大鏡とネコの想い 2

 「ラ行・明光めいこう」は届かないが、樹の内部は明るかった。

 少女ら三人が持つ松明たいまつが樹木の内部を照らし上げるのも大きいが、もうひとつ――。


「これだのん!」

「何? この鏡……」

「かすかに……、光ってるような……」


 少女らが取り巻き眺める姿見すがたみは、伝承どおり、ヒトひとり分くらいの高さであった。支えの脚や鏡面の縁には装飾など一切なく、簡素。

 しかし、場にはどこか荘厳で、幻想の雰囲気が漂う。

 それは、この大鏡が樹の内部という特殊な環境において、ほこりひとつ、傷ひとつなく、さらな鏡面を保っていることもあるが、鏡自体、ほのかに光を帯びているがため。


「これが……、『客人まろうど変理へんり』のための鏡……」

「あッ! 光が強くなったのん!」

「どういうこと……? ン……?」


 何か思い当たったようなニクラは、「ちょっと離れてみて」とクミを見下ろす。


「私? 鏡から?」

「そう」

「何なのよ……」


 しぶしぶと後退あとずさるネコ。

 すると――。


「あッ! 光が弱くなったのん!」

「クミ様に……、客人に反応してるのですね」

「ってことは……。私はやっぱり、『客人』で間違いなかったってわけか……」

「何を今さら言ってるのよ」

「いやぁ、実はまだ、半信半疑なトコロがあったのよねぇ……」


 クミが居坂に現れてから、切っても切り離せなかったもの。それが「客人」である。

 クシャの近郊で美名と出会う前は人々に追われた原因になり、それからのちも、危難を避けるため、わざわざ「客人ではない」との言い訳を繰り返したり、自分が何かしたわけでもないのに拝まれたりもしてきた。

 そんなクミには心のどこか、「自分は本当に客人なのか」との疑いも残っていた。時折に「客人の威光」を都合よく利用してもきたネコだが、こんなちっぽけな自分が「神様の使い」だなんて、本当にそんな大層なものだろうかとしっくりこない部分があった。

 しかし、この「天咲あまさき塔の最下層」にて、「客人の変理」を為すためにあるという鏡は、明らかに自分の動きに合わせて発光を強弱させている。

 クミは客人。

 伝承の道具がネコの素性を確かに証したのだ。


 その事実を呑み込むように喉を鳴らすと、クミはフクシロを見上げた。


「……で、このあとはどうするんでしたっけ?」

「姿を映してください。それと……」


 言葉を切って、フクシロは不意にお辞儀する。


「え? 何?」


 今まさに「変理」を為そうというこの機に、クミにはその意図が判らない。


「どうかしたんですか? フクシロ様、お腹いたいの?」

「いえ、先にお礼を申し上げておこうと……。クミ様、本当にありがとうございました」

「え? え?」


 教主のこの突然の感謝にはニクラとニクリも目を丸くする。


「どういうコトだのん、シロサマ?」


 フクシロは膝を折り、身を屈め、慈しみ深い目でクミを見つめる。


「『変理』にて、もしも『神世かみよ』に帰ることが叶うのでしたら、どうぞ気兼ねなく、お帰りになってください」

「え……?」


 柔らかな笑顔に少しばかりの涙を浮かべ、フクシロは黒ネコの前肢まえあしをそっと手にとる。


「仮に、『居坂の争いを失くす』こととの二者択一であれば、その時はお気になさらず、ご自身の帰還を選択ください」

「え? え? 私、フクシロ様にそのこと、話しましたっけ?」

「モモノ大師から伺っておりました。だいぶ前にはなりますが、『相双紙そうぞうし』越しに報告を頂いたのです。『客人が現れたがその子はウチに帰りたがっているようだ』と……」

「あ、モモ大師と初めて会ったときかな……」


 パチパチと瞬きをして、クミは顔を落とす。


(あの時は、そう思ってた。帰りたいって思ってた。ミユキにもユキにも、できるなら、また会いたいって……。その気持ちは今も同じ。でも、今の私はもう……)


