太古の礼拝殿と司教 7

「生きていたんですね……。よかった……」


 涙ぐむ少女にふっと微笑み、「いいや」とかぶりを振るモ・モモノ。


「死んでるだろうさ。はねぇ」

「……え? でも……」

姿は虚像だから、綺麗なモンだろう? 最後の力を振り絞って、この『残心ざんしん』をゼダンに残したアタシは、それはヒドい有り様だよぉ? はらわたは出てるし、顔は半分焼け焦げてる。コイツの埒外らちがいな魔名ときたら、笑うしかないねぇ」


 虚像だと自称する幻燈げんとう大師は、まるで他人事のように笑い飛ばした。

 「でも」と美名は首を振る。


「こんなにハッキリと、ちゃんと話せてるのに……」

「違うねぇ。美名嬢のために、いくらでも応じられるよう、幾万通りに捻じ込んだ仕掛けだ。考えて話してるわけじゃない。アタシはもう、生きちゃいない」

「そんな……」

「哀しんじゃいけないよ? そんなことのために、アタシはアタシを残したんじゃない」


 美名に歩み寄ったモモノは、彼女の片手をとる。

 しっとりした肌はほんのり温かく感じられ、少女はまだ、相手がまやかしであるなどとは信じられない。


「『マ行・残心』は、術がけした相手の心に魔名術さ。ヒドい使い方だと、強制的に相手に好意をもたせたりもするねぇ。この幻燈術で、アタシはゼダンの魔名に制約をかけた。この姿を残したんだ」

「じゃあ、アイツの魔名術が急に弱まったのは、モモねえ様が……」

「美名嬢は、コイツにじかに触れられなかったかい? 『残心』で魔名術を封じても、コイツはアタシのお師さんだ。居室にこもって四半刻もあれば、難なく解除されちまうだろうよ。気取られぬよう仕込んで、可愛いらの誰かに触れたら起動するようにしといた。ゼダンは面食らってただろう?」


 クツクツと可笑しそうに笑うモモノの像。

 麗人を見つめる少女のまなじりには、涙が溢れんばかりに溜められている。


「モモ姉様……。私、踏ん切りがついたんです。モモ姉様が魔名をお返しになったことを確かに感じて、無理矢理に呑み込んだんです」


 「でも」と呟く少女の、涙のせきが切れる。

 ひと筋流れ、ふた筋流れ、ついには数えきれないほどに落涙する。


「……でも、こんな、そのままの貴女あなたを見せられて、私……」

「ヒトは死ぬモンさ」


 諭すように、なだめるように、モモノは語りかける。


「ヒトは死ぬ。動物もアヤカムも、どんなに長生きしても、万物はいずれ死ぬ。そうして、巡り巡って居坂いさかの新しい命になる。それが摂理ってモンさね。アタシはだいぶ長生きしたほうさ。このババア、淫靡いんび極まるヤツだったと、呆れて笑っておくれよ」

「……モモ姉様」


 実体のごとく、少女の濡れた頬を指先で拭ってやりながら、「だがね」とモモノは語気を強める。


「そんな摂理に反するのがコイツだ。ゼダンだ。ヒトの、限られた命の枠からはみ出し、居坂を好き勝手しようとしている。一千年もの時間をかけ、魔名を蓄え、謀計を企んでいる」

「……千年」

「とはいってもね。アタシが『残心』を残したのは、何も、それを止めてくれだの、仇を取ってくれだの、そういうことを伝えたいがためじゃない」


 パチパチと瞬きをする美名。

 彼女の涙が落ち着いてきたようだと見て、モモノは今度は少女の肩に手を置く。

 やはり、美名が感じる重みは、大師が生きている証のように思えた。


「美名嬢の好きなようにおしよ」

「私の……?」

「まだ少し及ばないかもしれないが、制約が残ってるうちにゼダンを打ち倒すもよし。逃げて、隠れ住むのもよし。なんなら、コイツの手下てかになるのも面白いかもしれないよ? 案外、ゼダンはゼダンで居坂のともがらをすべからく慈しんでいて、良き政道を志してたりするやもしれないねぇ」


 思わぬ勧めに呆気にとられる少女。

 モモノはまたも、可笑しそうに口元を抑えた。


「アンタの心に従いな。楽しい旅路をいくんだ。いつか美名嬢も旅立つときに、後悔がないように……。アタシは最期に、それを伝えたかったんだ。ゼダンの魔名に制約をかけることこそ、ついでの置き土産だったのさ」


 親愛なる幻燈大師の、間際の言葉。

 少女は最後にひと粒だけ涙を流し、「はい」と頷いた。


「私の心は……、定まってます。ゼダンは……、許せない」

「……ほう」

「倒します。モモ姉様のたすけをもらって、明良あきらと一緒に、司教に打ち勝ちます。でも、命を奪うとかじゃない」


 顔を上げた美名は、大師に微笑んでみせた。

 うす白の頬に、えくぼがくっきりと浮かぶ。


「さっきは……、あのときの私は、逆上して、私の心を見失ってました。『殺生に及ぶな』って先生の戒めを忘れて、私の矜持きょうじを打ち捨ててた……」


 美名の手が、「かさがたな」のつかを強く握り締める。


「抗います。何千年生きても、居坂は司教の好きにはならない。輩は、誰もアンタの思いどおりになんてならない。それを見せつけます」

「……よし」

 

 うんと頷き、モモノ大師はくるりと美名の体を反転させた。

 「いきな」と、ひとつ、背中を押す。


「死んだ者にかかずらうのも、もうそろそろ大概だ。行っておいで。楽しんでおいで」


 あと押しされて二歩ほど進んだところ、少女はつと振り返り、深々とお辞儀した。


「モモ姉様……、ありがとうございました」

「鏡像に礼を言う者があるかね? まったく、殊勝なコだよ。美名嬢は」


 頭を上げた美名は、モモノの姿を見つめる。

 予め定められた受け答えとはいえ、目の前の彼女はまさしくの敬い人。

 そして、此度このたびこそは間違いなく、親愛深きモモノ師との今生こんじょうの別れ。

 たおやかに流れる金色の髪。

 薄氷のよう、触れれば割れてしまいそうな肌。

 柔らかく光る青緑せいりょくの瞳――。

 すべてを目に焼き付け、美名はきびすを返した。

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