不埒な幻燈の大師と幻映の景色 4

(ここは……)


 美名は、青い空の下にいた。

 美名は、一面の黄色い花に囲まれていた。


「『マ行・幻映げんえい』は、ヒトの記憶を呼び起こさせる魔名術さね」


 振り返ると、そこには白い外套衣を羽織った幻燈げんとう大師たいしが立っていた。この清々しい景色に不釣り合いな、妖しい笑みを浮かべている。


「ここは、『魔名』という言葉に紐づいて呼び起こされた、お嬢の景色だよ」

「私の……『魔名』の景色……」

「『幻映』ってのは普通の術者なら記憶を垣間かいま見せるくらいだけど、アタシほどになれば、まるで過去に立ち戻ったように思い出させることができるし、アタシ自身も介入できる。まあ、役得だねぇ」


 美名と大師と、一緒になって景色を見渡す。

 高い青空。

 切れ切れで流れる白雲。

 鮮やかな黄の油花あぶらばな


「いい色の花だねぇ。アタシの好みだ」

「ずいぶん昔に……先生と見た花畑です……」


 美名は思い出した。

 まだ自分の背丈がこの油花よりも低く、先生にせがんで肩車をしてもらい、見た眺望。


「……私、この花畑を見て、これが魔名術で作られたものだって聞いて、魔名に憧れたんです。私にもこんな綺麗な景色が作れるのかもしれないって、魔名を授かりたいって、憧れた……」

「……この景色を作ったのは、ヒトだよ。魔名は、そのたすけになっただけだ。そして、この景色を刻んだのは、お嬢の心だ」


 「見な」と、幻燈の大師はしなやかに腕を上げ、景色の奥を指差す。

 美名も目を配ると、透けた青空の端で、暗く淀んだ暗雲が立ち込めていた。


「あれが、お嬢のこの景色を侵そうとしていた――『魔名術』ばかりに囚われていた、お嬢の心の『アヤカム』だ」


 幻燈の大師は美名に向き直り、その両の肩に手を添える。

 彼女の爪には、艶やかな光沢を放つ様々な色が、ひと指ごとに塗られていた。


「お嬢は、ただこの景色だけをって魔名を求めな」


 大師は優しく微笑む。


ちからが欲しいなら、仲間を作ることだ。魔名術を『段』まで鍛え上げるよりも、あの長物ながものの扱いに長けるよりも、ずっと簡単さぁね。ホラ、なんならもう、『大師』なんていう、『マ行幻燈』の筆頭がお嬢の力になってんだよぉ?」


 美名はひとつ、幻燈の大師にお辞儀をする。

 そのあとに起き上がった美名の顔には、えくぼが出来ていた。


「……私は、自分の心にウソをいてしまうところでした。この綺麗な花々を、自ら踏みにじってしまうところでした」


 「誓います」と美名は声を震わせる。

 美名の紅い瞳はキラリキラリと潤んではいたものの、その形のよい頬に、涙が流れることはなかった。


「この景色とともに、クシャのことを刻みます。焦燥に駆られることなく、私の旅路を行きます。……大師様のおかげです」


 「ありがとうございます」と、美名はもうひとつお辞儀をする。


「……その、『大師様』ってのは、イケないねぇ」

「……?」

「自己紹介の続きさね。アタシは、モ・モモノ。『モ』の音ばかりが続く、可笑しな魔名だろう?」


 明るく自嘲する大師は、自らの手の甲を掲げ、美名に向ける。

 美名は立ち竦み、パチパチと瞬きするのみ。


「ホラ、なにしてんだい。お嬢にはもう、名があるんだろう?」


 「はい」と慌てたように、美名も手の甲をかざす。


「私は……美名です」

「アタシの名は、モ・モモノさぁ」


 そうしてふたりは、手の甲を触れさせ合った。

 青と黄の狭間はざまで、微笑み合った。


「『大師』でなくて、『モモねえ』とでも呼んでおくれよ。お嬢には一番、そう呼ばれたいねえ」

「判りました、モモ姉様」

「『様』もいらないんだけどねぇ」

「……私のことも、名を呼んでいただけると嬉しいです」

「承知したよ、美名嬢」

「『嬢』は……いらないかもです」


 またひとつ笑い合うと、モモノ大師は「幻映」の魔名術を解いた。

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