夢乃橋事変の守衛手司と波導大師 3

「ラァはそうしたかったんでしょ? リィと、全力で勝負したかったんでしょ……?」 


 波導はどう大師ニクリは、姉であるニクラに平手をかざし向けた。


「……ッ?!」


(この、馬鹿ニクリ! どこをどう汲んだらそういうハナシになるのよ!)


 内心で毒づきながら、ニクラの冷や汗は止まらない。

 相手は実の妹とはいえ、当代の波導はどう大師。

 その実力の高さは、誰よりなにより、自らがよく知っている。いつも傍にいて、いつも見てきたから、知りつくしている。

 そして彼女の、キッと唇を結んだ表情が意味するところも。

 今のニクリは、――。


(私、死ぬの……?)


 ニクラは駆け出していた。

 屋根の上を、中庭に向け駆け出していた。


(まだ死ぬわけにはいかない! 「烽火ほうか」を為さずに死んだら、ゼダン様に合わせる顔がないッ!)


雷槍らいそうッ!」


 背後から聴こえる、ニクリの詠唱。

 屋根から飛び出すように踏み切ったニクラの頭上から、雷光が降り落ちる――。


「ラ行・磁渦じかァッ!」


 身を落としながらの空中で、ニクラは魔名術を放った。

 「ラ行・磁渦」。

 雷を操る「雷電らいでん」の、前段階にあたる魔名術である。

 そして、この魔名術は、雷光を捻じ曲げる効果でも知られていた。

 しかし――。

 

ゴッシャァッ!


「ふヴッ?!」


 その効果も微々たるもので、雷の槍はニクラのすぐ近く、彼女が足を踏み切った屋根上に落ちた。

 「十角宮じっかっきゅう」の回廊部分――屋根から地上まで、実に三階層分もの破壊。一瞬のに、巨大な槍に貫き抜かれたかのよう。

 その爆撃の衝撃で吹き飛ばされ、ニクラは受け身を取れずに地面に落ちる。


「……ッうぅ……」


 肩を強く打ったようだった。

 しかし、彼女はすぐに立ち上がり、中庭の中央に目掛け駆け出す。


(ニクリ……。アンタを利用するッ!)


 大きく鈍い痛みで、上手く腕が振れない。

 肌を晒していた足にも大きな擦り傷を作ってしまい、覚束おぼつかない。

 それでもニクラは走った。


(アンタの『雷電』に……、私をさいなんだその才能に、主塔を壊させるッ!)


「ラァは、私を見捨てないでいてくれたのん!」


 背後で妹の声がする。

 雷光がニクラの前方、影を作る。


「ラァは、リィの初めての『奏音そうおん』を『綺麗な音だね』って褒めてくれたのん!」


 庭園がえぐれる。

 木々が破裂し、木っ端が舞う。

 妹の雷撃は、姉を追って地上に降り注ぐ。


「リィは嬉しかった! いつも迷惑かけてばっかりのラァに褒められて、すっごく嬉しかったのんッ!」


 雷鳴の騒々しさの中であっても、ニクリの叫びは明瞭に届く。

 波導の妹の叫びは、悲痛に響く。


 走る姉は、幼い頃の自分たちを思い出した。

 「ラ行波導」の初歩術、「奏音」。

 先に波導の音を奏でた自分に追いつこうと、泣きながら平手を振るいつづける妹。

 そんな妹に、得意気になってコツを教えてやる自分――。


「だからリィは頑張った! ラァにはふざけてるように見えてたかもしんない! でも、リィはまた、褒めてもらいたかったのん!」


 ニクラは、雷光の中に過去を見た。

 「段」への昇段試験が近い、とある夜。

 ふと目が覚めると、妹ニクリが蝋燭ろうそくひとつの小さな明かりの下、机に向かっている光景――。


(……だから何?! だから何だっていうのッ!)


「でも! そんなリィが、ラァの迷惑だったなら! ずっと……、ずっとずっと! ラァの邪魔だったなら! リィは、リィは……」


 ニクラの足は止まった。

 疲れか、躊躇ためらいか、妹の叫びが途切れたのと同時に止まった。

 前を見ていたわけではない。

 自分がどれほど進んでいたかも判らない。

 しかし、涙でグシャグシャの顔を上げると、そこはちょうど、主塔の寸前であった。白亜はくあの塔が高くそびえる真下であった。


「リィはいなくなるのん! 大師を辞めて、ラァの前からいなくなるのん! だから、ラァは悪いコトしないで! 元のラァに戻ってほしい!」

「……だから……、なんでそうなるのよ……」


 ニクラは振り返る。

 十数歩後ろに妹はいた。

 当代の波導大師は、自分と同じ顔で、自分と同じに泣きじゃくっていた。


(この位置なら……)


「撃ちなよ、ニクリ……」

「……」

「私を撃って」


(私のこの位置なら……、「雷電」に主塔を巻き込める……。この、居坂の象徴を、ぶっ壊せる!)


「撃てッたらッ!」

雷砲らいほうッ!」


 ニクリ大師の両手が、天に突き立てられた。


ゴッガァァアッァ!!


 夜空は白み、地を揺るがす爆音が響く。

 に迫る、雷の砲――。


「ッ?!」


 雷が落ち来るのは、ニクラでも主塔でもなく、術者本人――ロ・ニクリの小柄な体躯に向けてだった。


「リィが消えるから!」

「この、馬鹿リィッ!」


 ニクラは稲光に向け、両手をかざす。


「ラ行・磁渦ァぁァッ!」


 しかし、大師の全力でばれた波導のいかずちは、進路を曲げない――。


(死ぬ……。ニクリが死ぬ……)


「ふざけんなぁあぁッ!!」


 ニクラは跳び出していた。

 自分と瓜ふたつの妹。

 ともに育ち、ともに波導の魔名を貰い、いつの間にか道を違え、一方的に妬み憎んできた相手。

 居坂など壊れてしまえばいいと願ったキッカケ。


「ラァッ?!」


 ニクラはすべてを忘れて、雷と妹の狭間はざまに身を投げ出していた――。


(死ぬ……。ふたりとも、死ぬ……)


 しかし――「雷砲」が双生の少女たちを貫くことはなかった。

 突如飛来した、を境にして、雷は天空に弾き返され――消えていった。

 ――庭園内には宵闇よいやみが戻り、静寂のみが落ちる。


「……死なな……かった……?」

「うぁああぁん! ラァァア!」


 泣いてしがみつく妹とともに、その場にへたり込むロ・ニクラ。死を覚悟した巨雷の余韻よいんに、腰を抜かしてしまっている。

 ひとりは泣きわめき、ひとりは呆然。

 激しい感情を、それぞれに担当するかのような相似のふたり。

 そんなふたりに、頭上から嘲笑の声が浴びせられた――。


「あ~あぁ……、波導の熟達がふたりも揃って、だらしないねぇ……。福城ふくしろが誇る庭園も、よくも見事に壊してくれたもんさね」


 ニクラは頭上を見上げる。

 主塔の屋上。

 自分たちを見下げる、何者かがいる。

 遠目ではあるが、月光に輝く金色の長髪。妖艶に口元が笑っている。


姉妹しまいゲンカは終わったのかい? だったら上がってきて、お茶でもしようじゃないか」

幻燈げんとうババア……」


 高く主塔より見下ろすのは、幻燈大師、モ・モモノであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る