小さな段々集落と隠れビト 1

(おそらくは離島……。福城ふくしろ……、いや、希畔きはんよりももっと西!)


 明良あきらは急ぎ、駆け下りる。


 その光が明るく、方角を知るのに絶好な「射手しゃしゅ」の星ふたつと月との相互位置から、明良は現在地のおおよそのあたりをつけた。

 さらに見渡して判ったのは、眼下の海岸からすそがはじまり、背後の頂きへと続く、山型の地勢だということ。明良が出現したのは、どうやらその山の中腹あたりのようだった。

 その地形と絶えない潮風の匂いから、この地は「島」――それもさほど大きくない島との見当もついた。


(俺が囚われてから大して時間は経っていないはずだ。だがこの、東から西への大移動……。やはり、シアラの「何処いずこか」とは違うのか? 司教の「去来きょらい」が規格外なのか?)


 一刻も早く、福城ふくしろに戻らねばならない――。

 この地が「島」であり、ヒトが住んでいれば、海岸沿いに行けば何かしらの施設が見当たるはずだと、明良は急いで山を駆け下りているのだ。


(最悪の場合、無人島の可能性もある……。クソッ!)


 半刻ほど木々を抜け、やぶの上を跳び、夜にやすむ鳥獣を騒がせ、ついには朝日も昇り出した頃、明良の目は捉えた――。


炊煙すいえんだ……。ヒトがいる!」


 眼下の海岸に近いところ。

 天に上る白煙を三本、明良は見つけた。目論見もくろみが叶った、ヒトがいる気配。

 黒髪を振り乱し、少年は煙を目指して速度を上げる。


 *


 明良は足を止め、眺め下ろす。

 小さな集落であった。

 傾斜がきつい山すそのはじまりに突如現れた入り江の景色。小さな湾の中央には木製の桟橋があり、漁船であろうか、三そうほどが係留されている。

 その入り江を取り巻くように、山肌に段々として散在する十軒ほどの建物。

 炊煙はひとつ増えていて、少なくとも四軒にはヒトの生活の気配がある。

 明良はそのうちの最も手前、板き屋根の家屋を目指し、下山を急いだ。


 *


御免ごめん! どなたかおられるか!」


 質素な板戸の前、明良はおとないの声を張り上げた。

 庭先では漁具らしき網が拡げられ、干し物の魚も並べられている。

 ヒトがいることは間違いない。


「すまん! どなたか!」


 もういちど声を張り上げてすぐ、板戸が開かれた。

 だが、現れた者の姿に明良はたじろぐ。


「うっ!」

「……なん?」


 日焼けした女。

 歳の頃は、明良よりいくらか上といったところ。縮れる黒毛をまとめるように頭に手拭いを巻き、憮然として明良を見据える。

 瞳は大きく、まつ毛が長い。

 への字に曲がった唇は分厚く、健康的であった。

 しかし、その装い――というより、格好。少年がたじろいだもとは――。


「む、胸を……」


 上半身に何も身に着けていないのだ。

 そして、それを恥じるような様子も女にはない。


「……なん? ヌシ、内地のヒトかね?」


 手で遮りを作り、顔を逸らすだけで、明良は答えない。

 張りのある乳房から目を逸らすのに気を取られたため、女の問いを聴きそびれていたのだ。

 少年のその様子に、「はん」とおかしそうに笑う女。


「やれ、朝からうっつぁしの、内地のヒトだとは、ほれ、まっちょれ」

「あ、ああ……」


 女は家屋の奥へと消えていく。

 戸の先はすぐ土間になっている。炊煙もここのかまどから上っているらしい。

 女が消えて間を置かず、今度は全身裸、浅黒い男児がひょこりと姿を現した。

 クリクリしたまなこで明良を見つめてくる。


「や、やあ……、ボウズ……」

「……ヌシ、なん?」

「……ン?」

「よろずぅりか? ええもんのうっとうてか?」

「あ……。いや……」


(……ダメだ。なまりが強すぎて判らん……)


「……いいコト、判らんじゃろうで、なん?」


 女が戸口に戻って来た。今度は胸を隠しているその姿。明良が「内地」のヒトと察して、どうやら気遣ってくれたらしい。

 ほっとひと息つく少年だったが、それでもまだ乳房を覆う布なだけで、露出は高い。

 少年は努めて女の顔だけを見る。


「すまんが、動力どうりきの『段』はこの地にいないか?」

「魔名かね? 動かし手の」

「……そうだ」


 女と男児は、揃って首をふった。

 その仕草、顔つき。

 目の前の女と似通う部分が多い。男児はこの女の息子なのかもしれない。


「福城に……、本総ほんそう大陸に船は出ていないか? 急ぎなんだ」

「内地との連絡船はひとえづきまでねえじゃ」

 

 その単語は明良にも判じ得た。

 「ひとえづき」。

 ふたつの月が天球上、向かい合わせのように逆側に位置をとる日である。

 「単月」の日は海流の変化が乏しく、なぎになりやすい。船での遠出には適する時機なのである。

 しかし、近日中には「単月」にはならない。まだふたつの月は近い。


「あの船で内地……、大陸まで行くのに、何日くらいかかる?」


 明良は背後、見下ろせる入り江の船を見遣って訊ねた。


「……さぁて、いまんどきの潮だ、しんまづたいで三日ほいどじゃかね」

「みっか……、三日だと……?」


(……三日かけて着いたとしても、そこは本総大陸の西の端……。福城へはそこから陸伝いに、さらに日数がかかるッ!)


 歯噛みして顔を下げる明良に、いくらか警戒を解かれてきたのか、女は表情を少し和らげ、「ヌシ、魔名は?」と訊いてきた。


「俺か? 俺は明良だ」

「『名づけ術師』かね?」


 どうやらこの女は、明良の名を「ア・キラ」と判じたらしい。

 少年は首を振って否定する。


「……俺は魔名術を扱えん。『明良』というのは自称だ」

「さあかね……」


 女は戸口から出てきて、つと顔を上げる。

 彼女が見上げるは、家屋後背こうはいの山、その高み――。


「……メシさ、食っでけぇ」

「ン……、いや、俺はそんな場合じゃ……」


 女は振り向くと、明良の顔を両の手でやおら包みこんだ。


「ッ?!」

なんも食っでなん? 寝でもねぇ」


 たじろぐ明良のまぶたを親指で下に引っ張り、顔を近づけ、マジマジと見つめてくる女。

 危害を加えてくる様子ではないものの、彼女の距離の詰め方は激しく、少年は当惑してしまう。


「ハラぐっちにして寝でからじゃがねえと、山でたおっちめえぞ。ほれ」

「な、なな……、何だ……?」


 半ば押されるようにして、明良は粗末な家屋に招じ入れられた。

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