夜更けの教会堂と飛翔の影

 夜更けになると、ふたたび、雪が降りだしていた。とても静かに、ゆっくりと舞い落ちてくる白雪は、明朝みょうちょうには積雪の増した景色をセレノアスール近郊にもたらすやもしれない。

 だが、そんな静謐せいひつな空模様をおいて、この小さな村では騒動の気配がある。


「あぁ、やっと来たね……」


 教会堂に入ってきた男の姿を認めると、壮年そうねんの女は振り返った。


「これで、このアライ村の十六家族の主人、すべてが揃いました」

「はい。ありがとうございました」


 視線と言葉を受けとると、体つきがふくよかな女は柔らかく微笑んで返した。

 羽織はおっている白の外套衣がいとういにはシワひとつなく、古式において教会所属を意味する「総十そうじ」の髪型にも、ほつれや遊びの毛がひとつもない。教会堂の講壇に立つ姿は、彼女自身の長年の経験からか、しっくりと調和する光景であり、まるで、これより深夜の説諭が行われるような雰囲気がある――。


「それで、プリム大師様……。このような夜更けに、いったい……?」


 村長むらおさの壮年女は、おそるおそるといった様子でプリムを見遣る。

 村長にはこれから何が起こるか、予期できない。だが、この村が異状に見舞われているのだということは、すでに充分、理解できていた。


 日没から一刻ほどのち、自宅にふいに訪れて来た者があったので応じてみると、村長は腰から崩れ落ちそうになった。

 門前にいたのは、三十弱の人数。そして、それを率いる白外套衣の女性。半年ほど前、教主の「真名まな宣布せんぷ」の折に「てれび」で見た、サ行自奮じふん大師のソ・プリム。

 慇懃いんぎんな自己紹介をくれたのち、大師は「家々の代表を教会堂に集めてほしい」と言った。

 相手は魔名教会の重役である。訳のわからないままではあるが、村長はひとまず、言われたとおりのことをした。

 だが、家族主人らの召集を終えてここに至っても、彼女の困惑はいまだ解けない。


 その困惑のもとは、三十名の集団の様子が物々しすぎること。

 鉄製の胸当てを身に着け、槍を持ち、大師の手信号ひとつできびきびと動く。白を基調とした制服で統一されており、ほとんどの者の目つきが険しい。その物々しい様子は、壁となって守るかのように教会堂を取り巻く今も保たれているのだろう。プリムの近侍きんじか、あるいは、守衛手の類か。

 また、これとは対照的に、プリムの態度が一貫して柔らかであるのも不気味に思えた。なにより、プリム大師は。ヤ行他奮大師が管轄する第八教区に属するアライ村に、いったい何の用があるのか。それもまだ、明かされていない――。


「皆さんのご家族は……?」


 柔和な笑みで訊いてくるプリム大師に、村長の「はい」の声がうわずる。


「言いつけられましたとおり、各々の家で待たせております……」


 各家の主人らも、何が起きているのか掴みきれない様子。見渡してくる村長に、「そのとおり」という意味で、ひとまずは頷いて返すのだった。


「よろしいでしょう」


 プリムは講壇を離れ、村長に歩み寄っていく。

 ふくらかな体躯で迫るように近づくと、大師は「セレノアスールの歌劇を観たことありますか?」と村長を覗き込んだ。


「か、歌劇ですか……?」

「そうです」

「え、あ……。はい。それは……」

「どうでしたか?」

「どう、とは、歌劇を観たことが……、でしょうか?」

「そうです」


 蝋燭ろうそくあかりに照らし出される微笑は変わらずに柔らかだが、距離が近まったことで表情の明暗がはっきりとし、不気味さが増す。

 しかし、大師の問いに答えねばならないと、村長は胸に手をあて、気を落ち着けた。


「……夢幻ゆめまぼろしの時間でした。舞台も演者もきらびやか……。私が観たもので印象が強いのは、『散華さんげの前に』なのですが、大師様は御存知ですか?」


 「いいえ」と微笑わらって、プリムは首を振る。


「身よりのない孤独な女が、ただひとりの、自分と同じような境遇の子のため、悪政を討伐するというお話なのですが、彼女の生き様が誇らしくて、りんとしていて……」

「胸を打たれましたか?」

「はい」


 まるで今がその観劇の最中かのよう、遠くを見つめ、恍惚こうこつとしだした村長をおいて、プリムは他の者らを見渡した。


「皆さんも同じでしょうか? 同じように歌劇を観たことがあり、同じように心を動かされましたか?」


 お互いに顔を見合わせ、戸惑う住人たちであったが、やがて、めいめいに頷いて応えた。


「ここにいらっしゃらない家族の方々も、同様でしょうか?」

「セレノアスールは歌劇を誇りとしている町です。アライの者も同じで、村人は皆、年に一度は観に行くことを楽しみにしております。近頃はなぜか、開演がありませんが……」

「なるほど……」


 「判りました」と呟くように言うと、プリム自奮大師はふいにうつむくようになってしまった。それがあまりに長いので、何か不手際があったかとアライの住人達にも動揺が目立ちはじめたとき、これもまた突然に大師の頭が上がる。満々まんまんとした笑みが、プリムの顔には浮かんでいた。


断手だんしゅです」

「え……?」


 教会堂のなかでは、瞬間、風が吹いた。

 立ちすくむ住人たちの間を駆け巡るよう、吹き抜けた風。

 風吹きが止んだ直後、代わりに堂内に吹き荒れたのは――。


「あアぁッ?!」

「ぃうぃぃぃ!!」


 絶叫と鮮血のほとばしり。

 アライの住人らは全員、手首から先を断たれていた。


「ひぃいぃ! な、な、なぁッ!」

信奉しんぽうさだめ、第六項は?」


 叫ぶ村長のひじから先が、肉付きのよい手刀によって斬り落とされる。


「いぃやあァァッ?!」


 まるでその惨状を模写するかのよう、他の者の同じ部位も、堂内に響く叫喚きょうかんは増す。


「『教徒は教会が認める以外、おおやけに思想を披露することを禁じる』」


 続けて、村人らの両足が寸断される。

 教会堂から逃げ出ようとしていた者もいたが、グシャリと地に崩れ、もがき叫ぶことしかできない。


「『また、思想を享受することを禁じる』」


 腰から下。


「聖ドリセイヤの注釈においては」


 肩口から先。


「『第六項の「思想」とは、創作された物語、楽曲、詩歌が多分に含まれる』」


 ついには、十七の首がいっせいにね飛んだ。

 堂内に残るのは、ただひとり。

 ふくよかな体躯のプリム大師。白の外套衣を赤く染めた、サ行自奮の筆頭――。


「……やはり、セレノアスールを正道に導く必要があるわ」


 返り血を浴びたプリムの顔は、もう笑っていなかった。


 尋常でない狂騒と惨状があったというのに、教会堂の外には音が一切漏れておらず、変わらずに自奮大師の近衛が包囲したまま。

 鳥のような影が夜空で舞い踊るなか、雪も変わらず、深々しんしんと降り落ちている。

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