青天会談と大師が遺したもの 5

 さて、今度こそ話すべき内容が潰えたかのよう、沈黙が長くあったあと、おもむろにゼダンは立ち上がった。


「……まったくもって無益な内容であったな。私にとり、荷物が増えただけに過ぎん」


 明らかに退席の意図がある言葉。

 振り返りざまにゼダンは明良を指差し、「小僧」と言いつける。


「来るならば勝手に来い。近衞には通すように命じておく。迎えなぞ出さんし、旅費も出さん。間違っても、自らが大都だいと国賓こくひんだなどと思い上がるな。大都での貴様の身上しんじょうを、私が保証するなどと勘違いするんじゃない」

「無論だ。貴様の平手を見張れるなら、近衞でも奴隷でも甘んじて引き受ける」

「……その言葉、覚えておくがいい」


 身をひるがえしたゼダンの背に、クミが「待って」と声をかけた。

 男はぴたりと動きを止める。


「……カイナさんは……、どうなったの?」

「……」

「カイナさんは今、どうしてるの?」


 あざけるような鼻息を吹かし、ゼダンの背は「気になるか」と応じた。


「気になるわよ、そりゃあ。カイナさんは、その……、私の先輩みたいなものなんでしょうし……」


 ゼダンはネコへ、しっかりと正面で向き直ると「死んだ」とだけ告げた。まるで、相手が怨敵かのよう、憎々し気に見下げながら――。


「死んだって……、いつ死んだの?」

「……」

「カイナさんは、普通に……、居坂いさかで寿命を全うできたの? それとも、あなたと同じで何百年と生きてて、だけど、どこかで……」

「……貴様も客人まろうどなら、どうせ悲惨な定めであろう」


 憐れむかのよう、恨むかのよう、混然とした視線をクミに投げ続けるゼダンに、教主フクシロが「ありえません」と否定する。


「クミ様は、私たちと同じ、居坂のともがらとして生き抜く決意をしてくださいました。たとえ、客人に悲惨な定めがあるとしても、クミ様は従前の客人様とは違います。その定めさえ、乗り越えられるお方です」


 フクシロを引き継いで、美名が「教えて」と続ける。


「クミは……、本当は、『神世かみよ』で幸せになれるはずだったの。……いえ、違うわ。クミが望めば、これからだって『神世』に帰れるかもしれない。ミユキと一緒に、楽しい生活ができるかもしれない。でも、それを振り切って、私たちと一緒に生きてくって言ってくれてるの」

「……」

「だから、ねえ。教えて。少しくらい、教えてくれたって……」


 代わる代わるの詰め寄りに憔悴したかのよう、眉間に指をあて、うつむきがちになるゼダン。その姿から、「殺した」の言葉がぽつりと漏れ出た。


「……え?」

「……一千年前に、私が殺した」

「殺したって……、え?」

「これで満足か? ……辞するぞ。よいな?」


 苛立ちを露わにしたゼダンの姿は、卓上へを投げて寄越したあと、忽然と消えた。

 そのはスルスルと回転しながら滑り、フクシロの手前でピタリと止まる――。


「……唐突に現れ、唐突に消えるのが好きだな。去来きょらい術の使い手は」

「『殺した』って……、え? え? どういうこと……? カイナさんとあのヒトって、親し気なカンジっぽかったんでしょ……?」

「この前の話しぶりからすると、そのはずだけど……」


 困惑する一同のなか、フクシロは目の前の恐々こわごわと拾い上げる。

 それは、閉じられた扇であった。

 艶やかな黒塗りの骨に、開いた扇面では多彩な濃色が豊か。しかし、軽薄な感はなく、むしろ、重厚で華美な格調を、ほのかな芳香とともに匂わす――。


「これは、おお伯母おば様……、モモノ大師の得物の……」


 言いかけていたフクシロは、ふいに意識を飛ばされたかのよう、茫然とした様子になった。


「……フクシロ様?」


 すぐ隣にいた美名は、いちはやく異変を察し、彼女の身を揺すり出す。


「フクシロ様、フクシロ様ッ?!」

「え、ちょ、え?! どうしたの?!」

「……あの外道がッ! 最後にたばかったか?!」


 相手の姿が不在であるにもかかわらず、刀の柄に手を掛け、机上に足を乗せかけた少年だったが、「大丈夫です!」との叫びがはさまれ、ぴたりと動きを止める。

 叫んだのは教主その人。

 美名に揺すられていたフクシロは、気を失ったときと同様、前触れなく我に返り、明良を強く制したのだ。


「……異状ないか?」

「はい。なんともありません。ゼダンは、モモノ大師に会わせてくれたのです」

「……何?」


 いぶかし気な目を寄越す明良に、「幻燈げんとう術です」とフクシロは続ける。


「この『神代じんだい遺物いぶつ貫心扇かんしんせん』……。幻燈大師の得物に、あの方の姿が……、幻燈術が遺されていたのです」

「まさか……、『残心ざんしん』か?」


 「マ行・残心」。

 術がけした相手の心中に『意図を刷り込む』、マ行幻燈の高位術である。「カ行の丘」でゼダンと対峙した際、彼を介し、美名と明良がモモノの遺言を受け取ったのもこの魔名術であった。


「……この扇子にも『残心』が仕掛けられてたの?」

「……いえ。おそらくこれは、彼が術を移しかえてくれたのでしょう。幻のなかの大伯母様も、終始、ゼダンの心中しんちゅうに術を残したかのよう、仰っていました」


 美名らと同様にフクシロも、今この時、モモノの遺言を受け取った。

 潤む瞳を黒衣が消えたくうに向け、少女は「ありがとうございました」と声を震わせる。

 

「ゼダン……。私に、手向たむけをくださったのですね……」


 美名も明良も、意表をかれた。

 これこそ、ゼダンにとっては何も利するところがない。ひとつも得にならない。思いやりとしか呼べないこの施しは、果たして本当に、自分たちが刃を向けたコ・ゼダンが為したものであろうか。

 クミは、何故だか少し、温かい気持ちになれた。

 「真名」は――誰かを思いやる心は、かの黒幕でさえ持ち得ている。

 時間はかかるだろう。努力も要ることだろう。だが、きっといつか、ゼダンとさえ和解できる。他の何者とも、いさかいなど起きない。

 居坂から「争いがなくなる」日が、いつか、きっと――。


「休みましょうか」


 泣き笑いのあどけない顔を向け、フクシロが言った。


「……え?」

「休む……?」

「会談の直前、勧めてくださいましたよね。モモノ大師にも……、『根詰め過ぎはよくない。息抜きしなよ』と助言をいただきました。祭りに遊びに行きませんか?」


 突然の提案に目を丸くし、お互いの顔を見合らせる者ら。


「美名さんが旅立ち、明良さんが大都に赴くのは、それからにしましょう」

「でも、祭りって……?」

「確か、もうすぐ、ヘヤの町で『幻燈大祭』があったはずです。数年前に一度訪れたきりでしたが、『燈明とうみょうむかえ』がとても綺麗で……。大伯母様の最後に会うことができて、あの方と並んで見たその光景を、ふと思い出したのです」


 涙の跡に微笑をたたえるフクシロの顔は、晴れやかであった。

 幻燈大師との別れがそうさせたのか、遊興の思いつきに早くも心躍っているがためか、彼女の表情には、数刻前、美名が心配した不調の気配はすでにない。


みんなで、祭りに行きましょう」

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