマダリンは、室の対面の壁、掲げられている絵画の一枚一枚を、ゆっくりと眺めていく。


「教主となったマニィは、『新しく歌劇をやってみたい』という私のわがままを受けれてくれた。強引な気質があったマニィとて、さすがに真っ向から教戒きょうかいを曲げることはできない。マニィはまず、教会内部に提議をあげた。それにモモノ師も面白がって賛同してくれたのだ」

「モモねえ様も……」


 ほぅと息を呑む少女に、大師は目を細めて頷く。


「教主と古参の大師。教会そのものに影響が強いふたりの協力があって、ようやく、セレノアスールに限ってではあるが、歌劇の新作と披露は公認された。おかげでこの町は、ただの教区都や港町というだけではない『固有の色』を得ることができ、演劇に関心のある者が集まり、作られて披露された演劇で新しく関心を持つ者が出てくる。私の在任の十二年、そうやってこの町は変化してきた。今では地域の者らも観劇を楽しみにしてくれて、ほかの教区から移住してくる若者もある。今のセレノアスールの姿は、マニィとモモノ師のふたりがいて、私と住民らの長い努力があって、ようやく根付いてきたところなのだ」


 大師の目が、窓へと向けられる。

 朝には人だかりがあって騒がしく、今では波のさざめきが心地よく聴こえてくる。数が数であったから、ハマダリンが協力者たちを見送るのにも時間が相当にかかってしまい、今はもう、冬の短日たんじつで夕暮れかけてきていた。


「……だが、スピンの『真名』は、私たちをあっという間に抜き去ったな」

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