夢乃橋事変の守衛手司と波導大師 1

ゴーン ゴーン……


 時刻を告げるかねが鳴る。うしの刻を報せる、きの鐘――。


 魔名教の主都、福城ふくしろの「教会区」。

 夜陰やいんに紛れて、区境くざかいの壁より、教会区内部に降り立った者がある。


(守衛手の警戒はが脱けたコトでガタガタ! 侵入も容易い!)


 波導はどうの使い手、福城の守衛手しゅえいしゅ、「魔名解放党」の首魁しゅかい黒頭こくとう」の正体――ロ・ニクラである。

 まとめ髪を揺らしながら、静まりかえった区内を駆け抜ける少女。先日の美名との闘争で負ったのであろう、ほおの腫れが未だひいておらず、痛々しい。

 だが、苦々し気な彼女の表情は、その傷の痛みによるものだけではない――。


(美名ッ! アンタが大橋の護りに行ってることは済みよ……。でも、それは見当違い! 私はこれから魔名教を……、教主を討って、ひっくり返す!)


 かの闘争を経て、波導の少女は、二色にしきがみの少女になみなみならぬ敵意と憎悪を抱くようになっていた。


(たとえ私の前に立ちはだかろうが、今度はおくれをとらない……!)


 走り続けたニクラは、「十角宮じっかっきゅう」に辿り着いた。

 目指す主塔はこの宮城きゅうじょうの内部、中庭の中央にある。もはや、目と鼻の先。

 こんな深夜にまだ勤仕きんしに励む教会員がいるのであろうか、ひとつふたつ見える窓の明かりに舌打ちを鳴らすと、ニクラは「十角宮」の外壁を周る。そうしてようやく、明かりもなく、誰も残っていないであろう区画を見つけた。

 ニクラは窓のさんや外壁の装飾突起、雨樋あまどいを巧みに利用し、身軽に屋根上へと登った。

 身を起こし、星空に浮かぶ主塔を見据える――。


「こんな、努力が報われない世界……、私が壊してやるッ!」


 吐き捨てるように言うニクラだったが――。


「どうやって壊すのん? ラァ」

「……決まってるわ! あの主塔ごと教主を……」


 もし、この場に以外の者がいたら、それはまるで、たったひとりの者が発した自問自答のように聴こえたことであろう。それほど、であった。

 だが、ニクラ本人は当然、気が付く。

 屋根上に自分以外の誰かがいることを。

 声の主の姿を確かめるまでもなく、その問いかけが誰のものであるかを。

 ニクラは左手の「十塔じゅっとう」のひとつ――「ラの塔」を見上げる。


「ニクリッ!」

「やほやほ~! ラァ!」


 咎めるようなニクラに、全く同じ声色の間の抜けた挨拶。

 続けて、搭上より舞い降りてくる影――。


「久しぶりだのん! リィ、ラァと会えて嬉しいよぉ!」


 現れたのは、小柄な少女であった。

 手を加えたのであろうか、身に着けている外套衣は「外套衣」ではなく、長い襟巻えりまきのよう。降下してきた余韻か、縁取りの花柄の金糸刺繍が、遊ぶように夜風にたなびく。

 ごく短いたけはかまからはすらりと細い足が伸びており、ひざ下からの靴下履きが少女のふくらはぎの曲線を際立たせる。ひどく底が厚く、先端が丸く膨れた革靴は、居坂では見たこともない意匠いしょうである。

 少女の頭髪は、だいだいがかったクセ毛。両脇でまとめられた束が、ぴょんぴょんと跳ねていて、この少女の内面の活発ぶりを表しているようだ。

 そして、容姿は――ニクラと瓜ふたつ。ニンマリと頬を緩ませ、瞳を輝かせてニクラを見てくる。

 夜空の下、「十角宮」の屋根の上で少女ふたりが向かい合う光景は、浮かべる表情と顔の腫れの違いはあれど、鏡を合わせたかのようであった。


「ラァ、年始も働きづめでおウチに帰ってこないから、リィはもう、さみしくてさみしくて……」

「なんで……、なんでニクリがここに……」

「グンカちんの動力どうりきでぴゅーんって来たんだのん! 空を飛ぶのって気持ちいい!」


 拳を振り上げ、片足を曲げる少女、ロ・ニクリ。

 彼女こそはロ・ニクラの双生そうせいの妹であり、当代の波導大師なのであった。

 楽しそうに手足をばたつかせる妹に、ニクラは苦々しさを隠さずに睨みつける。


「どうやって来たかじゃない! どうしてここにいるのかって訊いてるの!」

「どうしてって……」


 波導大師ニクリは、人差し指を流麗な線のあごに添え、「むふ」と屈託なく笑う。


「モモちんから聞いたのん! ラァが悪いコトしてるって! そしたらリィ、仲良し姉妹しまいとしては止めないといけないのん!」

「……幻燈げんとうのババア、余計なコトして……」


 ギリリと音を立て、ニクラは歯軋りする。


「……邪魔をするなら殺すわよ、ニクリッ!」

「ひぃ! ラァ、怖い……」

「……ッ!」


 妹の様子に、姉は歯軋りを深める。

 びくりと大仰に震え怖がる大師が、ニクラには許せない。

 自分には、ニクリを殺すことは決してできない。その力量差を判っているくせに、わざとらしいその素振りが許せない。

 自分と瓜ふたつの顔、瓜ふたつの姿が許せない――。


「……そういうところよ! ラ行・風韻ふういんッ!!」

「んのぁ?!」


キッキィイィン


 「ラ行・風韻」。

 美名を苦しめた、身動きを封じる波導の音が「十角宮」に木霊こだまする。 


「フーイン?!」


 続けて、ニクラの両の手のひらから、「風」が巻き起こる。

 バキバキと、荒々しく瓦を剥がしながら「風韻」の「風」が波導大師に迫る――。

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