少女の髪と楚々とした教主 1

 「迎賓げいひん館」を出た一行は、整えられた庭園内を「十角宮じっかっきゅう」に向けて歩く。

 遠目にも輝くような、白亜の宮殿。

 夏空を分かつようにそびえる、十とひとつの石塔せきとう。中央の「主塔」――「魔名教教主の塔」は、ひと際に抜きんでている。


明良あきらがつけたあの壁の斬り傷……、どうするんですか? 弁償?」

「『ナ行識者しきしゃ』の教会員に、わたくしから修復を頼んでおきますよ」


 金髪の青年と小さなクミは、並び歩きながら話している。


「あのぉ、きづらいんですが、お代金は……」

「ふふっ。結構ですよ。私から謝礼は出しておきます」

「えっ?! いやいやいや、クメン様に悪いですよ!」

「いえいえ、サガンカでの件や、旅路を同行させていただいたこと、これからのこと……。クミさんたちへの報恩には、これでも足りないと私は思っておりますよ」

「でも……」

「私の魂のためと、是非お考えください」

「うぅ……。た、助かります~……」


 彼らが先頭に立つ後ろ、美名と明良も並んで従う。こちらのふたりは時折に視線を交わし合うも、ほとんど無言でいた。


(明良はあの部屋で、何か、抜き差しならない状況だった……。そこにたまたま、私たちがやって来た……。口で伝えられないほど、差し迫った事態……。……)


 五、六歩分ほど離れた最後尾には、守衛しゅえい手司しゅしニクラ――。


……!)


 「牢部屋」での明良の態度と彼とのやりとりで美名はそう確信していたが、四人を監視するようなニクラの視線もあって、事情を訊くことはできないでいた。

 美名は横目でチラリと明良を見遣みやる。

 応じるように、明良も目を合わせて来る。


(……ひとまず、すぐに戦闘というワケではないみたいだけど、明良はまだ、……)


「ちょっと、明良!」


 小さなネコが、後ろの少年へと顔を振り向ける。


「アンタからもクメン様に、お礼言いなさいよ」

「……何故だ?」

「明良が器物損壊したんでしょ!」

「……」


 明良は窺うようにクメン師に目を遣ると、「感謝する」と小さく呟いた。無愛想な礼を述べられても、温厚な名づけ師は美しく微笑み返す。

 美名は、明良のその、クメン師に対する態度にも違和感を覚えていた――。


(まさか……、クメン様も、敵……?)


 美名は自身の愚考に小さくかぶりを振る。


(……それは、絶対にない。クメン様は、とても親切で優しいお方……。明良が敵対するようなヒトじゃない。この場の敵はニクラ、このひとり……)


 銀髪の少女は背後、背負い袋を隔てた人物の所作気配に気を向ける。

 目を向けなくとも判る、圧のある空気。視線。そして、チリチリと、――。


(……コレ。明良と会ってから聴こえる、この音……。まるで、みたいな……)


 美名の五感は鋭敏だが、特に「聴覚」が飛び抜けている。

 彼女の耳介じかいの先が少し尖るようになっているのは、その優れた聴覚の証なのか、常人では聴き取れないような遠く、小さな音も、美名には聴き取ることができるのだ。

 しかし、その聴力をもっても、「ささやき」は極小で、内容はまったく聴き取ることができない――。


(でも、コレが聴こえる度に明良の様子に少し変化がある……。きっと、後ろの娘が何か、明良に言ってるんだわ。順当に考えれば彼女は「ラ行波導はどう」だけど、何かの神代じんだい遺物いぶつの可能性もある……。でも、あれこれ考えるよりも、まずは……)


