遠く隔てる心配と物貰の魔名術 1

「トキおばあちゃん、ただいま……」


 セレノアスールに唯一の書店、「悠夕ゆうゆう書架しょか」の敷居をまたぐと、美名はか細い声を出した。

 この書店にひとりで暮らす老店主、ニ・トキは、昨日からの泊まり客である愛らしい少女とネコとが、朝に出て行く際の言葉どおり、ちゃんと戻ってきてくれたことには嬉しく思った。しかし、のなか、少女がどうやらであることに、老婆は出迎えの笑顔でなく、心配のしわを刻む。


「リン様には会えなかったンかい?」

「……」


 無言の美名に代わり、「うん」とネコが答えた。クミもクミで、声に力がない。


「こんな時間になるまで粘ったんだけど、さっぱり……」

「そンかぁ。だから、そんなに沈んでるんだぁね……」


(そう。それもあるんだけど……)


 蒼白と言っていいほどに顔を青冷めさせている少女を見上げ、クミは小さくため息を吐いた。


明良あきら……。あの子、「」って、どういうコトよ……)


 昨晩にふたりが就寝する間際のことである。

 明良とのやりとりに使っている「神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし」がぼんやりと光った。

 二日続けての少年からの手紙である。この半年でも初めてのこと。

 はじめは顔を輝かせ、そのことをクミにからかわれつつも、笑って紙片を広げた美名だったが、「読み進める」などとは言えない端的な内容に目を通すなり、少女の気は動転しきってしまった。当然、すぐに筆を握る。


 「どういうコト?」。

 「何があったの?」。


 しかし、少年からの返答は「勝負をした結果だ」、「心配無用」などと言葉足らずになっていくばかり。ついには、「すまん。返答できなくなる。一日に一度は必ず目を通すようにする」とだけ寄越してくると、それきり、まったく連絡をくれなくなった。

 そこに至って、「やりとりの内容を見ない聞かない」という取り決めをいったんは無しにして、美名は明良からの便りの内容をクミにも話す。そのときの少女は、ほとんど涙目であった。

 聞き終えたネコは、まず真っ先に自らの首元の「指針釦ししんのこう」を確認した。神代遺物の針は、青い色で光っている。

 「わざわざ報告をくれて、一応は返事もしてたんだから、今はなんとかダイジョブってことでしょ」、「明日に備えてちゃんと寝よう」、となだめたクミだったが、少女はひと晩の間、眠れなかったらしい。朝になるなり、目の下にくまを作った美名は、「大師様に会いに行こう」とネコを急いたのだった。


 だが、今日も当然、ヤ行の大師と会うことは叶わなかった。

 昨日と同様、待合室には通されたが、ルマ執務部長にいくら求めても、ヨ・ハマダリンは姿を見せない。時間が経つごとに焦る様子が露わになっていく少女に、いよいよ怪訝けげんな顔になったルマが遠回しに辞去を勧めるも、少女は大師を待ち、明良の手紙を待ち、室に居座り続けた。

 クミはクミで、先にひとりで教区館を出ると、船着き場に向かった。セレノアスールでの任務が終わり次第、すぐにでも明良の元へ向かえるよう、船の運航を確かめるためである。

 しかし、そこでも思惑が外れた。「大都だいと大陸行き」の船は、かの地の情勢を危ぶんだ大師の命により、ここしばらく運休しているのだという。なんとか船は出せないものか、ネコは船乗りたちに嘆願したが、皆、一様に首を振るのであった。

 ふたたびに合流したふたりは、夕刻を過ぎて、さすがに教区館を出る。

 帰り道、美名は祈る思いで相双紙を確認するも、やはり、明良からの便りはなかった――。


「どうしよう、クミ……」


 宵闇よいやみに呑まれる書店内で立ちすくみ、雨垂れをぽつりと落とすように美名が呟く。


「どうしようって……」

「早く大都に行かなきゃ……。でも、大師様とも会わないと……」

「美名……」


 慰めの言葉も尽きていたクミは、下を向いてため息を吐くことしかできない。

 そこでふと、視線を感じたような気がして顔を上げると、店内の書棚の前、昨日と同じような位置、昨日と同じ人影があった。

 白い外套がいとうの緑髪。唇に通された銀装飾。


(あれは……、「ヨイちゃん」。今日も来てたのね……)


 「ヨイちゃん」は、心配そうな顔つきで少女に目をやっている。それがまるで、「ヨイちゃん」自身が心を痛めてでもいるように沈んだ面差しなものだから、逆にクミは、少しだけ気を取り戻すことができた。


「美名」


 小さなネコは、少女に呼び掛ける。


「今回の件、ナシにしてもらえるよう、フクシロ様にお願いしてみよう」

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