附名の大師と魔名降ろし 3

「旅のなかで両目の見えないヒトに会ったことがあります」


 少女の手に黒い光が灯りだす。

 ワ行劫奪こうだつ、「奪う魔名の光」――。


「そのヒトは、見えていないのに私や先生がどこにいるのか、ちゃんと判ってるみたいでした。聞いてみると、『きぬれや呼吸なんかのちょっとした音、風の流れや気配なんかでなんとなくんだよ』って……」

「美名……。バリの、そのぶん、と……?」


 二色にしき髪の少女は、少年にうなずいて返すと、ふたたびバリの背に向き直る。


「私も、この劫奪術……、『奪感だっかん』をにかけるのは初めてです。暴走したプリム様にかけようとしても、うまくいかなかった。もし、うまく術をかけられても、奪ったまま、バリ様の目も耳も、痛みも何も返せなくなるかもしれません。でも……、それでも……」


 美名の言葉の途中、男の背中が「構わないよ」と答えていた。


「返されなくとも構いやしない。それに、失敗するなんてこともあり得ないだろう。美名くんの気概は、今、この背でひしと感じている」

「バリ様……」

「当代唯一にして、最上の使い手が劫奪術を施してくれるんだ。なにも躊躇ためらうことはない。さあ、奪ってくれ」


 「はい」とうなずいた美名は、深く息を吸った。


「ワ行・奪感」


 少女の平手から黒光こっこうほとばしり、バリの背にまとわれる。

 直後、美名は、不思議な感覚に襲われた。

 近くには美名たち以外、ヒトも見当たらないのに、話し声のようなものが聴こえてくる。

 少し意識を向けると、どうやら、百歩近くは離れた宮殿外郭、回廊の開かれた窓辺で、男ふたりがとりとめもない会話をしているよう。聴覚が鋭いとの自覚はあるが、これほど離れた距離で喋り声が聴き取れるのは、初めてである。

 聴覚だけではない。

 目の前のバリの背中。その衣服の布目。

 生地のよじれによってできる細かい凹凸おうとつまで見て取ることができる。それも、のよう。

 「奪感」の術は、バリから五感を奪ったのだ。

 そのぶんの感覚が、美名のもとからの感覚にされている――。


「ど、どうですか、バリ様……?」


 訊いてから美名は、バリの耳は今、聴こえていないだろうことに気付く。

 術者本人に問い質すのに代わり、の様子を背中越しにうかがうと――そこには、ふてぶてしい野卑やひた目つきが変わらずにあった。

 さるぐつわの相手は、さも愉快そうに目を細めてくる。


(ダメなの……?)


 ヤヨイは、いまだ乗っ取られたまま。魔名降ろしは失敗――。

 であれば、一刻も早く、この危険な術を解かなければならない。バリに五感を返し損ねれば、附名ふめい大師のこれからの旅路を奪うことになってしまう。

 最悪を上塗りする結果。そんなこと、自分の未熟さで引き起こしてはならない。


(ヤヨイさん、グンカ様……。ごめんなさい!)


 少女が「五感を返す」という一念を強くし、平手の集中を切らしかけたところだった――。


「――ッ?!」

 

 大きくうめく声にハッとした美名は、顔を上げる。

 バリの背中越しに見て取れたのは、暴れると白刃――。

 明良あきらが、「幾旅金いくたびのかね」を突きつけていたのである。


「明良、何するの?!」

「……届いていないのだろう?! バリは、レイドログの魂に!」


 明良は斬ろうとしている。こうなってしまっては、ヤヨイが使役され、こちらの情勢が筒抜けなどという最悪の状況だけでも取り除くべく、始末しようとしている。

 一瞬だけ、そう危ぶんだ美名だったが――。


(違う……。明良も絶対、そんなコトしない)


 刀の切先が、に向け、おもむろに伸ばされていく。

 だがそれは、首や胸に向かうのではなく、肩口に――そっと綿雪わたゆきが落ちるような静けさでのだった。


「バリ、この刀をつかめ! !」


 相手が応じず、なんの動きもみせないことから、聴覚を奪われていることを思い出したのだろう。明良は、バリ大師の右手を取った。

 やはり、過ぎた心配だったと安堵はしたが、少年が何をしようとしているのか、美名はいまだ察せずにいる。


「どういうコトなの、明良? 何をしてるの?」

「美名には話したコトがあったはずだ。この刀の神代じんだい遺物いぶつとしての特性……。『増幅』のことを」

「増幅……?」


 ふたりが出会ったばかりの頃。

 ぶっきらぼうな少年との距離感がまだつかめないまま、クシャの後片付けの最中、ふと話題にしたこと。

 美名は、その内容を思い出す――。


(明良の刀、「幾旅金」の特性……。それは、剣筋や突きだけじゃなくて、……)


 美名がハッとするのと、弛緩する指が柄に掛けられたのは、ほぼ同時であった。

 バリ大師の手からの白光が、刀身を伝い、昇っていく――。


「この刀がこれまで増幅したことがあるのは、カ行とナ行、ラ行の魔名のみ。附名術の性質を考えれば、ア行など試そうと考えたことさえない。だが……、『幾旅金』! たとえ、お前の特性の枠内にア行がなかったとしても、今のこの場、そんな枠は超えてみせろッ!」


 遺物の切っ先まで昇りきった光は、少年の訴えに呼応するかのよう、目もくらむほどにきらめくのだった。

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