 明良と確実な連携をとる必要がある。

 美名はそう、決めた。


「クメン様」


 少女に呼び掛けられ、名づけ師は振り返る。


「……どうしました? 美名さん」

「これから教主様のところに伺うのですよね?」

「はい」

「私たちは、教主様の賓客ひんきゃく待遇……なのですよね?」

「はい、そうですが……」

「明良もですよね?」

「もちろん」


 「では」と少女は、背後に振り返る。

 振り返った先の守衛手司ニクラは、やはり、やりとりを見張ってでもいた様子だった。


「……何?」

「お聞きのとおり、私たちは身分がしっかりとしております。ニクラ様はこれ以上、結構です」


 美名の言葉に、ニクラはピクリと眉を動かす。


「『結構』とは……、何のことを言ってるのかな?」

「……同行は不要と、そういう意味です」


 肩をすくめ、「ふぅ」と息を吐く守衛手司。


「……身分と自制がしっかりしている者は、区内において剣を抜いたりしないものよ。さっきは門を通したけれど、あれは軽薄すぎたわ。追い出すまではしないから、守衛手司として、最後まで同行だけはさせてもらうわよ」

「……」


 睨み合うような、ふたりの少女。

 名づけ師とクミは、何が始まったのかと当惑しだす。ただ、黒髪の少年だけは美名の意図を悟り、固唾を呑む。


「守衛手司として、と言うなら、すでにこの随行ずいこうは越権です」

「へえ……。何故かな?」

「……実のところ、私たちはとても重要な任を教主様から授かる予定なのです。この任には、たとえ十行じっぎょう大師たいしであろうが関わらせてはいけない、関わらせないよう厳守せよと、そう伝えられております」

「……私の『任』に順じてアナタたちにいていけば、私はアナタたちの『任』とやらに反して越権と……、そういうこと?」


 美名はこくりと頷く。


「……これ以上は最悪、私たちともども、ニクラ様は罪を負います……」


 まったくの嘘という訳ではないが、誇張である。

 クメン師を通じて「謁見を求められた」だけで、まだ何の任も受けてはいないし、余人を関係させない云々うんぬん、罪に問われる云々は虚構である。

 当然、これにはクメン師が「美名さん?」、といぶかしんでくる。 


「そんなこと、教主様は……」


 少女はすかさず、クメン師に横目を流す。

 二週ほど寝食を共にした少女の、初めて目の当たりにする気焔きえんの眼差し。その眼差しに名づけ師は身のすくむような怖気を感じ取り、口を


(……ニラんじゃってごめんなさい、クメン様。でも、今は……すぐにでも、ニクラを遠ざけて、事態を把握しなきゃいけない!)


「……その真偽は? あなたが聖令書せいれいしょでも持ってるというの?」

「……持ってないわ」

「……なら、会ったばかりのアナタの言葉だけでは、完全な信用は置けないわ。クメン様には悪いけど、私はまだ、アナタたちに誠実を感じない」

「誠実……」


 呟くようにして言うと、美名は背負い袋を外す。

 目線は守衛手司から外さず、彼女が袋から取り出したのは――小刀だった。火起こしの木材取り、進路のやぶの切り払い、果実の採集と皮むき、狩猟した動物やアヤカムの解体――旅路で多用する、必携物であった。

 しかしこの場は、その小刀が必要となる場面では決してない。

 そぐわぬ刃物の出現に、空気は一変した。


「……何のつもり?」

「ちょっと……、美名?」

「美名さん……?」

「……」


 鞘が抜かれ、刀身があらわになる。


「……誠実の代償を……お見せします……」


 少女はおもむろに、自身の長髪を手で掴んだ。

 生来に癖がついている銀髪の一本一本を逃すまいとでもするかのように、一束にまとめあげていく。

 一同はただ、呼吸も忘れるほどに、少女の所作を見守ることしかできない。

 まとめ髪を横に流し、小刀の刃を返した美名は、そのまま勢いをつけて――。


「美名ぁッ?!」

「……クソッ!」


 まとめた根元から、刃は抜き切られた。

 パラパラと庭園に零れ落ちる、銀の糸。


「……これで、信じてもらえますでしょうか?」


 左右非対称の長さとなった銀髪を肩上に揺らせて、美名は問うた。

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