天咲塔の二日目と未知のアヤカム 2

 「三十五番目の部屋」を過ぎて半刻ほどは経ったであろう頃。


(それにしても、『遡逆そぎゃく』と『転生てんせい』って……)


 沈黙ばかりが続くのをいいことに、ニクラは昨夜の密談の内容をいま反芻はんすうしていた。


(「転生」は「魂の旅を経て居坂いさかにふたたび転生する」といういわれがあるから想像できる。にわかには信じられないけど、ゼダンのあの規格外の魔名がなによりのあかし。あのヒトが「魔名はひとり一行いちぎょう」の絶対を破れてるのは、魂の旅で得た魔名を引き継いで何度もヒトの旅路を生きてきたから。だから「千年をかけて」なんて言葉が出た……)


 「でも」と思い、ニクラは前を行くキョライの背中を見る。


(「遡逆」というのはいったい何? 何のこと?)


 「遡逆」。

 日常では使われない言葉である。

 この言葉でニクラが唯一思いつくものといえば、「魔名教典」内の逸話、「遡逆そぎゃく救済きゅうさい」であった。

 この話は主神ンの数ある活躍たんのうちのひとつではあるが、内容は非常に簡素。

 「主神はヒトが住まう村里の度々の災難に憐れみ、その御手を振り、神剣を振り、幾度も救われた」。

 これのみである。

 特筆すべき点も、注釈を差し込む余地もないことから、説諭や教典研究の対象にさえならない話である。

 この話で気になる点をあえて挙げるとすれば、「遡逆そぎゃく救済きゅうさい」という表題。

 この短文の何が「遡逆」――「さかのぼり」を意味するものか。


(キョライの目的、「遡逆のすべを手に入れる」。「遡逆」の「すべ」というからには、何かの効果を伴う術なのだろうけど……)


「……ン?」


 考えていたニクラの視界のなか、キョライがふいに立ち止まった。 

 やむを得ず、少女らも足を止める。


「急に止まらないで。どうしたの? 用便ようべん?」

「……うら若き麗人れいじんたしなむ言葉じゃないですね」

「……うるさいわね」

「それに、去来きょらい術は便利なモノでして、自らの身体の一部をのですよ。内外うちそと問わず……」

「ゲッ、それって……。でも、言われるとキョライさん、トイレに一度も行ってないわね」


 ニクラは「手洗てあらいじゃなかったら何?」と、苛立ちを露わにして訊く。


「なんで止まってるの? 早く行きなさいよ!」

「いえ……。前から何か、気配が……」


 回廊の奥は変わらずの暗闇が続く。暗澹あんたんとして果ての見えない道。


「何かって……、何だのん?」


 ニクリ波導はどう大師はその小柄をブルリと震わせた。


「『骨をむしゃぶったアヤカム』かしら?」


 クミは前方を見据えて呟く。


「それもイヤだのん!」

「何かは判りません。ですが、ホラ、気が乱れている」


 キョライはニクラの松明たいまつの火が揺れている様子に顔を向ける。

 風など吹くはずのない地中。であるのに回廊にはわずかに空気が流れているようだった。


「実体がある相手ならぎょしやすいのですが……」

「まさか、『混沌こんとん』……?」

「迷いたまじゃありませんように、迷い魂じゃありませんように、迷い魂じゃありませんように……」


 混乱しつつあるが、いずれにせよ不穏な状況。

 最前のキョライ、その次にニクラ。そのすぐ後ろ、震えながらのニクリ。

 魔名術の熟達三人は前方に平手を向け、身構える。


「確かに……、何か来るわ……」


 クミの小さな眼には、魔名術者たちの背中の向こう、松明たいまつの明かりが届くきわ、暗闇そのものがうごめいたように見えた。


「ひぃい! 迷い魂、怖いのん!」

「違うわ! あれは……」


 回廊の奥から迫りくるのは、黒。

 両翼を忙しく動かし飛び来る、幾十匹にも及ぶアヤカムであった。


「何アレ? 鳥? 虫?」

「いや、少し様子が違うようです」

「あれは……、『コウモリ』じゃない?!」


 クミは黒いアヤカムの正体を叫んだが、他の者には「コウモリ」がピンと来ていない様子。


「んもう! 『コウモリ』も居坂にはいないのね!」

「クミ、あのアヤカムはヒトを襲うの?!」

「判んない! 判んないけど! もう来てるよ!」


 「コウモリ」の群れはわき目もふらず、一行に迫りくる。

 鳥とも違う、虫とも違う、禍々しい形状の翼をはためかせ、目も鼻も判然としない毛むくじゃらの顔で目掛けてくる。

 黒い風のような「コウモリ」の先頭は、こちらの先頭のキョライまで、あと十歩分まで来ている――。

 

「なんだか不気味だのぉん! 雷矢らいしぃ!」


 ニクリ波導大師の平手から雷光がほとばしる。

 雷の矢は回廊を照らしつつ、「コウモリ」を襲っていった。


「やった?!」

「いや、まだです!」


 撃ち落とされたのは十数匹ほど。アヤカムの大半は健在であった。


「それどころか……」


 さらに、「雷矢」の光が照らし出した現実。

 それは、今しがた撃墜した「コウモリ」の数などは比べ物にならない、回廊全体を埋め尽くすほどの「コウモリ」が後続する光景であった。

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