少女と少年 福城編

津絹の裏路地と罪人の少女

 息遣いも荒く、人家の隙間、暗い路地に身を潜める者があった。


「はぁ、はあ……。どういうこと……? どうなってるの?」


 警鐘けいしょうが鳴り響くなか、真紅の目を泳がせ、路地の左右に目を配り、誰もいないことを確認すると、少女はその場に座り込む。


「なんで……、なんで追われるの……?」


 もうひとつ、「なんで」とつぶやく少女。

 美名である。

 「夢乃橋ゆめのばし」の夜、主塔での司教ゼダンとの争いの果て、彼女の身柄は司教の「何処いずこか」にとらわれたはずである。なのに、今現在の彼女の姿は、「何処か」でも福城ふくしろでもなく、この港町、津絹つきぬの裏路地にあった。

 なぜか。


(気づいたら……、私は見たこともない、麦畑みたいなトコロにいた……。畑仕事のヒトを見つけて聞いたら、ここは大都だいとの大陸……。本総ほんそう大陸の福城から、海さえも渡って、大都大陸まで来てた……)


 少女は自らの腰にがるかたなざやに目を落とす。

 白い、何かの動物を模したものであろうか、刀の抜き口のところ、プラリと揺れる根付ねつけものを見下げる。


(「神世かみよ」に行ってたせい……? 「神世」から帰って来たから?)


 ともかくも、それからの美名は福城を目指し、急いだ。

 ヒトに道を尋ねながら、時には使役しえきの早馬を貸してもらいながら、美名はまず、海を渡ることを目指した。

 そうして、ほとんど休むことなく移動してきた四日目、この津絹の町に辿りついたのである。

 だが、この町では異状が待っていた。


「……ッ!」


 表通りにヒトが近づいてくる気配を察し、美名は身を縮める。

 裏路地のなか、気配を殺し、闇に身を溶け込ます。おかげか、近づいてきた者らは少女の存在に気付くことなく、会話を始めた。


「どうだ? 餓鬼がきはいたか?」

「いえ。まだ見つかりません」

「そろそろ日も暮れるぞ。守衛手がぞろ揃ってたにも関わらず、町中に逃がしてしまった汚名、早くすすがねばならん。なんとしても捕らえるんだ!」


 上役うわやくかつの直後、津絹の守衛手らは散開していく。


「……ふぅ」


 彼らの気配が辺りから消えたのを確認し、美名は小さく長く、息を吐く。


(……渡海を目的にやってきたこの町で……。どうしてだか私は、……)


 津絹の町は、同じ港町とはいえ、ヘヤほどには大きくない。

 美名が遠目で見た限り、町に囲いはあるが、門衛を置くような規模の町ではなかったはずである。

 だが、門衛はふたりいた。

 町に入ろうとする者、出ようとする者の全てを、ひとりひとりあらためていたのだ。

 

 それだけで不穏を察していれば、いくらかよかったのかもしれない。

 だが、道行きを焦っていた美名は、町に入ることを急いだ。

 律儀に身元検めの列に並んだ美名だったが、まもなく、どこから現れたのか、武装した守衛手に囲まれた。

 何かの誤解か、と捕り物を止めるよう訴える美名。

 しかし、守衛手らは耳を貸さず、少女に槍を向けてきたのだ。

 やむを得ず、美名は「かさがたな」を抜いた。

 守衛手の輪を突破し、町中まちなかに逃げたのだ。

 そうして、今に至る。


「いたぞッ!」


 さきほど会話が聴こえた側とは逆側、守衛手の影が叫んだ。

 常時の美名であれば接近には気付けていたはずだが、今の彼女は寝るも惜しんで移動を続けてきたのと、不意に起こったこの逃走のため、衰弱が著しい。注意がれがちになっていた。


「くっ?!」


 迫りくる影とは反対側に美名は駆け出す。


「出てきたぞッ!」

「捕らえろ!」


 裏路地から飛び出した先、表通りでも、さほど遠くないところに守衛手の白衣が散見された。

 薄暮れかけた通り。

 美名は人影のない方へ、その小柄な身を急転回させた。


「待てぇっ! 咎人とがびとが!」


(……咎人?)


