夜半の伝声と晴天の夜空

「明日の朝も少しお手伝いさせてもらって、クシャに戻ろうね」

「そうね。このままだと、ここの蜂蜜のとりこになって脱け出せなくなっちゃう」

「ふふ……。クミ、おやすみ」

「おやすみ、美名」


 寝台に潜り込み、向かい合わせになったふたりは就寝の言葉を交わす。

 作業の手伝いを終えてリントウ家に戻ると、ふたりのために、夕食も湯浴みも、寝床をも用意がされていた。

 夕食も当然蜂蜜尽くし。根菜の蜂蜜煮、辛味薬草と蜂蜜での甘辛羊肉焼き、蜂蜜と香草の温茶。

 今日一日中でも飽きることのない、リントウ式養蜂の成果にふたりは舌鼓みを打った。

 伐採の手伝いで流した汗やついた土汚れを洗い流す湯浴みも、吐息が漏れ続けた格別さであった。

 そしてこの、たっぷりと日干しのされた寝具。

 二日続けての人心地つく就寝に、美名もクミも満足しきりだった。

 明日になれば、なんとも気のよい、温かな養蜂一家とは別れとなる。

 ふたりは離れ難さを感じながらも、よき別れに備え、寝入ろうとしていた。

 だが――。


「……ン?」


 美名は不意に、寝台上で身を起こす。


「……どうしたの? 美名」


 丸まっているクミは目を開き、美名を見上げる。

 クミの夜目には、暗がりの宙に視線を定め、何をかに集中するような美名が映りこんだ。


「声が……」

「声?」

「小さくて判らないけど……。たぶん……」


 言葉を残すと、美名は寝台を跳び下りた。


「ちょ、ちょっと? 美名?!」

「サナメさん、『ラ行』だったよね?!」

「え、うん。多分、そうだったかな……」


 クミの答えさえも待たず、弾かれたように寝室を出る美名。


「美名ぁ?!」


 クミも慌てて寝台を下り、後を追う。

 彼女が寝室を出たときには、美名はリントウ夫妻の寝室の入り口に張り付いて、騒音憚らずに戸を叩いている場面だった。


「……どうかしたのかい?」

「どうしたってのよ、美名!」


 戸を開け、さすがに訝し気な顔を寄越したリントウと、クミが少女に訊いたのは、まったくの同時だった。


「お休みのところ、ほんっとうにすみません! サナメさん、サナメさんに……」

「私がどうかしました?」


 リントウのうしろで、これもまた何事かと目をみはるラ・サナメ。


「『ラ行・伝声でんせい』が送られてきてる気がするんです!」

「『伝声』が……?」


 「伝声」とは、「ラ行波導はどう」の初歩の魔名術である。

 自身の発声を遠方の相手や障害物越しに届けるという、「音」を操る「波導」の魔名術だ。

 美名はこの、「伝声」が聴こえると言っているのだった。


「なにか、嫌な予感がするんです……」

「ちょっと待ってくださいね……」


 そう言うと、サナメは目を閉じ、自身の耳に平手をあてた。

 美名、クミ、リントウは、呼吸を止めるほどに物音を鎮め、ラ行魔名術者を見守る。


「うん……。来てますね……。『ラ行・拡声かくせい』……」


 サナメは詠唱を口ずさむと、耳にあてている方とは逆の手を、呼び掛けるようにして口元にあてた。 

 この「拡声かくせい」という魔名術は極小の「音」を拡張したり、別の「波」になった音を声として発声させる「波導」の魔名術で、「伝声」と組み合わせることで、遠距離間での連絡、伝達が可能なのだった。

 魔名術者、ラ・サナメの口から、「拡声」された「伝声」が発せられる。


「……けて」

「……えっ?」


 女声ではあるが、サナメのものとは全く違う声音に、見上げていた小さなクミがまず驚く。


「……助けて!」


 続けて、「拡声」されたその内容に、美名とリントウも目を見開く。


「この声は……クシャの伝達役の魔名術師だ……」


 小声のリントウが、「伝声」を使っている魔名術者を明らかにする。


「ウチとの連絡でよく、妻ともやり取りをする……」

「た……『助けて』って……、言ってるの?」


 暗がりの中、美名の顔が蒼白となる。

 皆が耳をそばたてる中、サナメの「拡声」はまだ続く。


「誰か……、誰か。吹雪が! クシャが、皆が凍りつく!」


 悲痛な声を聞くや否や、美名は板張りの廊下を駆け出した。


「美名ぁ?!」


 クミも追いかけ、玄関戸から外に出るが、美名の姿が見当たらない。

 そこに頭上からの物音。

 クミが見上げてみると、美名はリントウ家の屋根を駆け上がっているところだった。

 クミも跳び上がり、農機具棚を経てかや葺きの屋根に上る。


「『吹雪』って?! 今って春っぽいよね? ね?!」


 屋根上の美名は一方向へと、一心に視線を注いでいた。

 美名の肩に跳び乗り、クミも美名の視線の先を追う。


「あっちってクシャ……?」


 美名は林の木々の奥、地平の彼方の空を見つめているが、クミにはそれがクシャの方角にあたるかは判らない。

 ただ――。

 

「吹雪くような空模様には見えないけど……」


 「大きい月」が上りかけて、「小さい月」がちょうど天頂あたりにある夜空は、鈍色の雲がいくらか見られるものの、晴天といってよかった。

 雨や、ましてや雪の気配など微塵もない。

 だからこそ、美名はクシャの異変を確信する。


「行かないと!」

「……きゃ!」


 美名は急に動いて屋根から飛び降りる。その勢いで、クミは彼女の肩から振り落とされてしまった。

 クミが体勢を整えて美名に小言を言おうと顔を上げたときにはすでに、美名の姿は家屋内に消えてしまっていた。

 寝室で「かさがたな」を鞘ごと掴み取り、革靴を急くように履くと、美名は寝間着のまま、ふたたび駆け出て行く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る