演劇の町と大師の生い立ち 3

「母親、か……」


 つぶやかれた声に美名が顔を上げると、大師は少女の奥、一点を見つめている。

 目線を追って背後へ振り返ってみると、どうやら彼女は、壁に掲げられた絵のうち、若い男が描かれた一枚を見ているようだった。


「あの絵のヒトは、もしかして、ハマダリン様の身内の方ですか?」

「リンと呼んでくれていい。私にはそのほうがしっくりくる」

 

 おもむろに立ち上がると、ハマダリンは絵のそばまで歩み寄っていく。


「美名。どうしてそう思ったかな?」

「どことなく……、ハマ……、リン様と似ているように見えます。輪郭とか、口元とか」

「そうか。やはり、そう見えるか」


 男の絵は、胸から上が描かれたものである。

 着ているのは首元のえりひだ状になっていて、両脇から二本、ひもが垂れた奇妙な白い服。年頃は二十あたり。面相は決して美男とは言い切れないが、美名が言うとおり、どこかハマダリンと通じるところがあった。


「この男は、私の親かもしれないヒトだ」

……?」

「私は孤児みなしごだったんだ。三つか四つと見られる頃、私はたったひとりでヘヤの近くを彷徨さまよっていたらしい。そこをモモノ師に拾われたんだ」


 ハマダリンは手を伸ばし、男の頬に添えるように絵画に触れる。絵を傷めたくないためか、その男を傷めたくないためなのか、柔らかく触れていた。


「保護された直後の私は、ただ泣きわめくばかりで、言うことはすべて滅茶苦茶。名前以外、どこの子か知れなかったそうだ。モモノ師は伝手つて幻燈げんとう術で尽くしてくれたが、家族は見つけられずじまい。仕方なしに、私はマニィといっしょに育てられた。この男の絵は、モモノ師が私の記憶を、描いてくれたものだよ。師には万能の才があったようだが、絵も熟達だろう?」

「……はい」

「絵を見た私は、さらに大変だったらしい。このヒトの名を呼び、抱きついて、さらに泣きじゃくってしまってな」


 美名もまた、父親の顔を知らないがため、男の肖像を感慨深く見入る。

 少女が「父」という言葉を思い浮かべるとき、頭には先生の顔が浮かぶ。

 彼は実父ではないだろう。顔貌かおかたちは似ていなかった。

 だが、ともがらの家族像を様々に見てきた美名が、あえて自分にとっての父を当てはめるとしたなら、やはりそれは先生なのである。剣を教えてくれ、アヤカムの退治を教えてくれ、旅の仕方を教えてくれた。現実に今、先生がいなくても生きていられるのは、先生が教えてくれたことのすべてが糧になっているからだと感謝できる。

 先生のあの、傷が目立つ顔。

 常に余裕たっぷりで、何か悪戯いたずらを考えているような顔。豪快な笑いの顔。本を読みふけっているときの、どこか知的な横顔。

 ずっと忘れることはないだろうが、あるいは、このように絵にしてみるのも先生を探すうえで役立つかもしれない、と思いついたところ、美名は自らのもものうえ、ネコの様子がおかしいことに気が付いた。


「クミ、どうしたの? うんうんうなって。お腹痛いの?」

「美名と違って、私のお腹は丈夫よ」

「私のお腹も丈夫だよ」


 口先を尖らせる美名に、「そうじゃなくて」とクミは続ける。


「なんかねぇ。こう、喉に出かかるものが……」

「え? まさか、病気がクミに……」

「いや、せきとかじゃなくて。変なカンジというか、そうじゃないというか、あの絵見てると……。いや、それだけじゃなくて……」

「もう。はっきりしないなぁ」

「う~ん……?」


 少女とネコとが判然としないやりとりをしていると、ハマダリン大師は「さて」と言ってヤヨイ少年へと身体を向ける。


「そろそろ刻限だな。聞いているか、ヤヨイ?」

「え……? ええ。少し前にルマさんが慌ててやってきて、それで聞きましたけど……。本当にやるんですか?」

「やる。セレノアスールを騒がせた詫びをしなければならん。皆、心待ちにしていたようで、口々に『いつ再開するのですか?』と訊かれたものだよ。劇員の者らはしっかり稽古していただろうな?」

「それは、言いつけられてましたから。ですが……、本当に大丈夫ですか?」

「私の心配をしてるのなら問題ない」

 

 外套がいとうなびかせ、ハマダリンは少女らに正面を向ける。


「ヘヨウが来るまで、あと二刻以上。いずれにせよ、時間を持て余す」


 ヘヨウとは、この第八教区に所属するカ行動力どうりきの「段」の者である。

 普段はこのセレノアスールよりずっと北、常夜とこよかいに面したライという町で教会堂師をしているが、大師や教区の要人が急行の必要に迫られたとき、「カ行・浮揚ふよう」で援けをくれる人員なのだという。

 美名とクミの大都行きに同行することを決めたハマダリンは、このコ・ヘヨウを呼びつけていたのだ。島伝いに休憩を取りながらではあるが、動力術を使い、空を行き、大都までおよそ三日。船で行くよりもずっと早い行程に、美名たちも喜んだものだった。


「美名たちにもぜひ、セレノアスールの歌劇を観てもらいたいからな」

「はい。拝見します」

「私もそれ聞いて、ちょっと楽しみにしてたんですよね」

「よし、私も準備にかかる。久々の披露目ひろめだ。楽しみにしてくれる小さなかあ様の前で、恥の上塗りはできん」

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