少女と少年とネコ ヘヤ編

朧ろ灯りとふたり 1

 ヘヤの守護のために設置された古来よりの白壁しらかべ。壁の上では人々がひしめき合う。彼らの頭上では星空が満天であった。しかし、衆目が眺めるのは夜空でなく、海である。

 波に流され、近づく光。

 波に遊ばれ、遠のく光。

 暗色の上には無数に、ぼうとおぼろともしびが浮かんでいる。

 その数は海が映す星より多く、ゆっくりと、静かに散り拡がっていく――。


 年にいちどの、港町ヘヤの「幻燈げんとう大祭たいさい」。今日一日、町中にみなぎっていた活気喧騒に幕を引く、「燈明とうみょうむかえ」の光景である。


おかに近づく燈明は、これから居坂いさかに生まれいでるともがら。沖に流れていく明かりは、居坂を去り、魂の旅路に出た輩に見立てとる……、じゃったかな。確か」

「へえ。はかなくて、キレイですねぇ……」


 タイバ大師の解説に、クミが感嘆の声で応えた。


「イバちん、物知りだのん。ナ行識者しきしゃは、この先ずっと、イバちんだのん!」

「……ふふ。絶賛ですね、ニクリ大師」

「これだけの人数を、たった二日でこのヘヤまで運ぶのですから、まさしく、そのとおりですよね」


 自らの言を確かめるかのよう、オ・メルララは周囲へと目を流す。


 彼女のすぐ隣にはオ・クメンがいて、その奥には波導大師ニクリ。逆側には新任の劫奪大師となった美名と明良あきらが並び立ち、少女の肩上には客人まろうどのネコがいる。後ろには、控えるようにして教主フクシロとタイバ。

 附名ふめい術者らはの関係もあったが、この一行は、フクシロの「祭りに行こう」の誘いに乗った者らである。

 魔名教会の、名だたるこの顔ぶれが、人混みに紛れ、一様にほうけ、「燈明迎え」の絶景を眺めているのだ――。


「わざわざ言いたくもないがの。これで結構、疲れるんじゃぞ、『遊泳ゆうえい』の術は。乗せるヒトが増えれば、乗算で集中と体力を食われる。わしを、便利に使える馬車かなにかに勘違いしてはおりませんかな、フクシロ様よ?」

「ふふふ……。ご安心ください。今回限りです」


 老師の愚痴に、教主フクシロがたおやかに微笑む。

 それを横目で見ながら、クミはまたひとつ、安堵した。


 「幻燈大祭」は、本当に楽しいものだった。

 日頃の豊漁への返礼の意、海に供物を捧げる祭儀さいぎに参加したあと、目貫めぬき通りに盛んに出ていた露店を冷やかして回り、ヘヤではこの日に行われるのみだという演舞、演劇を興味深く観賞し、いつのまにか夜のとばりが落ちてしまい、この「燈明迎え」を見るため、行列に並んで壁上に昇る――。

 ヘヤを長らく導いてきたモ・モモノの逝去せいきょが公表されても――いや、だからこそなのか、賑々にぎにぎしい盛り上がりをみせた「幻燈大祭」。小さなクミも、その仲間たちも、皆でおおいに楽しんだ一日。


 この日、その華奢きゃしゃな肩に重責を担っていた少女教主は、ただの少女となっていた。見る物、聞く音、出会うヒト――すべてに心動かされ、感激していた。

 見返してきたフクシロの笑顔に、もう心配は要らないようだとネコは安心する。これより先、彼女が必要以上に背負いこみすぎることは、おそらくない――。


(さて、あとは……)


「あの燈明、沖で漁師のヒトたちが流してるんだって。光がいっぱいのあのなかに、きっと、ゴウラ親方もいるわ」

「美名が世話になったっていう、ふな番頭ばんとうか……」

「うん。……モモねえ様も、あの光のどれかよね。光になって、居坂を離れてくんだわ……」

「ああ。……そして、いずれ必ず、戻ってくる」


(……コッチね!)


 小さなネコは、何をか企むようにニヤけた顔を作ると、教主フクシロとクメン師へ、それぞれに目を配った。


「メルララさん」


 視線を受け取ったオ・クメンも、クミほどではないにしろ、悪童のような企み顔を浮かべたかと思うと、そのまま、傍らの同僚に声をかけた。


「昼間の『名づけ』について、少し、話したいことが……」

「何か……、不手際がありましたか、クメン様?」

「いえ。不手際はありませんよ」

「なにしろ、初めてで……。『名づけ』のあいだ、本来は名づけ師として、ただ目の前の子どもたちを想わなければいけないのに、正しく魔名を授けることができるか、それが度々にチラついて……」

「……ここではヒトが多いものですから、込み入った話もしづらいですね。いちど、下に降りましょう」

「はい」


 クメン師はネコと少年少女に向け、意味深げに目線を残すと、メルララと連れ立って離れていった。


「リィ大師」


 今度、声を上げたのは、フクシロ。


「ン? シロサマ、どうしたのん?」

「祭事長に少し、私から提案をしておりまして、此度このたびの祭りの締め、リィ大師にご協力いただきたいことがあるのです」

「何だのん? リィが協力することって……」

「……説明します。ついてきていただけますか」

「わかったのん! おぉい。美名ちん、明良ちん……」

「いいのです! おふたりは……」


 呼び掛けたニクリを強く制し、彼女の性根にしては強引な様子、フクシロは波導大師の腕を引っ張っていく。

 人混みに紛れる間際に残していった、これもまた彼女にしては珍しい表情――モモノに通じる妖しい笑みに、クミは頷いて返した。


(あとは……)


「タイバ大師!」


 美名の肩から飛び降りたネコは、タイバへと歩み寄る。


「なんじゃ、クミ様よ」

「トイレ行きたい!」

「……『といれ』とは? また、『神世』の言葉かの」

「あ、そうね……。うん。『お手洗てあらい』のことよ」

「なんじゃい。用足しくらい、ひとりで行けるじゃろうて」

「こんなにいっぱいのヒトでしょ? いいトシして、迷子になりたくないのよ」


 肩から重みがなくなったことに気付き、会話を聴き及んだのだろう、「私が行くよ?」と少女の声が入ってくる。


「私に言えばいいのに。ほら、行こう。クミ」

「あ、ああ、美名はいいの! ほら、アレ。タイバ大師にはアレ、『神世の稼ぎ方』のことで、まだ足りないトコロがあったから、それも話さないとな~って……」


 「なんじゃと!」と血相を変えたのは、当然、欲深のノ・タイバである。


「それを早く言わんか! もうすでに仕度したくをはじめとるんじゃぞ!」

「だから言ってんでしょうよ! ほら、行きましょ!」


 そそくさと、人いきれに混じっていく老人とネコの背後で「クミ、私は?」と、少女が追いすがる。


「美名はダイジョブ! ここにいて!」

「……うん」


 少し不可解そうに二色にしき髪を揺らす少女の顔。クミの視界では、大事な相方の相貌は人波の奥へと小さくなっていく。

 その少し向こうにいる、少年。

 彼は持ち前の洞察だろうか、何か感づいたものがあったらしい。咎めるような、詫びるような、複雑な目をネコにくれていた。


(……うまくやるのよ、明良!)


 夏の終わりも近い。日が暮れてからも長い。それだというのに熱い。

 少しでも熱気から逃れようと、小さなネコは小さな老人の背の上、たしなめられるのも無視し、上っていった。

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