夢乃橋事変の守衛手司と波導大師 2

 波導はどう大師ロ・ニクリに迫る「風韻ふういん」の「異音」と「風」。

 その音を聞けば身の自由は利かなくなり、その風にさらされれば為す術なく吹き飛ばされ、地に叩きつけられる魔名術。

 しかし、波導術の筆頭は――。


「リィが知らない術だ!」


 襲来する魔名術に対し、平手を掲げ上げた。


「こうかな? ふぅいんっ!」


キッキィイィン


 ニクリの平手からも「風」と「異音」が放たれる。


「ッ?!」


 両の手を上げたまま、双生そうせいの姉、ロ・ニクラは言葉を失った。

 少女たちの中央で、お互いの「風韻」はぶつかり合い――消える。


「できたのん! ふういんッ!」

「……私が…、やっとの思いで修得した術を……。ふざ、ふざけて……」


 わなわなと震えるニクラは、唇を噛み締め、キッと妹を睨みつけた。


「……ふざけんじゃないわ!!」


 拳を振り上げ、ニクラは駆け出す。

 鏡に映したような、自分と同じ姿。ずっと見てきた――もうひとりの自分に向け、突進していく。


「アンタが! アンタさえいなければッ!!」


 振り抜いた拳だったが、少女大師の波導の魔名術か、精緻せいち精巧せいこうに作られた残像を散らすのみ。

 少女の姿を背後に見つけ、ニクラはふたたび突進する。


「……勉学も習練もロクに努力しないで、いつもアンタは私の上を行くッ!」


 二度目のニクラの拳も、くうを殴っただけ。

 「十角宮じっかっきゅう」の屋根の上、波導の少女は自分自身のような残像を、ただひたすらに散らし続ける――。


「言動もおかしくて! ヒトとの関係も上手く作れない! 自活能力もない! そんなアンタを私はずっと助けてきた! かばってやってきた!」

「ラァ……」

「なのに、なのにアンタは! 学館がくかんに入った途端、本性を現した!」

「……」


 はじめは残像の――ニクリ大師の顔も、まるで児戯に楽しんでいるかのような笑顔だった。はしゃぐ子どものようであった。

 しかし、げきして拳を振り回す姉の姿。彼女の言葉。止まることのない突進。

 大師の表情にも、次第にかげりが見えてくる。


「何をやってもアンタは天才! 何を為しても私は努力のヒト! アンタの保護者! そう言われてきたッ! 言われ続けたッ! ふざけんなぁッ!」


 姉ニクラは泣いているようだった。

 妹ニクリの残像も涙を零していた。


「それでも私は、アンタと……! アンタと! 一緒に大師を目指そうって誓った! その一年後よ! アンタが波導大師に任命されたのはッ! 『異例の早さ』だって! 『史上最高の波導大師』だってッ!」


 拳を振り抜き続けたニクラは、息を切らしはじめる。

 それでもなお、妹を見る眼力には鋭さが増していく。ますます落涙は激しくなる。


「判るッ?! 私がどれだけ惨めな思いだったか! どれだけアンタを憎んだか! いっつもヘラヘラしてまとわりつくイヤな顔! ご機嫌取りなのか、教練で私にあからさまに手を抜く! ヒトの気も知らないで!」


 何十と拳を放ってきたであろう。

 ついに体力が底を突いたのか、ニクラは膝を折った。


「はぁ……、はぁ……。ふざけんな……。ふざけんなよ……」

「ラァ……」


 波導の大師ニクリは、ポタポタと涙を落とし、ひざまずく姉を見下ろす。

 彼女には、姉の苦悩を理解することはできない。今のこのやりとりで理解できるのであれば、これまでのどこかで気付くことができていたはずなのである。

 ニクリはただ――哀しいのだ。

 最愛の姉が泣いている。

 悔し気に膝をついて、嗚咽を上げている。

 最愛の姉の、下を向いて泣いている姿が哀しかった。

 ニクリはただ――悔しいのだ。

 こんなに星が輝く夜なのに。

 こんなに月が綺麗な夜なのに。

 大好きな姉と早く仲直りして、素敵な空を一緒に見上げようと思っていたのに、姉の涙を理解できない自分自身が、悔しかった。


「……全力……、出せばいいのん?」

「……はぁ、はぁ……、は?」

「リィがラァに、全力出せばよかったのん?」


 ニクラは顔を上げた。

 見下して、ヘラヘラと笑ってるだろうと思って見上げた妹の顔は――ハラハラと涙を流す泣き顔だった。


「何……、言ってんの?」

「ラァに、全力を出したらよかったのん? リィが大師に、ならなければよかったのん?」

「ば、馬鹿じゃないの? そんなこと……言ってない……」

「言ってたッ!」


 ニクリ大師が叫ぶ。すると――。


ゴッシャッアッ!


「きゃぁッ?!」


 日光が一瞬だけ差したような明滅に辺りはさらされ、耳を壊すかのような轟音が鳴り、「十角宮」の屋根は爆裂して穴を開けた。

 雷である。

 雲ひとつない天空が突如、雷鳴を放ったのだ。

 ニクラは咄嗟に頭を抱え、身を縮こませる。

 ニクリは涙を流しながら、下唇を噛んでいる。


「……ニクリ……、ニクリィッ! なんで今、『雷電らいでん』なの?!」


ズッガァアッ!


 ふたたびの「雷電」のとどろきに、「ひッ」と声を上げ、ニクラはさらに身を小さくさせた。

 先ほどよりも近い落雷の衝撃に、ニクラは屋根の上を転がされる。


「リィ、ラァと全力で勝負する! それから、大師も辞める!」

「……なんでそうなるのよッ!!」


 身を起こしながらのニクラの怒声が、雷鳴よりも強く、快晴の夜空に響いた。

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