太古の王と千年後のふたり 5

「メ、メルララ様の……、メルララ様の手が、ああッ!」

「抵抗のできない者を……、この外道がッ!」


 恩師の手に駆け寄りたいのを必死にこらえ、打ち震える少女。

 眼力がんりき射殺いころさんばかり、歯軋り鳴らす少年。

 司教の傍らに腕が浮かび、血飛沫しぶきいてもだえる様。

 奇怪残虐の光景のなかで、ゼダンはニタリとわらった。


「案ずるな。これはだ。貴様らがおとなしくなりさえすればいいのだ」


 ゼダンはフンと鼻を鳴らすと、今しがた自らが寸断したばかり、手首の傷口に向け、平手をかざす。それで、くような出血はピタリと止まった。

 続けて、目線は美名らに払いながら、足元のを掴み上げる。


「メルララ……、思い出したぞ。長年の積み重ねが近頃になって、ようやっと実り、『段』に昇った附名ふめい術者だな? だのに、臆面おくめんもなく『解放党』に参画してもいた、咎人とがびとのうちでも背徳極まる信徒……」


 拾った手が切断面に擦り付けられる。

 すると、最前に司教の小指が接合されたのと同様、メルララ師の平手は繋がれた。「何処いずこか」の先、彼女は痛みと困惑と不可解とでさいなんでいるのであろう。繋がれたばかりの平手の、止むことない震えと脈絡のない指の折りとが当惑の様を表す。


「この通り、貴様らがおとなしくこの場で散ることを受け入れるのであれば、メルララ嬢は『ふだがこい』に身をやつす必要はない。ア行附名のほまれ、『名づけ師』にもなれよう。どうだ? 寛容であろう?」

「外道の極致か、貴様……」


 眉根を寄せた険しい顔つき、二色にしき髪の少女はゼダンを睨みつけた。


「こんなことして……、恥ずかしくないの?」

「ほう。恥ずかしい、とは?」

「私たちを、アンタの魔名だけで叩きのめすはずじゃなかったの?!」


 少女のさげすみをもうひとつ、鼻で笑うと、「違うな」とゼダンは断言した。


「私の高説を聞いていなかったか? 。貴様らなぞ、こんなことをしなくてもほふるにやすい。だが、少しばかり不安の芽もある。モモノとはまた別種の、不可解極まる徒華あだばなの芽がな」

「メルララ様の……、ヒトの命を盾にして、そうやって作られるのが本当の『幸福』なの?! 胸を張って、王様だなんて言えるの?!」

「意気がれ。貴様が言う『幸福』とやら、は我が一族の血が流れた歴史のうえに成り立っている。恥に思うか否かの貴様の理念は、千年前の外道の果てに形づくられたものだ。憎らしくも史実がすべからく示すとおり、辿った道のりはさほど肝要ではない。要は、結果だ。もたらされるモノだ。同盟に比べれば、私のこの所業など、遥かに人道的であろう」

「またそうやって、はかりにかけるものを間違うのか、貴様!」

「吠えろ、小僧。望みのとおり、叩きのめすのはこれからだ。吠えられるうちに吠えるがいい」


 歯噛みする明良は、傍らの美名に「すまん」と小さく謝った。


「……何? なんで謝るの? 明良」

「すまん、美名……」

「……なんで……」


 沈痛な面持ちのままに刀を地に突き立てると、明良は左腕に巻き付けていた「合わせづつ」を解き外す。

 そうして、「幾旅金いくたびのかね」をさやに納めた――。


「ほう。もう少し騒ぐかとも思ったが、小僧の方は承服したようだな。この丘を自らの死地と定めた」

「ウソ……。嘘よね、明良? こんなヒドいコト、見過せるはずが……」

「お前の名づけ師が傷つくか、俺たちが死ぬか……」


 少女の視界、目を背ける少年の顔がぼやけていく。

 言葉を失い、ただ唇を震わせる。


「ふはははッ! さあ、混沌の小娘よ。貴様も納刀し、神妙にしろ。でないと、相方が言う通り、この手がもうひと度、持ち主から離れることになる!」

「明良……。メルララ様……。私……。私は、私の心は……」

「選択はひとつだ。美名」


 声を落とし、少女を諭すような明良。

 だが、彼の内心は実のところ、表出しているものとはまったくに違っていた――。


(俺が選択するのは……。メルララが傷つくことでも、俺たちが死ぬことでもない! 針穴ほどに小さな光明だ! 俺たちがふたりだからこそ、為し得ることだ!)


