少年の旅立ちと少女の別れ

「見送りなんて不要だったのに……」

「結局、希畔きはんを出てっちゃうんだもの。見送りくらい、させなさいっての」


 二日前。

 珍しく、去来の大師が説話に登った日。

 前触れなく、角猪つのししの大群が希畔に押し寄せた日。

 大通りでの慰労いろう催事さいじ喧騒けんそうの裏で、突如として去来大師の行方が知れなくなった日。

 以降、希畔の町は騒然となった。

 大師はどこに行ったか?

 アヤカム襲来との関連か?

 数日前の、「智集館ちしゅうかん」の、土壁つちかべ騒ぎとの関連か?

 すべてを知っているのは、林の中のあばら屋の前、旅装りょそう姿すがたたたずむ少年と、勤務姿の白外套衣を羽織った少女のみだった。


明良あきらくんもまぁ、壮絶な旅路をいってるねぇ……」


 「智集館」での大師との争いの直後、明良は巻き込んでしまったミンミに、すべてを話した。彼女は案外にすんなり、明良の話を受け入れていた。

 敬慕しているホ・シアラに味方した彼女に、非難のひとつでも貰う覚悟だった黒髪の少年は、少し拍子抜けしたものだ。

 驚かされたのは――自らの境遇を話したとき。

 リ・ミンミは、いつもは笑って膨らませている頬に、涙を流していた。


「ま、親しみ具合で言えば、明良くんにがあるからね」


 さらりと涙を流しただけで、あとはいつも通りに笑ってそう言う彼女に、明良の心も軽くなったのである。

 そうして、明良は旅立ちを決めた。

 希畔の町を去ることに決めた。


「……それで、どこへ行くのよ?」

「そうだな……。まずは、『福城ふくしろ』……」


 福城。

 本総ほんそう大陸最大にして、居坂いさか最大の都市。

 そして、魔名教の主都しゅと――。


「結構、遠いねぇ……」


 希畔の町からは、街道一本で行けるとはいえ、大陸の西から東、大横断に等しい。無理のない余裕のある行程で、八週ほどは見積もらないといけない。

 しかし、明良は「最速」で向かうつもりでいる。


「さすがに、戦禍せんか云々うんぬんと言われて、見過せないからな……」


 「福城に戦禍が起こる」。

 去来の大師、ホ・シアラの言であった。

 何が起きるか?

 いつ起きるか?

 詳細はもちろん知らない。

 だが、それを聞き知った以上、明良には看過できない。

 唯一、手がかりといえば、「魔名教が変わる」。これもシアラ大師の言である。


「……ヤツ――シアラの言う『目的』がそれであるならば、『福城』に姿を現してくるに違いないしな……」

「……パパ―ッと『伝声でんせい』で連絡つければ、魔名教のお偉いさんたちがどうにかするんじゃない?」

「その『波導はどうでの連絡』が危ういんだ。シアラも言っていた。『居坂に波導の網が張り巡らしてある』と。誰が信頼できて、誰が信頼できないか、判ったものじゃない。直接出向いて、俺の眼で確かめるべきだ……」

「……大師様と一緒で、苦労する性格ねえ。明良くんは」

「大師の……、シアラと一緒の性格だと? 俺がか?」


 聞き捨てならない言葉に、黒髪の少年は少しだけ反感を抱いて訊き返す。


「……なんかさ、明良くんの口から聞いた話と、まあ、私がちょいちょい見ていた大師様の印象を合わせるとさ、なんだかこう、寂しくなるんだよね……」

「……寂しく……」

「私、大師様が誰かと親し気に話してるのなんて、見たことない。そもそも、姿を見るのさえ珍しいくらいだったしね。ヒドイこと、裏でたくさんしてたってのは判ったんだけど、多分、大師様は『独り』だったんじゃないかな……?」

「独り……? アイツには、『名づけ師』の仲間や、『うえ』などという者までいたらしいが……」


 静かに、少女は首を振った。


「それもきっと、上辺うわべだけだよ。その証拠に、あんな状況になっても、大師様には誰も助けにきてくれなかったんでしょ? 動力どうりきの大師様が捕らえにきたってなっても、誰も加勢に来てないんでしょ? 仲間ってのはお互いに、たすたすけられ、なんじゃないの?」

「……」

「……ずっと、『孤独』だったんだよ。大師様は」


 明良の耳に、シアラの澄んだ声が蘇る。

 「私のたったひとりの『かえり』」。

 その声音は寂し気で、何かを求めているようでもあったと、明良は気付く。


(かといって、ヤツのしてきたことは許されることじゃない……)


 心の中で反論しながらも、明良には言い得ぬ寂寥せきりょうつのる。

 ともすれば、自身もシアラと同じ、『孤独』に陥っていただろう。

 復讐ばかりにとらわれていては、仲間などできようもなかっただろう。

 それをハッキリと自覚させてくれたのは、しくも、シアラ大師の説話と、彼との激闘だったのだ。


(アイツの『かえり』である俺の『反り』は、アイツってことか……)


