放浪の名づけ師と消し去られた町 2

 若き教会教主と老名づけ師。

 お互いに引かず、睨み合いのようでもある沈黙は、ひどく長く続いた。


「……トジロ様」


 そこに、おずおずと入り込んでいったのはクミである。


「あ、私、クミっていいます……」

「このような身のうえになって客人まろうど様にお目にかかろうとは、幸甚こうじんです」


 相手はネコに向け、うやうやしく「襟手きんしゅ」の姿勢を取ったが、その目に宿る警戒の色はいくらも解けていない。


「トジロ様。黙ってるってことは、なにか知ってる……黙らなきゃいけないようなことをなにか知ってるってことですよね?」

「そう取って頂いて構いません」

「でしたら、お願いします。話してもらえませんか?」


 色違いの双眸そうぼうで見つめるクミだが、彼女の願いに応えて老人の白い髭が動くような気配は、一切見られない。


「もう、明良あきらみたいに魔名を奪われちゃうヒトも、セレノアスールみたいに暮らしを壊されちゃうヒトたちも、見たくないんです。こんなの、ゼッタイにダメなんです……」

「……」

「美名が……、私たちの仲間が、前に言ってました。トジロ様が捕まる前に、話してくれてました。その子は、『未名みな』の期間が他の子よりもずっと長くて、魔名に憧れてて……。名づけ師のヒトたちにも憧れてたんです。なかでも、『放浪のトジロ様』は、他の名づけ師が寄り付かないような山奥や辺境、ヒトが少ない人里にもちゃんとやってきて、『未名』の子に魔名を授けて回ってる、穏和で慈しみ深い名づけ師様だって。お会いしてみたいって、すごくいい顔して言ってたんですよ?」


 話している最中に、クミは気付いてしまう。

 相手には、自らの訴えなど少しも響いていない。顔色ひとつ、目の色ひとつ変えず、時を止めたようにただ顔を向けてきているだけ――。

 クミにはそれが、なぜだか無性に悔しかった。


「名づけ師って、そんなんじゃないですよね? 居坂中を歩いて旅するなんて、アヤカムに襲われちゃうかもしれないのに、クメン様みたいに、誤解されて危険な目にも遭うかもしれないのに、それでもやれるのは、ともがらのみんなを大事に思ってるから……、だからやれることなんですよね?!」

「……」

「セレノアスールや小豊囲こといやラプトの……、死んじゃったり、消えちゃったヒトのなかには、トジロ様が名づけたヒトもいたかもしれないんですよ?! それなのに、なんで……、なんで、そんなに涼しい顔してられるんですか……」


 気持ちがたかぶり、投げつけるようになった言葉も、やはり、少しも届いていないようだった。

 クミの視界で、名づけ師トジロの姿が歪んでいく。


「トジロ師。これから話すことは、魔名教会教主としての提案です」


 言葉を失い、伏せるようになったネコに代わり、フクシロが引き取っていった。


「トジロ師に対しては、すでに何度も尋問が行われるも、黙秘を貫き、生半可なマ行幻燈げんとうでは読みきれないほどの頑強な精神……。ゼダンの謀略に加担し、異教の流布をなしたる罪。シアラの魔名強奪に加担し、この事実を秘匿したる罪。これらの罪はいまだ『疑い』の域で確定できず、拘留が続く現状ですが、もしも、レイドログとシアラについて、今、この場で何をか話してくださるのであれば、これらの罪科について、減免を最大限に考慮いたします」

「……」

「真実なのであれば、『知らない』の一語でも構いません」


 この提案は、四人のあいだで事前に打ち合わせてあった、クミいわくの「司法取引」――有益な情報を提供する代わり、処罰の軽減を図らう誘いである。

 だが、少しの逡巡を見せたあと、フクシロが続けた言葉は、事前の打ち合わせにないことだった。


「しかし、黙秘をお続けになれば……、当然、拘留は続き、今後の尋問は、となっていきます」


 フクシロがわざわざ強調するように言ったものだから、その意味するところを、場の誰もが瞬時に理解することができた。「苛烈に」――つまりは、「暴力に訴えて聞き出す」とフクシロは言っているのである。

 ニクラとニクリ、クミの三人は、およそフクシロらしからぬ発言にハッとし、彼女に視線を集めるも、少女の冷徹な面持ちにもまた驚かされ、その決意のほどをうかがい知るのだった。


「モモノはどうしましたか?」


 だが、トジロは、いとも穏やかな声音で別のことを問いかける。


「あの子であれば、このように回りくどいことをせず、私の記憶を読むなど、容易いことでしょう。いえ、すでに半年前のあのとき、私の心から得られるものは、すべて抜き出していったはずです」

「……」

「あれから姿を見せませんが……。うすうす予感していたとおり、あの子は、魔名を返しましたかな?」

「……」

「返したのでしょうね」


 「あなたの仲間だったゼダンにね」と声を荒げたくなるクミだったが、トジロの表情の変化に気付くと、その勢いも急に消えてしまった。

 それは、この部屋に入って以来、彼が見せたなかではもっとも大きく、もっとも深い感情の発露――モモノの死を哀しむような姿。

 しかし、次の瞬間にはもう、トジロの表情は凝り固まった岩に戻っている。

 

「苛烈な尋問でも、幻燈術でも、いくらでも試みるがよいでしょう」


 クミらは思い知らされた。

 この偉丈夫に口を割らせることはできない。

 同情にも脅しにも、なんら揺らぐことはない。

 獄中の生活がそうさせたのか、彼は強固な覚悟を抱いており、それを崩すことはできそうもない。

 場には、諦めの空気が流れはじめていた――ただひとりを除いて。


「じゃあひとつ、試させてもらうよ」


 ロ・ニクラは、軽い調子でそう言うと、椅子から立ち上がる。

 

「ニクラさん……?」

「ラァ、何を試すの?」

「フクシロが隠し手を披露して、クミが涙を誘って……。らしくもないことをしたふたりに代わって、私だけでもをするのよ」

「『ラァらしい』って……なんだのん?」

「早速、ラ行の術で痛めつけるというわけかな?」

「さぁね」


 トジロの勘繰りに意味ありげな笑みを返すと、ニクラは、フクシロとニクリに、自身と同様に立ち上がるよう、催促した。

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