客人のネコと悪逆の去来大師 4
「気分が悪くなりはしませんか、クミさん?」
動力車独特の「カカカカ」といった駆動音が響くなか、操手台に手を置くシアラが背後に振り向いて訊ねてくる。
ふたりがけの座席に腰掛けるのはニクリ
その胸元でネコは、身じろぎもできないほどにきつく抱かれていた。
「一応は
「……」
「私個人での移動はもっぱらハ行
「ちゃんと前見て運転してください……。こんな最悪のドライブで事故ったら、死んでも死にきれないわ」
「なるほど……。
シアラとニクリとクミ。奇しくも「チーム
乗り込む際、
希畔の町。ハ行去来の大師、シアラの直轄であった第六教区の主都。
シアラは、この希畔に戻るつもりでいるらしい。
まさか、大師職に復帰するなどといったことはないはずだから、彼が何度か口にした「仕上げ」とやらが「希畔」に関係すると考えるのが妥当であろう。
だが、今のクミは、シアラが企むこと、これからの成り行き、それらよりなにより、仲間のことが――ニクリとタイバのことが気掛かりでならなかった。
「ニクリさん。先ほど、クミさんに渡そうとしていた紙……。おそらくは『
ロ・ニクリ。ラ行波導の若き大師。
この少女は、争いの最終盤から様子がおかしくなった。
瞳や表情に生気が感じられず、立ち居振る舞いには彼女自身の意志というものが感じられない。ただ、シアラの言うことにだけ従い、動くのだ。
少女は今回の言いつけにもなんら逡巡せず、血でべっとりと染まった相双紙を取り出す。
様子が変わった直後は気が動転してしまい、困惑するばかりだったが、少しは落ち着きを取り戻した今、ニクリの変貌の原因がなんであるか、クミは察していた。
ニクリは操られているのだ。
少女を斬りつけた小刀。肩に刺された凶刃。「神代遺物・
「リィ……」
「……」
いつもなら快活に答えてくれる「のん」の声。それがない。視線さえ落としてこない。だが、その代わりとでもいうようにネコを抱く手に力が込められた。
車に乗り込む前も、乗り込んでからも、クミは何度も呼び掛け、拘束からの脱出を試みた。だが、いずれも少女は無視し、信じがたい乱暴さで阻止してくる。今もまた、ネコが逃げようとしていると判断し、拘束を強めてきたのだろう。
あの遺物はそんなにも強力なのか。
神々の道具は、ニクリの善性を奪ってしまうほどに偉大だとでも言うのか――。
圧迫と心痛で胸がギリリと締め付けられるような感覚に顔をしかめていると、クミの目の前で突如、ボッと火が灯る。
少女の手のひらのうえ、相双紙が発火していた。
「リィ、な、え……? 熱くないの、リィ?!」
「……」
「紙のようではあっても、やはり遺物ですか……」
どうやら、この発火はシアラの仕業であるらしい。
彼は魔名術を止めたのか、相双紙の火は現れたときと同様、ふいと消えてなくなった。火にかけられたはずが、手のひらのうえで元のまま――いや、一点だけ変化がある。血で赤く染まり、少女やネコの手形がいくつもついていた紙面が、火とともに消されたかのよう、まっさらな紙面に戻っている。
「
言われるや否や、ニクリは、二枚の相双紙を車外へと放り投げる。
これで、今の窮状をフクシロや美名に伝え、救援を請う手段も断たれてしまった――。
「『六指』の効果をなくす方法は、ないんですか?」
「……それは、どういう思惑で訊ねているのでしょう?」
「シアラ大師がなんの目的で私たちを連れ回すのか判りませんけど、もし……。もし、人質のつもりなら、私がなります。私ひとりで充分でしょう? だから、リィは……、リィをこんなふうに操るの、やめてあげて」
シアラは、「もう一度です」と、肩越しの微笑で答えた。
「もう一度、誰かを斬りつけるか、ニクリさんを斬りつけるか、あるいは使い手自身を斬りつけるか。そのいずれかで解放されます。ですが、最上の戦力を手にした今、私はもう、『六指』を『何処か』から出すことをしません。決して」
「最上の……戦力……?」
「人質に使うなどはもったいない。彼女はニクリ大師ですよ? これより先は私の意に従い、邪魔する者に対し、究極のラ行波導で迎え撃ってくれる……。居坂に比類なき最上の兵器です」
(兵器……? ニクリが兵器……? 何を言ってるの、このヒト……)
唖然とするネコに向け、微笑が深まる。
「そういえば、経緯を話すということでしたね」
「……」
「先ほどの闘争は、私にとっても紙一重でした。さすがに、明良さんの目前に自らの頭を差し出したときほどではないにしろ……。希畔までは長いですから、少しばかり、余韻を冷ますのにもお付き合いください」
クミの唖然の様を面白がるようにふっと笑うと、シアラは前へと向き直り、語り出すのだった。
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