伝説の混沌と神世の稼ぎ方 1

 「天咲あまさき塔」への入り口は山頂にある。

 前日にフクシロから聞かされていた一同は夜明け前に起き出してくると、身支度を整え、野営の後片付けをし、不在時に識者しきしゃ大師タイバが戻って来たときのために書き置きを残すと、登頂を開始した。

 ちょうど空が明るみ始めた頃合い。

 夏とはいえ高所で明け方とあっては空気は冷たい。

 そんななかでの出発だった。


「登っても『塔』では下りていくっていうんだから、なんだか損した気分になるわね……」


 歩き始めてすぐ、クミは呟く。


 フクシロが語った、代々教主に継がれる「客人まろうど変理へんり」の伝承。

 その伝承上、「天咲塔」はにあり、山頂の入り口は塔の最上層に通じる、となっているらしい。

 最下層に「変理」を為すための「大鏡」があるから、「山」においては登り、「塔」においてはくだることになるのだ。

 ゆえに、クミの愚痴となる。


「誰がそんな迷惑な塔、建てたのかしら……。それは『塔』とは言わないでしょうよ……」

「ヒトの歴史が始まった頃にはすでに『天咲の塔』は山の中にあったそうです。これも伝承になりますが、動力どうりき大神たいしんが何らかのゆえあって隠した、と」


 短髪のフクシロの言葉に目をみはったのは、ニクラとニクリの姉妹である。


「それって……、『地動ちどう討伐とうばつ』のこと?」

「じゃあ、『混沌の魔窟』が『天咲塔』だのんね!」

「ちどーとーばつ?」


 ひとつまとめのだいだい髪を揺らしてため息を吐くと、ロ・ニクラはネコに説明をくれた。


 「地動討伐」とは、魔名教典内、混沌大戦の段における逸話のひとつである。

 神々に追われ、魔窟に閉じこもった「混沌」の一党。

 主神ンと動力の大神は協力してこれの征伐に乗り出すが、魔窟の守りは固く、陥落しきれない。

 そこで動力大神は魔窟ごと土石で覆って山と成し、混沌を封じた――。


「昔話みたいなお話ね……。って、まさにそうか」

「カ行の神様がこのお山を作ったのん! こんなに大きいの、スゴイのん!」


 ふたつまとめの橙髪を跳ねさせ、山道ではしゃぐようなロ・ニクリ。

 しかし、彼女の隣を歩くフクシロは顔を曇らす。


「教主の伝承と『地動討伐』が本当に関連しているかは明確ではありません。ですが、『変理』を為すにはそれも懸念になります。伝承では明言されておらず、私が気を揉んでいるだけなのですが、『天咲塔』が『魔窟』であれば、もしや、『混沌』も塔に潜んでいるのではないかと……」


 ネコは「う~ん」と唸って首を傾げる。


「私も居坂いさかに来てそれなりに経つけど、その『混沌』っての、いまだによく判らないのよね。『神様の敵』だったりとか『大陸』の名前だったり……。アヤカムではないのよね?」

「そうよ。『混沌』は『混沌』。アヤカムとは別」

「遭遇したことないけど、実在するの?」

「現在の居坂にいるかどうかは不明。そもそも、動物やアヤカムみたいに『存在する』という観念ではないよ」

「やっぱし、よく判らない……」

「でも、クミちんは合ってるのん」

「……うん?」


 頷いて、「仰るとおりです」とフクシロ。


「『混沌』とは『よく判らないモノ』なのです。主神が居坂いさかにて諸々を名づけ下さりし折、『名づけ』に至れなかったモノ、『名づけ』を拒んだモノが『混沌』なのです。生物でも物体でもなく、言葉にできない『何か』。『混沌』のひと言以外、名状できない混然のさま。クミ様の『よく判らない』という理解は、その通りなのです」

「はぁ……」


 正しいと言われてもなお判然としない様子なのは、ネコの耳のへたり具合からも明らか。


「『混沌大陸』も存在自体は知れてるのよ。遠景だけど、波導の歴々によって陸地らしきものは発見されてる。けれど、大陸へと向かうにも、空と海、どちらも『三大妖さんたいよう』に必ず阻まれてヒトは近づけない」

「『よく判らない』大陸だから『混沌大陸』になったらしいのん!」

「未開の地ってわけね……」

「教会の教史研究者の間では、教典内にある『大戦に敗北した混沌が逃げ込んだ地』が混沌大陸ではないかとの見方もあるようです」


 「とにかく」とクミは仕切り直すように言う。


「『よく判らないモノ』を気にしたって始まらないわ! 山登り、頑張りましょ!」

「はい」

「のん!」

「ふん、偉そうに……」

「ラァはその性格、直しなさい!」

「私をラァって呼ぶんじゃない!」


 クミとニクラの言い争う声。

 ニクリとフクシロが笑う声。

 少女たちとネコのかしましさは早朝の峰々に木霊こだまし、鳥獣たちの目覚まし代わりとなった。


 *


 登っていくにつれ周囲の緑は低くなり、小さくなり、ついには草すらなくなってしまった。

 赤茶けた土肌と岩石。低く眼下に広がる白雲。

 その光景ばかりとなってからすでに半刻ほどは経っただろうか。日輪は天頂に至る間際。

 それでもまだ、見上げれば先が在る。足元の傾斜も強まる。

 大陸の最高峰は険しかった。

 ロ・ニクラは立ち止まり、後続を見下ろす。


(やっぱり、フクシロには少しキツイかな)


 髪を切り、動きやすい格好となったはずの教主フクシロだが、守衛手歴が長い波導姉妹と比べれば、その体力には大きな差がある。

 豆粒ほどに離れてしまった少女の足運びは遅々としたもの。

 それに付き添うロ・ニクリは彼女の荷物を代わりに持ち、時折、手を貸してやってもいた。その傍らのクミも、背に乗せる水筒をひとつ増やしている。

 「ヤ行他奮たふん」が教主でなく、自分であれば――その考えが一瞬だけぎり、「魔名解放党」の首魁しゅかいは自嘲してフッと笑う。


「クミ、少し休むわよ。私、疲れたわ」


 その場で立ち止まり待っていたニクラは、他の者が追いつくなりそう提案する。


「……そうね。ちょっと休憩しましょ」


 クミはチラとフクシロを見、ニクラを見、それから頷いて同意した。

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