夫婦喧嘩と隠し事
夜の海。
波は少し荒れているようだが、そんなものは障りにもならず、ふたつの月を背景に、気ままな様相で飛び過ぎていく影。
美名、
「それじゃあ、私たちは
本総大陸に向かいながらの空の上、明良は、現状が判然としない様子の美名に説明をくれていた。
「
その直後、自分たちが罪人であると、司教が公言したらしきこと。
「何処か」を脱け出した明良が、アヤカムにあわや食われんとする
意識を取り戻し、「十日の猶予」があると知った明良の訴えにより、ふたりで美名を探しに来たこと。
「でも、どうやって私の居所が知れたの?」
「これだ」
明良は懐中より円形の
少年が蓋を開けると、
「これ……、私が切った……」
「
「明良……」
顔を上げ、少年を見る美名。
しかし、その拍子、明良はふいと瞳を
その態度に少し不思議なものを感じたが、
「私も明良も助けていただいて、タイバ様には恩も返しきれません」
「礼なぞ要らんよ。小僧を救い出したのはバリに
「自害……」
美名はふたたび、少年に向き直る。
しかし、彼を見つめる少女の瞳には、相手を
それを
「明良。なんで『自害』なんて口にしたの?」
「それは……、識者大師が俺を探しに来た理由が、クミが持つ、『
美名は唇をキッと結び、震えだした。
明らかに怒っており、それをなんとか抑え込んでいる様子。
狼狽えながらも明良は、ここでは逸らしてはいけないとばかり、少女の瞳に応えた。
そうして、頭を下げた。
「……すまん」
「……すまん、じゃない」
「大師の力を借りるには、それしかなかった」
頭を上げた少年は、
「……すまん」
「……もう二度と『自害』なんて口にしないで。それを聞いて、今、私の心がどれだけ沈んだか……」
「判った……。自省する」
それでもなお向き合い、睨み合うようでもあり、見つめ合うようでもあるふたりに、老大師は「やれやれ」と
「どこの夫婦も女主人ばかりじゃが、お前様らもその例に漏れんようじゃの……」
「……タイバ様……」
「おぉ、怖い怖い」
美名の
「前言のとおり、もうひとつの頼みには応えられんぞ、小僧?」
「……もうひとつ?」
小首を傾げ、美名は明良に顔を向ける。
「福城だ」
「……クメン様や、メルララ様ね」
明良が頷く。
「美名を探す途上、クミらと落ち合うはずの場所に行ったんだが、そこには『数日したら絶対に戻る』との紙切れが木に打ちつけられているだけで、姿がなかった」
「……クミたちも福城に向かったの?」
「判らん」と答えたのはタイバ。
「じゃが、心配無用じゃろ。行き先が福城や人里でなければ、なまなかな危険なぞ危険ではない連中じゃ」
「……そうよね。モモ
そう言った美名の隣、明良の心中には苦いものが走る。
トバズドリにて、
死んだのは、モ・モモノ
タイバ大師も少年のその見解には頷いた。
明良自身、
しかし、短い
その重鎮が死んだ。
死に際の直前まで、共にいたにも関わらず、魔名を返させてしまった。
少年の気勢は、おおいに沈んだ。
必ず
だが、美名。
モモノを「
前もって、このことは自身の口から伝えるとタイバ大師には念押ししてある。
しかし、いざ向き合い、事態の説明をしていると、明良は「モモノ大師が死んだ」ということを伝えられずにいた。
まだ推察の域を出ないこともある。
忌々しい占い大師の言など、信ずるに足らないと考える面もある。
だが、それは言い訳にすぎない。
明良自身も自覚してはいないが、彼は、少女が哀しむ姿を見たくなかった。
美名が打ちひしがれる姿は、クシャのあのときだけで充分だった。
それは、明良の「焦がれる想い」がもたらす、小さな願いだった。
少しだけ開いた会話の
「居所知れないクミたちのことはどうにもできない。無事でいてくれと願うしかない。だが、それ以上、目下に迫って危険な者たちがいる。クメン師やゲイルを助け出すことを、識者大師には頼んだんだ」
「……そうよ。そうよね。もし、クミたちも福城に向かってるんだったら、私たちも加勢にいかないと……」
ふたりに視線を向けられたタイバ大師は、それでも平然とした顔で「行かんぞ」と告げた。
「お前様らこそ、ゼダンの脅威が身に染みた連中じゃろうて。なぜ、死に急ぐか」
「死にません」
「死なん」
声を揃えるふたりに、聞こえよがしにため息を吐くタイバ。
「この
「では、ここで下ろしてくださいますか」
「ここで……、海にか?」
「はい」
横目でチラリと美名を見遣った大師は、そのまま、眼下にも目を向けた。
「……お嬢ちゃん。それは、『自害する』と言っとるのと変わらんぞ? 先刻に小僧を
「構いません」
「……小僧は止めんのか?」
「俺も一緒に下りるのだから、止めるはずもない」
タイバは、呆れたように長いため息を吐くと、「無頼が過ぎる」と呟いた。
「……小僧の形見と引き換えじゃ」
「……?」
「髪でも刀でも何でもいい。自筆の
「……それなら、いくらでも用意しよう」
「さすれば、どうせ『天咲』までの途上みたいなものじゃ。福城の近くで下ろしてやる」
顔を見合わせ、美名と明良は顔を晴れさせる。
「……タイバ様!」
「心配り、すまない!」
「喜ぶのはいいが、儂は下りんぞ?」
「はい」と「承知した」。
言葉は違えど、まったく同時に頷くふたりに、老人は呆れて首を振る。
それから、丸一日近く、絨毯は西を目指して飛んだ。
この
福城にほど近い森のなかに下り立った少女と少年は、
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