 明良は反抗の心を努めて隠しながら、美名の背中に手を当てる。


(気づけ、美名! ヤツに波導はどうがある限り、小声さえ発することもできん! 何も伝えられん! ただ、俺のこの平手から……。魔名も持たない俺の平手から、察してくれ、美名!)


 少年の想いは――届いた。

 見る限り、明良の手が背に添えられて以降、少女の様子に変化はない。明良とゼダンとを交互に見遣り、唇をわななかせたままである。

 だが、少女の涙は止まっていた。

 紅の瞳は深い色で少年を見つめた。

 少女は感じ取ったのだ。これから、明良が何かを試みようということを。


「すまん……。ここが……、この丘が、俺たちの……」

「明良……」

「覚悟はできたか?」


(美名がヤツを斬りに走り、凶刃が振り下ろされる前、俺が『合わせ筒』でヤツの手刀を弾く!)


 数日前、昏中音くらくあたるおとから助け出された直後の明良は、気を取り戻してからすぐ、顛末てんまつを聞いていた。

 少年を助け出したのは、オ・バリの「居合いあい」、ノ・タイバの「空への識者しきしゃ術」。居坂の歴々が各々に持ち合わせていた技能。

 だが、少年も少年でただ助け出されたわけではない。まったくの偶然か、はたまた何某なにがしかの意志か、気を失っていたはずの明良自身も、「内部からの鞘の撃ち出し」を担っていた。

 「幾旅金」と「合わせ筒」の性質がかけあわされて起こる、超高速の投擲とうてき――。


(だが……、俺は一度も、ッ!)


「宣言しておこう。貴様らはなぶり殺す。我が魔名の数多あまたを受け、死の間際に至れば『他奮たふん』で全快させる。そうして、同じことを繰り返す。弱音も、許しの請いも、泣きも、一切認めん。ただ、幾度もの臨終を堪能せよ」

「……最悪って……、アンタのためにある言葉よ……」


 目論見もくろみに気付かれぬよう、美名がとりなしているところ、明良もまた、ゼダンへと顔を向けた。

 その意図は、することにある。


(ヤツまでの距離は十歩かそこら……。高速だ、絶大な勢いだと聞いてはいたが、果たして、ヤツの手刀が振り抜かれるより『合わせ筒』の弾は速いものか? 俺は、確実にヤツの手刀を射抜くことができるか?!)


「最悪、結構。消えゆく者からの評など、かかずらうものでもない」


 うそぶく司教のほくそ笑みで、少年は意を決した。


(できるかじゃない! やってみせる!)


 明良は少女の背に添えてある手に力を込めはじめた。少女の背を強く押し出そうというのである。

 それを特攻の合図とし、併せて、右手より「合わせ筒の弾」を放つ。放ってから、彼もまた、ゼダンに突っ込む。

 言葉で伝えられてはいないが、美名はきっと、最上の判断と動作をしてくれる。

 言葉で聞いてはいないが、明良はきっと、とりうる最上の打開を図ってる。


 見通し暗澹あんたんとした窮地の策、目論見をなさんと明良が平手の力を発しようとした、まさにその間際――。


「待たれよ」


 ゼダンの背後より、しわがれた声。


 ハッとして振り返る司教。

 ピタリと止まる、明良。

 目をみはる、美名。

 各々の視線の先では、刺すような明け日も落ち着いてきた丘、白髭を揺らし、泰然として登ってくる老人――当代識者しきしゃ大師、ノ・タイバの姿があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る