「イヤだのん! クミちんいなくなるの、イヤだのん!」


 ネコの思い悩みは、波導はどうの少女の叫びに阻まれた。ニクリの駄々をこねるような声が、樹の内部に木霊こだまする。


「まだクミちんと話し足りないのん! フワフワ、もっと撫でたいのん! 尻尾も撫でたいのん! まだまだ、抱っこして一緒に寝たいのん!」

「リィ……」


 ついに、ニクリは地団駄まで踏み始めた。

 しかし、そんな少女に姉ニクラが近づいていく。

 わめき散らす妹に向け、放たれる平手――。


「んのぉ?!」


 だが、平手はニクリの横面よこづらを張ることはなく、眼前でぴたりと止まった――のではなく、

 幼く見える言動をとっても、ロ・ニクリは突出した才覚を持つ波導の大師。

 姉が不意をついてきたとはいえ、迫りくる攻撃への対処は、少し意識を向けるだけでできる。

 「雷電らいでん」による部位麻痺。

 平手を自ら止めたような格好のニクラは、それでも妹をきつく睨む。


「馬鹿リィ。いい加減、分別を身に着けなよ」

「ラァ……」


 妹から目を離し、ニクラはネコを見下げる。


「帰りたいなら帰らせればいいのよ。こんなアヤカム」


 鋭く言ったニクラだが、少女の言葉尻はかすかに震えていた。

 強がって、それを隠す素振り。

 ふっと呆れ笑いを零すと、クミは「安心してよ」と言ってやる。


「私は勝手には帰らないわ。いや……、このままじゃ私、帰れない」

「……帰れない?」


 クミは色違いの双眸そうぼうを潤ませ、頷く。


「私ね。家族がいたのよ。もう、言うのも慣れちゃったけど、『神世』にね。とっても会いたい、大事な家族」

「クミ様にもご家族が……」


 「うん」と小さなネコ。


「でもね、居坂で過ごしてるうちにこっちにもたくさん大事なヒトができた。私の家族に負けないくらい、素敵なヒトたちに出会えた」

「……どうせ、美名や明良あきらくんのことでしょ」

「また、ラァはそういう憎まれ口を叩く……。皆よ、皆。ニクラもリィもフクシロ様も、居坂で出会えた、皆……」


 少女らを眺め渡す黒毛のネコ。


「私は、皆が大好き。居坂が大好きよ。居坂にきて、辛いコトやしんどいコトももちろんあったけど、楽しいコトもいっぱいあった。嬉しいコトもあった。モモ大師も言ってた気がするけど、居坂はホント、いいトコロよね」


 クミは樹のうろの中、天を仰ぐ。

 天蓋てんがいのような樹の内肌を、ネコはじっと見据える。


「『神世』に帰る……。日本に帰る……。それが可能でも、少なくとも今はそのときじゃないわ。このゴタゴタを終わらせて、アナタたちや、今この場にいない大事なヒトたち……、それこそ、美名や明良にもちゃんとお別れを言って、それから笑って帰るの。それが、今の私の正直な気持ちよ……」

「クミ様……」

「だから、ここでバイバイなんてことにはならないから安心してください」

「クミちん……」

「まぁ、一番いいのは、この『変理』で自由に行き来できるようになれたら、なんだけどねぇ~。ネコの体もだいぶ慣れちゃって、皆に撫でてもらえなくなるの、惜しい気がするし。あはは」


 ネコに誘われて笑いを零す少女らのなか、ニクラが小さく息をく。


「『変理』と引き換えに命を失うとか、『神世』に強制帰還で二度と私たちのところに来れないとかだとしたら……、どうするつもりなのよ……」


 ニクラの嫌な言葉に「あっ」と驚く残りの一同。


「そうですね……。伝承ではそこまで詳細ではないので、その可能性も……」

「ラァ、ヒドいのん! クミちんはゼッタイ死なない!」

「うん……。それは私もゴメンだわ。そのパターンだったら、ちょっと一回相談させて。考える」

「とんだ神様の使いね……」


 もう一度少女らを眺め渡すと、クミは「よし」と意気込んだ。


「ともかく、なるようになれ、よ! 今は『変理』を成功させましょ!」


 各々は目元を拭ってから、揃って頷いた。


「で、フクシロ様、次の手順は……?」

「はい。鏡に映るよう、前にお進みください」


 促され、おそるおそると姿見に近づくクミ。


「そして、現れる者に『変えたいことわり』を告げ……」


 続けざまに説明していたフクシロだったが――。


「クミッ?!」

「クミ様?!」

「クミちん!」


 鏡がひと際強く光ったかと思うと、少女らの目の前から、黒毛のネコは姿を消した。

 そして、不可思議なことに――。


「ちょ、ちょっとコレ……。どういうことよ……」


 鏡の中にクミの姿は在った。

 クミ本人は見当たらないのに、まるで鏡面寸前にいるようにちょこんと座ったネコの鏡像。背後でたじろぐ少女らを意に介さず、瞬きひとつせず、ヒゲひとつ揺らさない。

 さながら、鏡面に描かれた絵画のようであった。

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