演劇の町と大師の生い立ち 2

 夕闇のかげりを増していく浮紅雲うきべにぐも。見つめる大師の相貌そうぼうから、少女は目が離せない。


「『真名まな』は、セレノアスールの十数年を。私たちの愛し子は、展望を示してきた。セレノアスールだけを特別に扱わず、すべてのヒト、町、モノ。何もかもを認める。セレノアスールだけに。そういった普遍の時代の到来が、寝台のうえで私の固い頭がようやくに理解した『真名』だ」


 顔を戻してきた大師の瞳のなか、穏やかさだけではない、淀むような色が少しだけあることに美名は気付く。


「フクシロ様はセレノアスールをおとしめるような、そんな意図では……」

「判っているよ。だから言っているだろう? やっかみだと」


 ハマダリンはまた、窓外の遠くに目を遣りながら、自嘲するように笑った。

 

「不調が長く、気が弱くなっていたといえば言い訳になる。だが、それでも少しばかり、私は悔しかった。『てれび』から目を逸らした。スピンが、私やマニィでは考えつかないところへ行き、考えつかないコトを居坂にもたらそうとしている。そのことに嫉妬した。『真名には不服。めいもきかない』というのも、子供じみた、単なる駄々こねだ。ヤヨイが言うような深慮はない。みっともないだろう?」


 ハマダリン大師の自嘲が極まり、薄昏うすぐれ色と同じく、室内では雰囲気が沈みかけた。

 そんななか、ふいに、美名の膝のうえでネコが笑い出す。


「ちょ、ちょっと、クミ? いきなりどうしたの?」


 小さなネコの笑い声は、寝室内で大きく響く。

 

「いやぁ、大師だなんだって言っても、結局、ニンゲンなんだなぁって思ったら、なんだか可笑しくなったの。思えば、今までの大師様もみんなそうだなぁって。タイバ大師もリィも、ニンゲン臭いなぁって。モモ大師だけがひとり、妖怪じみてたけどね」

「クミぃ……。だからって笑い飛ばすなんて、失礼だよ?」

「失礼だっていいの。駄々こねもやっかみも、したっていい!」


 クミの快活な勢いに、大師も美名も、ヤヨイ少年も、揃って目をしばたたく。


「大師がフクシロ様を大事に思ってることには変わりないんですよね?」

「……ああ。あらためて認めるのは気恥ずかしいものはあるが……、そうだな。教主だということを置いても、特別な子だ」

「だったらなんにも、みっともないことなんてないです。フクシロ様も大師のこと、『家族のように思ってる』って言ってました」

「私が……、スピンの家族……」

「ふたりが家族なんだったら、ケンカしたり、気に入らないトコロがあったり、それで機嫌悪くなって無視しちゃったり……。そういうのが他のヒトよりも多くなるのは当然です。だって、家族って、他の人よりもずっと近くにいるんだから」


 クミは美名の膝のうえ、四肢ししを張って立ち上がる。


「でも、ちゃんと仲直りしないとダメです。そこまでやっての『家族』です。ちゃんと話して……、フクシロ様もそれを望んでるんだから。嫉妬してるだの、病気がキツかっただの、言い訳でもいいから、ちゃんと話してみればいいんだと思います。それから、フクシロ様と大師の想いとをいっしょにして、いっしょに『特別なモノ』を、新しく作っていく。セレノアスールを『演劇』で売ってこうってんなら、他の町が追いつかないほど、『演劇界最高峰の町』にしてやりましょうよ!」

「だが、しかしだな……」

「『だが』も『しかし』も、へったくれもないです!」


 ネコの吠え姿に呆気にとられると、今度はハマダリンが笑い出した。

 

「こんなに小さいのに、クミは、まるで親のように叱りつけてくれるのだね」

「母親でしたから! 怒った経験はないですけども!」

「なるほど。客人まろうどには子があるか」


 ひとしきり笑い終え、息を調えると、大師は「ああ、判った」と頷いた。


「小さな母親の言うことはしっかりと聞こう。大都だいとに赴いたあと、もう病状が出ないとみれば、君たちと別れ、私は福城ふくしろへ向かう。それでいいかい?」

「はい!」


 「物貰ものもらい」の施術のあと、少女らの次の動向――「大都に向かう」ことを聞いたハマダリン大師は、自らも同行すると言ってきていた。

 他奮たふんの大師が言うには、伝染する型の「風の病」には「風吹前かぜふきまえ」の時期(クミが言い換えたところの『潜伏期間』)というものが存在する場合があり、軽々けいけいに全快したと見ることはできない。予後を見定めるまで、傍にいたいと言うのだ。

 美名自身、体調に憂うべき点はないと自覚している。行き過ぎた心配かとも思えた。だが、自らを思っての心配り、無下にするのもはばかられ、ふたりは大師の同行を受け入れたのだった。


「サンキュウ、クミ。よりいっそう、元気が出たよ」

「え、うん。あ……? はい……?」

「もう。クミには時々、ヒヤヒヤさせられるよ……」


 そう言って、美名はフワフワ毛のネコを撫で始める。

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