客人のネコと悪逆の去来大師 4

 天蓋てんがい付きの動力どうりき車が、青天下を行く。進むのは都市のように舗装整備された道でなく、内陸に向かう野原であるから、車輪を転がすには不向きな荒れよう。乗り台は揺れどおしだった。


「気分が悪くなりはしませんか、クミさん?」


 動力車独特の「カカカカ」といった駆動音が響くなか、操手台に手を置くシアラが背後に振り向いて訊ねてくる。

 ふたりがけの座席に腰掛けるのはニクリ波導はどう大師。

 その胸元でネコは、身じろぎもできないほどにきつく抱かれていた。


「一応は野走やそうこしらえの最高級品ではありますが、乗り心地は最悪でしょう」

「……」

「私個人での移動はもっぱらハ行去来きょらいですし、景色を楽しみつつ旅愁りょしゅうに浸る……。そのように高尚な趣味もありませんから、動かすことさえ久しぶりなのです。不慣れな操車はご容赦いただければ」

「ちゃんと前見て運転してください……。こんな最悪のドライブで事故ったら、死んでも死にきれないわ」

「なるほど……。客人まろうどのクミさんは、車乗しゃじょうの経験も豊富でしたか。最悪の『どらいぶ』で事故ったりしないよう、専心します」


 シアラとニクリとクミ。奇しくも「チーム天咲あまさき」の再編となった三人は、オンジ跡地を出立してきていた。移動の足とするのは、シアラが「何処いずこか」から出現させた動力車である。

 乗り込む際、去来きょらい大師が言葉少なで語ったところによると、これから一行が目指すのは「希畔きはん」とのことらしい。

 居坂いさかの地理について、いまだ明るくないクミでもその名には覚えがあった。

 希畔の町。ハ行去来の大師、シアラの直轄であった第六教区の主都。うろ蜥蜴とかげと宿敵が潜むと目ぼしをつけ、明良あきらが滞在した場所。ふたりの因縁の地――。

 シアラは、この希畔に戻るつもりでいるらしい。

 まさか、大師職に復帰するなどといったことはないはずだから、彼が何度か口にした「仕上げ」とやらが「希畔」に関係すると考えるのが妥当であろう。

 だが、今のクミは、シアラが企むこと、これからの成り行き、それらよりなにより、仲間のことが――ニクリとタイバのことが気掛かりでならなかった。


「ニクリさん。先ほど、クミさんに渡そうとしていた紙……。おそらくは『神代じんだい遺物いぶつ相双紙そうぞうし』ですね。出してもらえますか」


 ロ・ニクリ。ラ行波導の若き大師。

 この少女は、争いの最終盤から様子がおかしくなった。

 瞳や表情に生気が感じられず、立ち居振る舞いには彼女自身の意志というものが感じられない。ただ、シアラの言うことにだけ従い、動くのだ。 

 少女は今回の言いつけにもなんら逡巡せず、血でべっとりと染まった相双紙を取り出す。


 様子が変わった直後は気が動転してしまい、困惑するばかりだったが、少しは落ち着きを取り戻した今、ニクリの変貌の原因がなんであるか、クミは察していた。

 ニクリはのだ。

 少女を斬りつけた小刀。肩に刺された凶刃。「神代遺物・六指むつおよび」によって――。

 

「リィ……」

「……」


 いつもなら快活に答えてくれる「のん」の声。それがない。視線さえ落としてこない。だが、その代わりとでもいうようにネコを抱く手に力が込められた。

 車に乗り込む前も、乗り込んでからも、クミは何度も呼び掛け、拘束からの脱出を試みた。だが、いずれも少女は無視し、信じがたい乱暴さで阻止してくる。今もまた、ネコが逃げようとしていると判断し、拘束を強めてきたのだろう。

 あの遺物はそんなにも強力なのか。

 神々の道具は、ニクリの善性を奪ってしまうほどに偉大だとでも言うのか――。


 圧迫と心痛で胸がギリリと締め付けられるような感覚に顔をしかめていると、クミの目の前で突如、ボッと火が灯る。

 少女の手のひらのうえ、相双紙が発火していた。


「リィ、な、え……? 熱くないの、リィ?!」

「……」

「紙のようではあっても、やはり遺物ですか……」


 どうやら、この発火はシアラの仕業であるらしい。

 彼は魔名術を止めたのか、相双紙の火は現れたときと同様、ふいと消えてなくなった。火にかけられたはずが、手のひらのうえで元のまま――いや、一点だけ変化がある。血で赤く染まり、少女やネコの手形がいくつもついていた紙面が、火とともに消されたかのよう、まっさらな紙面に戻っている。


ふだがこいの私では燃やしきれませんね。捨て去っておいてください」


 言われるや否や、ニクリは、二枚の相双紙を車外へと放り投げる。

 これで、今の窮状をフクシロや美名に伝え、救援を請う手段も断たれてしまった――。


「『六指』の効果をなくす方法は、ないんですか?」

「……それは、どういう思惑で訊ねているのでしょう?」

「シアラ大師がなんの目的で私たちを連れ回すのか判りませんけど、もし……。もし、人質のつもりなら、私がなります。私ひとりで充分でしょう? だから、リィは……、リィをこんなふうに操るの、やめてあげて」


 シアラは、「もう一度です」と、肩越しの微笑で答えた。


「もう一度、誰かを斬りつけるか、ニクリさんを斬りつけるか、あるいは使い手自身を斬りつけるか。そのいずれかで解放されます。ですが、を手にした今、私はもう、『六指』を『何処か』から出すことをしません。決して」

「最上の……戦力……?」

「人質に使うなどはですよ? これより先は私の意に従い、邪魔する者に対し、究極のラ行波導で迎え撃ってくれる……。居坂に比類なきです」


(兵器……? ……? 何を言ってるの、このヒト……)


 唖然とするネコに向け、微笑が深まる。


「そういえば、経緯を話すということでしたね」

「……」

「先ほどの闘争は、私にとっても紙一重でした。さすがに、明良さんの目前に自らの頭を差し出したときほどではないにしろ……。希畔までは長いですから、少しばかり、余韻を冷ますのにもお付き合いください」


 クミの唖然の様を面白がるようにふっと笑うと、シアラは前へと向き直り、語り出すのだった。

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