 背後で恫喝する守衛手の言葉に、美名は耳を疑う。


「なんで……、なんで私が咎人ッ?!」

「主都を騒がし、この津絹をも騒がせようというのか!」


 謂れのない罪に歯噛みし、美名は駆ける。

 だが、疲れもあり、町のつくりも知らないがため、後続を振り切ることは適わない。


 やがて、美名は袋小路に行き当たった。


「……ッ!」

「手間取らせて……」


 直後、三人の守衛手が袋小路の出口を塞ぐように立ちはだかる。


「おとなしく捕まるんだ……」


 じりじりと迫る、槍の穂先。

 両側は石造りの二階建て人家。背後は、これも石造りの町囲い。

 、美名にはもう、逃げ場はない。


(「奪地だっち」を使うしかないの……?)


 「奪地」とは、美名が名づけた「重みを奪う」劫奪こうだつ術のことである。

 これで自身の「重み」を奪えば、飛翔することができ、この場から脱することがかなう。どころか、はじめからこの術を行使していれば、町を脱け出ることはおろか、自分自身で容易に海を渡れたはずである。

 しかし、すでに美名は、「『ワ行・奪地』は危険である」と認識していた。


 それは、美名が「神世」から帰ってすぐのことだった。

 「自らの『重み』を奪い、『嵩ね刀』を振るうこと」。

 それが「神世」と居坂を行き来するすべだと学んできた美名は、念のためにとそれを試したのだ。

 しかし、神世往来おうらいの術は為し得なかった。

 いくら刀を振ろうが、無駄だった。

 そのことにも困惑した美名だったが、それ以上に、自らに訪れたあまりに急激な疲労と不調にも当惑した。

 ただの十数回、重みを奪ったままに刀を振っただけである。なのに、あまりに頭痛がひどく、鼻血が止まらず、視界はかすんだ。体はふらつき、手に指に力が入りづらくなっていた。日頃の鍛練では十数回どころではなく、百数十回振ってもなんともないというのに。

 そこに至り、美名は「奪地」がはらむ悪作用を自覚したのだ。

 「この劫奪術は、短い間ならまだしも、継続的な行使では人体に害を及ぼす」。

 ゆえに美名は、福城を目指すのに「奪地」を使わず、移動をしてきたのだ。


「大門のときとは違って、おとなしくなってくれたな……」

「観念したか……?」


 次第に増えていった槍先は、少女に向けられたまま、あと数歩にまで迫っている。

 にじりよる切先の群れを見つめながら、美名はひとつ、後退あとずさる。


(……しかない!)


 少女が意志を固めたときだった。

 美名の視界は不意に上昇した。

 守衛手らの影から一転、目の前の景色が、夕焼けに染められる津絹の町、そして、大海の波頭の煌めきへと変わっていったのだ。


 空にいる。

 飛んでいる。

 自ら「奪地」を行使したわけではない。その直前だった。

 、身が浮かんだのだ。


「美名ッ!」


 少女が振り向くと、そこにはふたりいた。

 夕光りを受けてもなお、黒髪と瞳の青灰せいはい色が際立つ少年。

 白髭豊かに、禿頭とくとうを輝かせている老人。


明良あきら! タイバ様!」

「無事か?!」


 魔名術で浮かぶ絨毯じゅうたんの上から、明良は美名をすくい上げていたのだ。

 身を絨毯へと移してもらった美名は、「ありがとう」と言って目を潤ます。


「……行くぞい?」

「頼む、識者しきしゃ大師!」


 呆気にとられて見上げるだけの守衛手らをあとにし、三人はそのまま、海の上空へと飛び出していった。

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