希畔の有力者たちと眼鏡の去来大師 4

「アキラさん」


 緊急議会の広間を退室後、長廊下を進んでいた明良あきらは、呼び掛けられた声に振り向いた。

 数歩ほど後ろには、白外套の長躯ちょうく姿があった。


去来きょらい大師……」


(いつの間に……。退室の音も、近づく足音も、気配もなかったぞ?)


 目をみはる明良の様子に、去来の大師は優しく笑った。


「……驚かせて申し訳ない。ヒト嫌いが高じて、自分の気配が振りかれないよう、『去来きょらい何処いずこか』に消し去るのが癖になってまして」

「ヒト嫌い……の割には、弁舌べんぜつがたつようだが」


 明良は顔だけ振り向いた体勢のまま、嫌味のように言った。

 去来の大師は可笑しそうにしながら、明良の正面にゆっくりと回り込んでくる。


「ご覧のとおり、読書が趣味でしてね。能弁のうべんと感じられたのなら、そのこうでしょう」

「……いや、読書好きとは一見して判らないが……」


 長躯のシアラ大師は、どこか誇らしげでもある様子で自身の眼鏡の側部――「」と呼ばれる――に手を添える。


「失礼。書物の読み過ぎは視力を悪くする……は、迷信でした」

「……『視力強化』は受けていないのか? 大師ほどのヒトが」

「『他奮たふん』だとしても、ヒトに触れられるのがダメなのです。我がことながら、難儀な性分です」


 明良はもう一度、チラリと背後を振り向いた。

 定感覚でともしびが揺らめく長い廊下があるのみで、人影――あの場が散会となって「希畔きはんの重役たち」が一斉に退出しているわけではなさそうだった。


「……アキラさんの提言通り、『智集ちしゅうしゅ』出入口にいた者の洗い出しと、『福城ふくしろ』への報告をすることになり、あとは事務的な段取りの話になったので、私も辞してきたのです」

「今の俺の所作の動機を読んだか……。『幻燈げんとう』術者に平手を向けられたような気分だ」

「だとしたら、それも読書の効でしょう」


 明良は大師に向き直って、「何か用か?」と訊いた。


「……小僧ひとりに構うほど、『十行じっぎょう大師たいし』は暇な仕事なのか?」

「……言いませんでしたか? 動力どうりき大師の平手を前にして無事だった方を、私は小僧などと断じません」


 去来大師は微笑みのまま、少し首を傾ける。

 ふわり、と赤茶の長髪が揺れた。


「アキラさんは、『使役しえき』の者に、何か用があるのですか?」


 黒髪の少年は目を丸くする。

 大師が不意に放ってきた矢に、汗が伝った。


「……私がナフピンさんの紹介をした際、アキラさんの様子が変化しました。そのもとは、彼女の姿容すがたかたちに対してではない。だとしたら入室直後に注目してたはずです。紹介文句の中、『農畜産組合』に関してでもない。先に、組合長であるオウメラさんを紹介してましたから。ナフピンさん自身でもない。それだと、直後には興味を失った様子に解が与えられない。だとしたら、あとは『魔名』……『タ行使役しえき』に反応したのだと、そういう推察すいさつです」

「……大師はやはり、『幻燈げんとう』も心得ているかのようだな」

「妙に勘繰かんぐってしまうのは、読書の害ですね」


 読書好きの大師は、廊下の窓際に歩み寄る。

 窓越しの夜空には、「重ね月」の日のあとの、ふたつの月が仲良く並んでいる景色が浮かんでいた。


「よければ、事情を伺えませんか」

「……」

「アキラさんには『物語』の気配が漂う。ギアガンさんのことより、私個人としては、そちらの方に気が向いてしまいまして。お話し頂けたなら、『大師』として、何かお役に立てることもあるかもしれません」


(……まさか、「十行じっぎょう大師たいし」とに「縁故」をもつことになろうとは、な……)


 明良は、自身が美名たちにやった忠告を思い出す。

 「魔名教には気を付けろ」――。

 の大師、コ・ギアガンとの縁故は「敵対」だった。

 そして、目の前の線の細いの大師は、「食わせ者」の気配がする。

 「タ行使役」でも「ワ行劫奪こうだつ」でもないが、明良は、このふたりに親しみをもったり、ましてや頼ろうという気には、到底なれなかった。


「話してくださる気にはなれませんか」


 押し黙る黒髪の少年に、窓際の去来大師は自嘲じちょうするように笑った。

 そのしおれた様子がどこか幼げなことに、明良にはなぜか、ギアガン大師と、銀髪の少女とが重なって見えた。


「明後日は何か予定はありますか?」

「明後日……?」


 突然の話題の急転に、明良は戸惑う。

 その質問の意図が測りかねるまま、少年は「ない」と答えた。


「でしたら、魔名教説話会に参加してみませんか?」

「説話会……。俺が、教会のお説教にか?」

「明後日は週に一度の説話集会の日です。動力大師の件がこのまま膠着こうちゃくであったり、好転するようであれば、通常通り、この『智集館』の教会堂で説話会が開かれます。不精ぶしょうにも、私は顔をなかなか出さないのですが、アキラさんがいらしてくださるというなら、説諭せつゆ師として登りたいと思うのですが……」


 事情を聞いてもなお、明良には去来大師の意図が測りかねる。


「ただの気晴らしや、旅路の道草とでも、気軽に考えていただければ」


 明良は少し逡巡しゅんじゅんしたあとに頷く。

 この「縁故」を利用して、ひとつ思いついたのだ。


(「使役者」が敬虔けいけんな魔名教徒であれば、もしかするとその場に姿を現すかもしれない。それでなくとも……)


 少年は、長躯の眼鏡の相手を見る。

 明良のの頷きに対し、少しだけ嬉しそうな色がにじんだ、去来大師の表情。


(このところは、色々ありすぎる。言う通り、気晴らしにはいいのかもな……)


 明良の中で少しだけ、シアラ大師への印象がくなっていた。

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