小さな段々集落と隠れビト 2
男児と並んで座らされた
しばらくして明良の目の前に出されたのは、魚の干物焼きと、
同じように膳が据えられるや否や、明良の隣の男児はものすごい勢いで箸を運ぶ。
「……食べろ、ということか?」
腰前掛けで手を拭い、土間から上がってきた女は、明良の対面に腰を下ろし、「だ」と答える。
「……内地さ、早くいぎでんじゃがなん?」
「早く……、そうだ、俺は早く、内地……大陸に渡らねばならん」
「んだら、食え。で、しょんと寝でがら山上がって、バんリ様、訪ねちょれ」
「バンリ様……?」
「だ。いいたじゃが、
方言が強く、すぐには判じきれないが、女はどうやら「バンリ様(という者)を訪ねてみろ」と勧めてくれているらしい。「三日かかる航行」より、そっちのほうが早くなるかもしれないと、教えてくれているようだ。
「ならばすぐにでも」と立ち上がる明良に、女からは「食え」の一喝が飛ぶ。
さすがの少年もこれにはビクリと身を強張らせた。
「……食っで、寝でがらにしろ。山でぶったおっちも、知らんじゃ」
神妙な顔をして明良は、座り直す。
「……俺は、早く行かねば……」
「食え」
有無を言わさぬ女の剣幕に、思わず明良は隣の男児に顔を向ける。
「……食えっで」
男児も男児でわざわざ箸を止め、ギロリと睨むようにして明良に言う。
「バンリ」という者を訪ねるにしても、明確な場所が知れないことには時間を無為にするだけ。この母子から「バンリ」の居所を教えてもらうには従うしかないかと観念し、明良は箸を手にとった。
*
不思議な光景だった。
見たことない建物。
見たことない格好の人々。
それらに取り巻かれ、独り立ちすくむ少女――。
(美名……)
ひどく怯えた顔色の
駆け寄ってやりたい。
声をかけてやりたい。
だが、明良の視点は動かず、声は出ない。指先ひとつ動かない。
少女に何も為してやれないのが、少年には苦しく、もどかしい――。
(誰か……、この不甲斐ない俺の代わりに……、誰か! アイツを、俺の
明良が強く願うと、少女に女児が駆け寄っていく。
続けざま、女も現れ、ふたりに歩み寄っていく。
少女の顔はまだ晴れきってはいないが、明良はなぜか、そのふたりの登場で人心地ついた気分になる。
これで大丈夫だ、と。
このふたりならきっと少女を援けてくれる、と――。
不思議な感傷だった。
*
ゆさゆさと揺すられているようだった。
「……アキラ!」
ハッと目を開け、明良はガバと身を起こす。
視界は不思議な光景などではなく、木造の家屋。傍らには自らを揺すり起こした裸体の男児。
「そろそろだぁて! マァがいいじゃが!」
「ガドオ……か……。すまん。マァが見抜いたとおり、俺もだいぶ疲れていたみたいだ……」
食事の間、強い方言をなんとか判じきり、この男児の名は「ガドオ」だということが判った。女はやはりこの子の母で、「マオ」。
「マオ」だからというわけでなく、この島の方言では「マァ」が「母親」の意味らしいとも知れた。
ふたりとも、魔名として「属性名」もあるらしいのだが、「忘れてしまった」とのこと。
最初は驚いた明良だったが、教会堂もなく、大陸との関係も希薄そうなこの地。慎ましやかな生活を営む上では、親から子へ、子から孫へ伝わる漁業と農業の知識以外のものは必要なかったのであろう。魔名術に
食事のあとはマオとガドオの例の威圧に押し切られ、明良は横になった。ほんの四半刻ほどのつもり、仮眠のつもりで。
しかし今、開けている引き窓から覗けば、日はだいぶ昇ったよう。
明良は手足を伸ばして強張った全身を
ちょうどそのとき、開けた引き戸の向こう、庭の奥の坂道から、マオの姿が現れ上ってくる。
「起きたなん? アキラ」
彼女は玄関口から入らず、庭の軒先に立って明良を見下ろす。
「ああ。よく休めたよ」
「んだら、ほれ」
「……ん?」
マオが明良に手を伸ばす。
彼女の手から明良が受け取ったのは、三つ穴があいた二枚貝の貝殻であった。
「……何だ? これは……」
「バんリ様に見せんじゃ。あん方は『隠れビト』じゃが、そんが、わがらの認めの証になるじゃが」
「……まだ言葉に慣れんが、要するに、これを見せろってことだな?」
「だ」
マオはポンポンと、薄布で覆うだけの自身の胸を叩く。
「恋ビトの髪ととんに、胸にしまっちょれ」
「うっ」と言葉に詰まり、明良はジトリとマオを見る。
「……いつ、見た?」
「寝ちょるんとき。汗かいでで
「それは……、助かった。ありがとう」
「なん」
ニヤリとするマオにため息をつき、明良は振り返る。
振り返ったところのガドオもニヤついており、明良は一層、バツが悪い気分になった。
*
マオたちの家の前、母子に頭を下げる明良。
「……では、予後策としての船の準備も頼む。何から何まで世話にかけてもらってすまない」
「なん」
「なん。たいぎくねえ」
明良にはなぜだか、彼女たちの言葉の響きが好ましくなってきている。
この島から見える海の景色のように、悠然。少年の気忙しい性根をゆったりと解すように、
心地がよかった。
だが、ひとまずは別れ。
「では、行ってくる。重ねて礼を言う。ありがとう」
手を振る母子に見送られ、明良は山を駆け上がっていった。
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