白の町と書店 4

「今までで一番、『ザ・本屋』ってカンジのお店ねぇ~」

「ぼんやり覚えてるのと変わってないわ……」


 建物自体が小さな造りであるところ、天井まで届く高さの書棚を隙間なく並べているものだから、書店のなかは狭い。動植どうしょく妖物ようぶつの図解や、寓話ぐうわ集、教典注釈本などの背表紙を眺め上げながら、ふたりは揃って、「はぁ」と尾を引くため息を吐いた。


「いらっしゃい」


 小さな書店内は、書棚に挟まれる形で二本の通路が延びている。

 右の通路の先では、先客らしき後ろ姿があり、もう一方の奥には勘定台が見える。来客歓迎の言葉をくれたのは、その台の奥で頬肉をたるませ、微笑んでいる老婆であった。


「おやまぁ、未名みなのお嬢ちゃん。ずいぶんと久しぶりだぁねぇ」


 通路を歩み寄っていく美名に、老婆のニンマリ顔が贈られた。


「お、覚えていらっしゃるんですか? 私のことを……」

「そうだぁねぇ。じ本なんて趣味ン物を扱ってて、来てくれるお客さんは決まってるモンだから、だいたいは覚えてるよ」

「でも、結構前に一回きり……。私もまだ、小さかったはずなのに……」

「お嬢ちゃんは可愛らしくて、銀の御髪おぐしが綺麗だったからねぇ」


 物覚えのよい店主に、少女の期待も高まる。足元のネコと目線を交わし合うと、美名は老婆にペコリとお辞儀した。


「お忙しいところ、すみません」

「見れば判るだろうけど、このみンせは売るほどに暇だぁよ」


 老婆のニンマリが深まるのに、パチパチと瞬きで応えてから、美名は一歩、勘定台へと歩み寄る。


「前にこちらを訪ねたときに私と一緒にいたヒトなのですが……。そのあと、このお店に来ていませんでしょうか」

「一緒にいたヒト……。あぁ、お嬢ちゃんのお父さんだぁね」


 「父じゃなくて、先生です」と美名はかぶりを振った。


 美名とクミが教区館を出たのち、この古ぼけた書店を訪れたのは、これを訊ねるため――美名の先生を探す目的のためであった。


 過去の旅路の途中、美名と先生のふたり連れは、この書店を訪れたことがあったのだという。

 美名の先生は、訪ねた町に書店があれば寄っていくことを常としていたらしい。その目あては、神代じんだい遺物いぶつの史料。それを置いても、先生自身、本を好むところがあったようで、ひどいときには彼の「読書」を待つため、美名は書店の店先で何刻も暇つぶしさせられることがあったようだ。

 ここだけ時が進んでこなかったような小さな書店。瞬きを繰り返しながら見渡せば、書棚の前に立って本を広げる先生の姿が、美名には幻となって見える気がする――。

 

 モムモムとなにかを咀嚼そしゃくするように口を動かすと、老婆は「そうだぁね」と言った。


「あんなに仲良くしてたンに、はぐれてしまったのかぁね?」

「はい。私、先生を探してるんです。あれから、先生がもしも、このお店に来てたのなら……」


 老婆は目尻を下げて、口元をひん曲げたクシャクシャの顔になると、「ごめんねぇ」と謝った。彼女なりの気の毒がる表情なのだろうが、小さな老婆のその困り顔にはどこか愛嬌があり、美名は思わずえくぼ顔になっていた。


は、あれ以来、来てないねぇ」

「そう……、ですか」

「やっぱしねぇ……」


 嘆息たんそくを零すネコに、老婆は「おや」と目をみはった。


「お話しするアイコぉとは、これンまた、珍しいねぇ」


 「アイコ」とは、「愛玩あいがん」のくだけた言い方である。

 冬に備えて毛が生え変わり、丸々とした見た目になったクミは、もはやアヤカムと間違われることは少なくなっていた。


「あのぉ、私は『アイコ』じゃなくて……」

客人まろうど様ですよね」


 突然の声に、美名たちは横を向く。割り込んできたのは、少女らが入店した際にはすでに店にいた先客であった。

 魔名教関係者の証である白い外套衣を羽織った男。年の頃は美名と同じくらいか、少し上と見て取れる少年である。

 濃緑のうりょくの髪を前で流し整えており、くっきりと陰影の深い唇には貫装飾かんそうしょくをポツリと入れている。その銀の玉粒が薄暗いなかで光る様は、不思議と、この書店の雰囲気になじんでいる。洒落しゃれ者の気配はあるが、瞳が大きいためか、急に注目を浴びて慌てる様子になったためか、どこか幼くも見える少年だった。


