朧ろ灯りとふたり 2

「いつのまにか、皆、いなくなってるね」

「……要らん世話をして……」

「世話?」

「……いや、何でもない」


 ひとつ首を傾げた美名は、もとの通り、明良あきらの隣に戻って燈明とうみょうの群れの光景に目をくれる。少しばかり目を離した間に個々の光は位置を変えており、あるところではまばら、あるところではかたまりを作っている。移ろい行く様にも超然とした何かを感じ、少女はあらためて見惚れていた。


「まだ早い。俺にはまだ、そんなこと、許されるものではないと……、そう思っていた」


 思い詰めたような少年の声音がふいに落ちる。独りごとのようでもある。

 美名が横を向いた先では、尖鋭な輪郭をそなえた横顔が、「燈明迎え」を捉えたまま、じっとしている。少女に面と向かう様子はない。

 やはり独りごとかと目を戻そうとしたところ、明良は横顔そのままに、「美名」と呼び掛けてきた。これもまた、思い詰めるような声音である。つられたのか、ピンと音が鳴ったかのよう、美名の心でも何かがひとつ、小さく弾んだ。


「どうか……、したの?」

「……俺にはまだ早い。魔名もなく、定住もなく、稼ぎもない。浮ついた身の上だ。あるのは多少の剣術と厄介な性根のみ。こんな俺がと、そう思う。それでも……、言わずにはいられない」

「……明良?」

「聞き届けてほしい」


 向けられた青灰せいはい双眸そうぼう。凛として澄んでいるその瞳は、燈明の景色に勝るとも劣らず、少女が見惚れてしまうもの――。


「俺は、お前が……。お前のことが――」


バァン


 少年の言葉は、轟音と光にかき消された。

 「燈明迎え」の海のうえ、星の夜空に突如として光が現れたのだ。ふたりは――ふたりだけでなく、周囲の観衆もビクリと身構えたが、直後、その光景に目を奪われた。


「……なんだ? アレは……」

「空に光で絵を……、花を描いてるみたいだね」


 美名が零したとおりで、光は線を描き、弧を描き、夜空に浮かぶ花を形作るようであった。広がっていき、やがて大輪となった光の花は、余韻もわずかに消えてなくなる――。


「光と音……。まさか、波導はどう大師がやったのか?」

「キレイだったね……」


バァン バァン


「あ、終わりじゃなかった」


 すぐにまた、花光はなびかりが夜空に咲く。

 三つ、四つ。六つ、七つ。

 無数に絢爛けんらんに咲いていく。

 ついには四方八方、空も満たされきってしまい、まるで、このヘヤの夜空、季節外れに桃の花々が開いたかのよう――。


「綺麗だが、少し、情緒が違わないか? 燈明の景色はなんというか、こう、静謐せいひつなものだったのに、音も激しいし、主張が強い……」

「あはは。リィちゃんらしくていいよ。皆もほら、喜んでる」


 屈託なく笑ってえくぼを深める少女に、明良は少しだけ小さく息を吐いた。


 自身の先ほどの言葉。想いを詰めたひと言。

 どうやら、美名のこの様子では、赤面せきめんこらえて少年が吐露した想いは、花光の音に消されしまい、彼女に聴こえては――。


「私もよ」


 満開の花を背にし、少女は笑いかけた。

 少年にとっては、燈明よりも、空の花よりも、遥かにまぶしい笑顔。


「……『私も』とは……?」

「私、耳がいいんだよ」


 笑みを深めた美名は、途端に顔を赤らめはじめた少年の手を取る。


「私も明良と同じ。魔名がなかった。旅するだけだった。ヒトから、先生から……、教えられたコトでなんとか生きていけてる、小さな子どもだった」


 少女の紅い瞳から、ひと筋だけの涙が零れ落ちる。

 燈明と花光と星とを映して、輝くしずく


「でも、この気持ちは、教えられたものじゃないわ。私が自分で……、私の心に見つけた、大事な気持ち……」


 美名は触れる手に、少しだけ力を込めた。

 応じて明良も握り返す。


「私も、明良と同じ……。あなたが好き」


 笑った少女の麗し顔は、明良がこれまで見て、焦がれてきたどの顔よりも美しかった。


「私の『よきヒト』になってください」

「……ああ。是非に」


 荘厳そうごんな「燈明迎え」を凌駕する、花光の嵐。そんな景色を背に迎え、ふたりはそれぞれの想いを成就させた。

 あらためると照れ臭くなったのか、ふたりで顔を見合わせて噴き出したあと、明良が「すまん」と笑う。


「……え? なんで謝るの?」

「いや……、お前にすべて言わせてしまったみたいで、不甲斐ない……」

「あはは。そんなこと……。言ったでしょ? 私には聴こえてたって。明良は立派で、格好よかったよ」

「……そうか?」

「そうよ。私の『よきヒト』だもん」


 ふたたびに笑い合う、美名と明良。


 花光に見惚れる群衆のなか、そんなふたりの近くでうろうろとする者があった。


「美名ちゃんたち、どこだろう」


 白外套を羽織った、年端もいかない少女。両脇で黒髪を編み、結び上げている。子どもらしい丸顔には愛嬌があって、大きな瞳は彼女の奔放ほんぽうな性格を表すかのよう、花光に燈明、周囲の人だかりへ、忙しなく動いていく――。

 ヘヤの附名手、ウ・カラペである。


「あ! いた、いた~」


 カラペは人垣の奥、絶景を眺めるのには最高の席、壁上のへりにいる美名の姿を認めると、顔を晴れさせた。カラペはどうやら、「燈明迎え」と、予定にはなかった最高の催しをともに楽しむべく、美名らの一行を探していたらしい。


「おぅい、美名ちゃ……、わぉっ?!」


 声を張り、相手の注意をひこうとしたカラペの足元、ふいに飛び込んできた影があった。


「あっぶな~……。って、クミネコちゃんじゃん!」

「し~っ!」


 少女の進路を阻んだのはネコ。小さな黒毛の客人まろうどは、相手に沈静を求める仕草をしたいのだが、丸まった五指ごしではできないのであろう。代わりに前肢まえあしを自らのしかめつらの前に持ってきて、カラペを見上げた。


「なに、何? どうしたのよ、クミネコちゃん」

「ペッちゃん、ダメよ。この先は!」


 言いながら、ネコはスルスルと少女の肩まで登ってきて、柔らかな顔を柔らかな肉球で逸らそうと足掻く。


「何なの? なにか、面白いカンジ?」

「いいから、ホラ、あっち行こう!」

「私にも教えてよぉ~」


 ネコの強引さに折れ、渋々とだが身を反転させたウ・カラペ。そのまま、誘導される方へと進んでいく。

 乗るにも難儀な華奢きゃしゃな肩のうえ、クミはチラリと後ろを見遣った。

 美名と明良。クミの大事な「名づけし子」たち――。

 花光に照らし上げられたふたりの影は、浅くだが、重なっているよう、クミには見えた。


(第三章の終わり)

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