名を誇るネコと魔名について 1

「アナタも、どうやら私にとってのナビゲーターではなさそうだけど……」

「……なびげぇたぁ?」


 少女は四つ足の黒毛の獣が発した単語に首を傾げた。


「うん……? 通じない言葉もあるのか」

「ごめんね。私、常識をあんまり知らないから……」

「いや多分、私のほうがもっと知らないかも?」


 そう言うと、黒毛の獣は前肢で自らの顔をこする。

 なんて可愛らしい仕草をするものかと、少女は見惚れてしまう。


「君みたいな喋れる『アヤカム』って、多いの?」

「そう、それ!」


 獣は射すくめるような視線を少女に寄越した。


「まずは自分が何者か? 何者になったのか? それを正確に知る必要があったのよ」


 獣は小さな体全体を落とすように嘆息を吐いた。


「会うヒト、会うヒト、私を『アヤカム』だの『客人まろうど』だのと言って追いかけまわすの。まともに話ができるのなんて、アナタが初めてなのよ?」


 少女は周囲に転がる男たちを見まわす。


(確かに、こんなに可愛らしくて喋る「アヤカム」なんだったら、きっと珍しいのだから、あんな風に目の色変えて追い立てるヒトが多いだろうけど……)


 ヒゲ毛をピンと張り、獣は一歩、少女に歩み寄った。


「よかったら教えてくれると助かるわ。『アヤカム』って一体なに? 『客人まろうど』ってなんなの?」


 マジマジと見上げてくる「ネコ」。少女は、相手の真剣さに比して悪いなとは思いつつも「愛くるしい生き物だな」とまたも感嘆してしまう。


「いいわよ。私が教えてあげられそうなことなら、話してあげる」


 「でも」と少女は空を見上げる。


「日が落ちきってしまう前に、目的地に着いておきたいわ。歩きながらにしましょう」


 が、ひとまずは地図の道のりに沿って、少女と「ネコ」は並んで行く。


「『アヤカム』ってのは……。ううん、説明するとなると難しいわね」

「認識のすり合わせのほうが早いかな?」

「認識の……すり合わせ?」

「私たちの言葉はある程度通じ合ってるわ。私が理解するために、別の言葉に置き換えてみるの。例えばそうね。『アヤカム』ってのは、『ネコ』みたいなもの?」


 少女はひとつ瞬きをして、首を振った。


「『ネコ』が判らないわ」

「『ネコ』がいない、か……。『アヤカム』は『動物』みたいなもの?」

「動物とは、ちょっと違うかな。もう少し凶暴というか、害をなすというか……」

「モンスターってこと?」

「もんすたあ?」

「『モンスター』も通じない、となると……、害獣、怪物、魔物、妖怪、ケダモノ……」


 少女は「あ」と声を上げる。


「確か、『アヤカム』の古い呼び方に『ようかい』ってのがあるって先生に教わったことがあったような……。それに、『怪物』と呼ばれることもあるわ」

「なるほど、『アヤカム』ってのはやっぱり、モンスターのたぐいね……」


 「ネコ」はひとり得心顔になる。

 どうやらひとつの疑問は解決されたらしいと、少女も安堵した。


「『客人まろうど』ってのは『アヤカム』の一種なのかな?」

「ごめん。それは確か、『魔名まな教』の教えの中にあるヤツで、教会に通ったことのない私にはよく判らないわ」

「ふぅん……。『しゃべるアヤカム』が『客人』だったり?」

「う~ん……。ごめん、判らないわね……」

「そっか……」


 獣は考え込むようにして顔を落とす。

 しばらく歩きつづけてもその様子が解けないので、少女は今度は自身から「ねえ」と声をかけた。


「君はひとりなの? ひとりで旅をしているの?」


 「ネコ」は顔を上げる。


「もし、君がよかったらさ……」

「……クミよ」

「クミ?」

「そう。私の名前はクミ。『きみ』じゃなくて、呼び掛けるときはそう呼んでね」


 少女は息を呑んだ。


「名前が……。アナタにも『魔名まな』があるのね」


 クミは「違うわよ」と鼻を鳴らす。


「『魔名』なんて、得体の知れないものじゃない。『クミ』ってのは、私そのもの。私を私だと決めてくれる名前。この世界でも、変わらずに私の存在を定めてくれる証。それが私の名前、『クミ』よ」


 少女は呆然とした。

 クミの話が、彼女が自信たっぷりに言い放った言葉が、よく知る言い回しと重なったためだった。


「『主神は』……、『混沌の諸々を名で定め、居坂いさかをヒトの世とした』……」

「なにそれ?」


 不思議そうに見上げてくるクミに、少女は微笑んだ。


「『魔名教典』の最初の文。『天地創名そうめい』の一節よ。有名だから、私も暗記してるの」

「『魔名教』とやらのご神託ってわけね」

「今のクミの言葉、似てるよ……」


 少女が言うと、クミはどことなく気恥ずかしそうにした。

 なぜなのか、少女にはすぐには判らなかったが、まもなくひとつ、思い当たる。


(『クミ』って呼ばれてないんだ……。きっと、嬉しかったんだ……)


 少女は想像してみる。

 自らに「魔名」が授けられて、その場にいるヒトも、今まで出会ってきた色々なヒトも、先生も、皆が祝福してくれる。新しい「魔名」を、自分の「名前」を呼んでくれる。

 きっと、今の目の前のクミみたいに、自分も嬉しくなるに違いないのだ、と。


「アナタは?」

「……え?」

「え、じゃなくて、『アナタの名前は』って聞いてるの」


 クミの問いに「私に魔名はない」と少女は答えた。この答えは本日三度目となる。

 だが、相手の反応は、今日――どころか、これまでで初めての体験だった。クミは驚きのあまりなのか、顔からこぼれそうになるほどに目を丸くむいている。


「名前がないなんて……、私の常識とかけ離れてるわね……」

「そうかな?」


 「オ様」の人数が少ないこともあり、「未名」の子どもはだいぶ多い。

 だがそれも、少女と同じ十三ほどの年齢であればだいぶ解消されていく。少女には、先生とともに「世間」から離れてる期間が長かったという「特殊な理由」があった。


「『魔名』についても教えてくれる?」


 クミの求めに少女は頷く。

 その場で立ち止まると、地面に転がる木の枝を拾い上げた。

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