「あなたは……?」

「あ、いえ、これは……。すみません!」


 美名の問いにいっそう慌てた少年は、やおら一礼をすると、読みかけらしき本を急いで書棚に戻し、そそくさと店を出て行ってしまった。

 あまりの性急さに、美名もクミも開いた口がふさがらない。


「……なんなの、今の子?」

「……さぁ? 何か、驚かせちゃったかな」

「ピアスの見た目に反して、シャイだったわね」

「『しゃい』も『ぴあす』も判んないんだけど……」

「ヨイちゃんだぁよ」


 老婆に向き直り、「ヨイちゃん?」と美名は訊き返す。

 ニンマリ顔の店主は「ヨイちゃんはいい子だぁよ」と続けた。


「ウチによく来てくれて、買ったり、ここで読んでった本をタネにして、劇作げきさくしてンだぁ」

「劇作……?」

「暇でどうしようもないアタシの、話し相手にもなってくれるンねぇ」


 それを聞いて、美名はハッとして気付く。


「もしかしておばあさん、このあと、あのヒトとお話しする予定でしたか?」

「予定ってほどンないけどねぇ。たぶん、いつものとおりなら、よい入りの鐘が鳴るまではお話ししてたンだろうねぇ」

「う……。そうでしたか……」


 考え込むような間があったが、ネコが見上げてきたところで、「私たちとお話ししましょう」と少女は身を乗り出す。


「お嬢ちゃんとアイコと……、お話しかい?」

「はい。私たちのせいであの子、帰っちゃったみたいだし……。おばあさんのたのしみを奪ったみたいで、なんだか悪いわ……」


 「ちょっと」と口をはさむクミ。


「あの子が帰ったのは、私たちにはなんの非もないでしょうよ。それに、もうそろそろ夕方になるってのに、まだ宿もとってないし……」


 言いながら、小さなネコは老婆と美名とを交互に見遣る。

 少し淋しそうにも見えるしわくちゃの顔。

 見下ろしてきて、強く訴えかけるような少女の顔。 


「クミは……、イヤ?」


 「ふぅ」と小さく、息吐くネコ。


「イヤとは言ってないよ。話し好きの私を甘く見ると、あとで後悔するわよって言ってるの」

「……さすがクミ!」

「おやおや、嬉しいね。嬉しいンね。それじゃあ、あがっておいきよ」

「おっじゃましまぁ~す!」

「あ、クミ! 足拭いてから!」


 調子をよくしたクミは、美名の注意の声にも構わず、ひとりだけ先に勘定台を回り込むと、「あぁ」と大きな声を上げた。


居坂いさか式堀りゴタツがある!」


 おくれて美名が覗き込んでみると、勘定台の裏は上がり座敷になっていた。板敷の中央には堀り座があり、なかではナ行識者しきしゃ暖石だんせきが照っている。クミが「居坂式堀りゴタツ」と呼ぶ暖房設備は、寒い海風のなかを歩いてきたふたりにとって、いかにも居心地よさそうに見えた。

 早速にもネコは、堀り座のなかに身を飛び込ませていく。


「ほら、美名も。あったかいよ! ネコにはやっぱり、コタツだよ~」

「もう、クミったら……。私も、お邪魔します」

「はいよぉ。賑やかで、嬉しンねぇ」


 それからの美名とクミは、老婆に旅のあれこれを話して聞かせ、老婆からは様々な本と様々な客の話を聞いて、楽しい「お話し」の時間を過ごした。

 時を忘れているうちに夜は深まっており、場を辞そうとしたふたりであったが、老婆からは「よければ泊まっておいきよ」と厚意の申し出。

 美名らは甘えることにした。

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