「それで、他にはドコに行くのよ?」


 自嘲のような思考をしていた明良は、「あ?」と呆けたような言葉を返す。

 その様子に、少女は肩をすくめた。


「……『まずは』って言ってたでしょ。他にも行くトコ、あるんでしょう?」

「あ、ああ……。そうだな、コイツらに……」


 そう言って、少年は旅装かばんから小さな袋包みを取り出す。


「あ、それって……」


 少女の気付いた様子にうなずくと、明良は視界の端の木の根元、少しだけこんもりとした、ふたつの土山つちやまに目を遣った。

 それらは、動力大師、コ・ギアガンと、その弟子、コ・ヒミとの墓である。

 魔名教内部、誰が信頼できるか判らない中、彼らのむくろを託すことが出来ず、明良はひとりで、ふたりの墓を造った。

 発見され、暴かれるのを懸念して、十字の墓標は立ててやれていない。

 ギアガンの片腕は、「何処いずこか」に取り残されたままなのか、消失したまま。

 それでも明良は、深くいたみながら、彼らを葬った。

 明良がもつ袋包みの中には、彼らの遺髪いはつが入っているのだ。


「……思えば、たったの二日。初対面は最悪だった。交わした言葉も少ない。茶を一緒に飲んだのも一度きり。それでも俺には、これを届ける義務がある」


 今度は明良の耳に、「訪ねてこい!」と高らかに笑う、動力大師の声が木霊こだまする。


「……動力どうりきの教区に行けば、ヤツらの近縁きんえんがいるだろう。ヤツらが本当に親しんでいて、眠るべき場所があるだろう。俺は、そこにも行こうと思う」

「……やっぱり、苦労するねえ」


 少しの沈黙のあと、少年は「元気でな」と言い放ち、やおら歩を進め始めた。

 当然、少女は黙ってはいない――。


「ほぉら、戻ってこないつもりね!」


 少年は足を止め、しばらくしてから、振り返る。

 照れ臭そうに、口元が笑っている。


「この小屋の掃除は、たまにだけど、しておく! お墓へのお供えは……、バレちゃマズいのか……。う~ん……。たまに、『奏音そうおん』で、とむらいもしとく! 輩魔名録ともがらのまなろくも、明良くんがいない間の旧版きゅうばんも取っておく!」

「……いや、それはもう、いいんだが……」

「……とにかく! 定住に戻ってこいとは言わない! たまに顔出しなさいよってこと! いい?! ねえさまとの約束よ!」


 ふっと、少年は笑った。

 見送りにきてもらってよかったと、思い直した。


「そのうち、私の『よきヒト』、紹介してあげるから、楽しみにして戻ってきなさいな!」

「……ミンミにもやはり、そういうのが……」

「今はいない!」


 少年と、彼よりいくらか年上なだけの少女は、お互いに笑い合う。


「……ああ、判った。きっと戻ってこよう。その代わりといっては悪いが、俺からひとつ、さらに頼みごとをしてもいいか?」

「……頼みごと?」

「もしかしたら、この町に、銀髪の少女と、黒い毛のアヤカムのふたり連れが現れるかもしれん。もし見かけたら声をかけて、そいつらが俺を探している様子だったら、『福城』に行ったと伝えてくれないか?」

「え、ちょっと待って。なにその『少女』って……」

「ああ……、銀髪が腰くらいまでの長さで、赤眼あかめで、大剣をたずさえてて……」

「いや、見た目の話じゃなくて。『ネコさん』もいて、そのもいて、明良くんは一体、どうしたいの?」

「ん……? だから俺は、そのふたりのことを頼んでるんじゃないか……」

「……んん? 体はオトコだとかなんとか、言ってなかった? その女の子の体が、オトコなの?」

「はぁ? 何を言ってるんだ? 『少女』って言ってるだろう」


 かみ合わない会話に、少女は呆れ笑いで、「もういいや」と諦めた。


「……とりあえず、銀髪の女の子がいたら、手当たり次第に世話にかければいいのね? わかった。任せてよ」

「そこまでは言ってないが……」

「ダイジョブ、ダイジョブ。銀髪のヒトって、そんなに多くないしね」

「……助かる」


 ちょうどその時、林の中で、鳥がさえずる声がした。

 示し合わせていたわけではない。

 だが、少年と少女は、そのさえずりを合図にし、揃って小さく手を振り合った。


「……明良くんに。ネコさんにも、魔名よ、響け!」

「ああ。ミンミにも。魔名よ、響け」


 お互いのお互いへの加護の言葉は、希畔の青い空に、高く響いていった。


(第一章の終わり)

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