老獪な大師とその処世術 1

「やれやれ、老害にこの坂はきつかったわい」

「これは……、思惑外の者が来たな」


 手刀を振りかぶりつつ、登場者に目を向けたゼダンは、感心するような声音で言った。ゼダンだけでなく、美名と明良も大師の登場には困惑している。


 まさにふたりが事態を打開せんとする間際、突如現れた識者しきしゃ大師ノ・タイバ。

 ふたりは昨日、この福城ふくしろの近郊で彼と別れている。いくらふたりが誘おうと、助力を請えるか水を向けても、最後まで頑なに首を縦に振らなかったタイバである。

 その彼が、今、この場にいる。

 悠然と歩み寄ってきて、わずか四、五歩ばかりの距離、あれほど忌避していた司教ゼダンとの対面に至っている。

 それは何故か――。


。最も侮れず、されど身の程を知っているがゆえ、最後まで逃げ回るものと思っていた識者大師が、まさか、この場に現れようとは」

「仕損じてはいたが、『大橋陥落』の報酬の一千万、何割かでも頂けるかもしれんと参上した次第じゃわい」

「……弄言ろうげんを……」


 成り行きが見通せず、ただ固まるばかりの美名らに目を向けてから、「大師はだ?」とゼダンは訊く。


「おとなしく投降に来たのか? それとも、餓鬼がきらとともに、魔名の返上に来たか?」


 タイバもまた、少女らを見遣ってから、「どちらでもない」と答える。


「司教ゼダン、アンタの手下てかに加えてもらおうと思うてな」


 タイバ大師の言に、これもまた司教だけでなく、美名たちも唖然とする。


「……それは、識者特有の冗談か?」

「この場での冗談など、一円にもなりはせん。手ぶらで手下に加えてくれなどと、それこそ、老い先短い旅路を閉じに来るようなモノじゃ。耳寄りな土産話をみっつばかり持参しとる」

「……ほう?」


 司教ゼダンは、「烽火ほうか」において彼を利用したが、この老獪な大師についてはモモノ幻燈げんとう大師と同様、ある種認めている部分もある。

 それは、彼の行動にはすべて「利益」が絡み、それがゆえ、彼の行動は強く裏付けされる、ということだ。

 彼が言う「土産話」。

 それはきっと、自らにとって真に有益な情報であろう。さもなければ、ふとしたことで容易に魔名返上に転じるこの場、彼が姿を現すはずもない。

 おそらく、ひとつは「教主フクシロの居所」。あとのふたつは見当がつかないが、それと同等以上に有益なであることは間違いない。

 ゼダンは相手の話に耳を傾けはじめた。


「先刻に『待て』と声をかけたのも、アンタじゃなく、ほれ、そこの小僧。何かをしでかすつもりじゃ。それを制したのじゃ」


 タイバに指摘され、うめきを漏らす明良。

 そんな彼を見遣り、識者の大師は白髭を揺らす――。


「鞘に納めた『幾旅金いくたびのかね』。つかに掛けられた手。握りが緩んでおらん。おそらく、抜き差しならぬこの窮地、鞘を飛ばし、事態を好転させようと目論んでおったようじゃの」

「……識者大師ぃ!」


 少年を嘲笑あざわらうかのようだったタイバは、彼の傍ら、震える少女の姿を見咎める。

 視線を向けられたのが端緒となったか、美名は涙声で「嘘ですよね?」と呟いた。


「タイバ様……。そんな……、そんなことないですよね? ゼダンの手下になんて、タイバ様は……、なりはしませんよね?」


 少女のもの哀しい問いかけに、老人は呆れるとばかりに首を振ってみせる。

 

「お嬢ちゃん。わしの話を覚えてくれとるかのう? 価値あれば正邪問わずにとびつく卑劣が儂じゃ。ノ・タイバじゃ。ほれ、そこの点景にある大橋で、身に染みてくれたと思っとったんじゃがのう」

「タイバ様……」

「これが処世術というものじゃ。なんなら、儂とともに嬢ちゃんらも司教殿にくだるか?」


 美名は答えず、ただ落涙した。

 明良のはかりごとが暴露されたことも、もちろん無念ではある。

 だがそれ以上にタイバ大師の離反が哀しい。哀切はなはだしい。

 一度は矛を交えて争った相手とはいえ、彼女は老大師を敬愛していた。二色にしき髪を整えてくれたシワシワの手が大好きだった。

 少女は、その敬愛さえも突き放されたよう、悲哀に満ちる。


「不要だ。この餓鬼どもは手に負えん。我が手下に……、『大都だいと神国しんこく』の末席に加えるなど、考えるだにおぞましい」


 吐き捨てるように言うゼダン。

 溢れ出る哀しさがため、ついにはうなれてしまった美名から目を戻すと、識者大師は司教に媚びる目つきになる。


「その言は、儂をアンタの手下に入れてくれると、そう捉えてよろしいか?」

「……貴様が持ち込む『土産話』次第だ」

「ふむ。もっともじゃ。アンタに聞かせたい『土産話』とは……」


 話し始めようとするタイバを、司教は「待て」と止める。

 そうしてから、うつむく少女と歯噛みする少年とに向け、平手をかざした。


「あの餓鬼どもを始末してからだ。それからゆっくり、貴様と貴様の話を見定める」

「それはあまりお勧めせんのう。儂の話次第によっては、あの者どもに利用価値が生まれる」

「餓鬼どもに……、利用価値だと?」


 破顔させ、タイバは「そうじゃ」と頷く。


「特に、嬢ちゃんの方はのう」

「……ほう」


 眉をひそめた司教の身体が、ふいに宙へと昇っていく。

 寄り添うように、「何処いずこか」から出でた腕――メルララの腕も上昇していった。

 呆気に取られ、見送るようになってしまったノ・タイバ。


「……それは、何の真似かのう?」

「まだ疑いの余地を残す識者熟練の話を聞くならば、そらに限る。地に足など、つけていられるものではない」

「なるほど。ナ行識者をよくご存知じゃわい」


 ゼダンの「浮揚ふよう」に得心がいった様子のあと、タイバ大師はエホンと大仰に咳ばらいをして、顔を上げ直した。


「儂の『土産』のひとつは、教主フクシロの居場所。ひとつはアンタが懸念していた附名ふめいの禁忌術についての消息。最後のひとつはワ行劫奪こうだつの魔名……。嬢ちゃんの存在じゃ」

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