太古の礼拝殿と司教 6

「モモねえ様は……、魔名をお返しになったね」


 夜明け前のかすみ空。粛々しゅくしゅくと流れる大河。「カ行の丘」からの眺望を背に、燃え上がる司教の影。

 どこか美しくもある光景を見据えながら、美名は呟いた。

 同じく正面を向きながらの明良が、一拍置き、「ああ」と応える。


「もはや、間違いないだろう……」

「……なぜだか判らないけど、さっき、確信した。殴られて、吹っ飛んでるとき、『ああ、モモ姉様はもう旅に出たんだ』って、『私たちとは別のカタチになったんだ』って……、なぜだか判った」

「……」

かたきを討とう。明良」


 少女の瞳で波打つのは、涙ではなく意志。燦然さんぜんと猛る闘志。

 目を向けずとも明良には判る。

 なぜなら、少年もまた、同じ想いで心をみなぎらせているからだ。


 ふたりが見つめる先、司教を取り巻いていた炎の渦が、ふたをされるように消えた。

 仁王立つゼダンの顔には、険しい色がある。

 ふたりを睨みつける瞳に、咎めるような気配がある。

 彼の様子からは、火勢とともに、最前まで美名を手玉にとっていた余裕ぶりが消え去っている。明らかな憤りをみせている。


餓鬼がき……。小僧の方だ。今、何をした?」

「……貴様の動力どうりき術を返してやった」

「……そうじゃない。『合わせづつ』のそのような使い方、意表はかれたが、たかが知れている。だ!」


 ゼダンは平手を振り、まりほうるように火矢を投げ撃ってきた。

 標的にされた少年は、白光りの得物を振り、火の玉を斬り落とす。

 意識せず、ほとんど反射だった明良だが、難なく魔名術の矢を撃ち落とせたことに、どうしてだろうか、彼自身が当惑している。


 「やはり」と舌打ちを鳴らし、司教の姿が消えた。

 去来きょらい術。

 ふたりの眼から遠ざかったゼダン――。


「……何? 何が起きてるの?」

「今が機だ! 美名!」


 我を取り戻した明良が叫び、跳び出す。

 司教の姿が在った場所を目掛けて。


「明良ッ?!」

「ヤツは、何故か知らんが!」

「弱まってる?!」

 

 訳も分からずだが、美名も追従し、跳び出す。

 

「先ほどかえした術に比べ、今の『ほむら』は! 反された炎を、すぐに消せてもいなかった! ヤツは今、! だから逃げた!」


 路面に着地した明良は「幾旅のたちッ!」と喊声かんせい高く、くうを斬り裂いた。

 瞬間現れた

 すかさずに腕を突き入れ、明良は何をかを掴み出した。

 少年の五指にしっかりと捉えられたのは、端を焦げさせた白布――。


「逃がすな、美名!」

裁断さいだぁんッ!」


 少女の剣閃により、明良が作ったものより数段大きい、ができる。

 すぐ目の前に現出するは、瞠目どうもくの司教――。


餓鬼がきどもがッ! 明光めいこうッ!」

「うっ?!」

「離せぇッ!」

 

 目くらましの間隙かんげき、外套衣のすそを掴む明良の左手首に、司教は手刀を見舞った。

 鈍い音がきしみ、少年の手首ぎわ、ぐにゃりと折れ曲がる。

 だが、明良は掴んだ手を離してはいない。

 まなこをしばたたかせつつも、笑みさえ浮かべている。


「やはり弱い! 美名の剣をいなす本来であれば、俺の握り拳など容易たやすく斬り落とせたはずだ!」

「グッ! 意気がるなよ!」


 もうひと度、同じ箇所に手刀を打ちつけようとゼダンが腕を振りかぶった刹那、彼の襟元えりもとがぐいと引かれる。

 美名だ。

 おぼろげながらも視野を回復させた少女が、間合いを詰め、司教の懐に飛び込んだのだ。


「アンタの光は、ニクラにも勝ててない!」

「ぐぅヌッ?!」


 ふた回りはある体格差をモノともせず、少女は相手の足を払い、片手で背負い投げた。

 声にならない呻きとともに、ゼダンの身は地面に打ち据えられる。


 この投げ技、大勢を決するほどの負傷を与えられていないのは、美名自身、充分に承知している。

 しかし、視覚を完全に回復させ、美名が見下げた顔。

 驚怖きょうふと恥辱と敵愾てきがいが混然となった司教の面相。

 それが、立場の逆転を如実に表している。相手を人事じんじ不省ふせいに至らせずとも、ゼダンの心には剣先を突きつけられている。

 今、この「カ行の丘」で、謀計ぼうけい悪道あくどうを省みよ。

 覚悟せよ――。


「ほう。やはり、美名嬢が一番乗りかね」


 ふいに、美名の視界はぼんやりとした白霧はくぶが一面となった。

 「ラ行・明光」の目くらましからは回復したはずである。

 だが、今しがたまで眼前にあった、仇敵の姿がない。傍らにいたはずの明良の姿もない。

 代わりに霧のなかに在ったのは、ひとつの人影であった――。


「ここに至るまで、苦労させちまったろう? 得意になっておお見得みえきっておいて、すまなかったね」

「……モモ姉様……?」


 霧中むちゅうたたずんでいたのは、あかべにの口元を妖しく光らせる、幻燈げんとう大師の姿であった。

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