大師の昏倒と慮外の潜入 5

「バリ様?!」

「何をしているんだ、貴様?!」

「な、なんですか?! 痛いっ! 離してください!」


 瞬く間に取り押さえたバリ。もがき暴れるヤヨイ。

 庭園内の一角は、一気に混乱の場と化す。


明良あきら! 早く、封魔ふうま縄をよこせッ!」


 バリからは「早くしろ!」との催促が飛ぶ。


「な、何を貴様は言っているんだ!」

「事情はあとで話す! 縄をよこすんだ! 僕も縛っていい!」


 拳を作り、振り上げにかかっていた明良も、その言葉でピタリと止まる。


「早くするんだ! 抵抗はしないから、早く!」

「なんの真似なんだ、いったい?!」

「でないと、僕はこの男を斬るぞ!」


 ほとんど脅しのような言葉だったが、バリがここまで言い、ここまで鬼気迫る様子――。

 一度ならず二度も剣を交え、殴り合いもした経緯もあることから、明良はバリに対し、表面上の態度はつんけんしたものになってしまう。

 だが、その居合いあい武芸の確かな技量、三大妖さんたいようくらくあたるおとから救い出してくれた事実――明良の内心は、オ・バリという人物をおおいに認めている。

 そんなバリが、意味もなくこんな騒ぎを起こすだろうか。何か訳があるのではと逡巡しゅんじゅんするも、少年の頭にすぐに思い浮かぶものはない。


「早くしろ、明良!」

「……くっ」

 

 明良は、渋面を作りつつ、背負しょい袋から急いで縄を取り出し、バリへと放り投げた。


「すぐに貴様も縛るぞ! いいな?!」

「明良?!」

「明良さん、なんで渡すんですか?!」


 自らの足と体重を使い、ヤヨイを器用に抑え込んでいたバリは、飛び来る縄を片眼に捉えると、空けていた片手で掴み取った。


「ああ、そうしてくれ!」

「離してください! お願いですから、離して……」


 組み伏せのときと同様、すさまじい速さで両の手が緊縛され、締めつけられる。

 もはや解放される希望がないことを実感したのか、ヤヨイの嘆願の声は、だんだんか細くなっていき、ついには完全に消え入ってしまった。

 

 騒動は、いったんは落ち着きをみせた。

 ヤヨイ少年は庭園の樹木のひとつに縛りつけられ、そことは少し離れたところ、少年の手によって、バリも同様の姿にされた。

 そのすぐそばに立ち、憤然としてバリを睨みつける明良。

 少し涙目の美名は、怯えるようにバリとヤヨイ、そして、自らが介抱するグンカ、それぞれに目を移らせていた。


「美名さん、助けてください……。お願いです。お願いです……」

「ヤヨイさん……」


 震え声の訴えに、美名も立ち上がりかける。

 だがすぐに、捕縛された格好のバリから「近づくな」との一喝があった。


「近づかないほうがいい。今の騒ぎで、五分ごぶだったのが


 バリの眼前へ、刀を抜いた明良が立つ。


「さぁ、弁明しろ。この妄動もうどうの理由を」

「君は、見なかったかい? 今の騒ぎのなか、……」


 眉をひそめる少年に構わず、バリは続けていく。


「勘づいたきっかけは、ゼダンの部屋にいたときだ。彼との話がこじれ、平手を向けられ、僕も含め、みんながおそろしく殺気だった瞬間があったね。僕のとなりで、彼も敵意を発していたよ」

「あれだけ険悪になれば、誰だってそうだろう。それがどうした?」

んだよ」

「……なんだと?」

「彼の殺意はね、僕とグンカくん、そして、君にも向けられていたのさ。君の背中は、無防備にに向けられていたことになるが、気が付けていたかい?」

「……」

「それも判らないようでは、君に刀を持つ資格はない」


 唖然となった明良は、ヤヨイに顔を向ける。

 縛られた少年は、打ちひしがれたように頭を垂れていた。その悲愴な光景と、今、話されたこととが一向にすり合わず、明良は、今度は美名へと向き直る。


「美名。ヤヨイは敵なのか?」

「……敵?」

「彼のことを、このなかで一番知っているのはお前だ。彼の身元は確かなのか? なにか、よからぬことを企むような人物なのか? ゼダンやシアラ、レイドログに通じている可能性はないのか?」


 美名は、身震いするように小さく首を振った。


「そんなわけない。ヤヨイさんは、リン様のお弟子様で、リン様をとても大事に想ってて、トキおばあちゃんにも優しくて、私たちにも優しくしてくれて……」

「……」

「敵だなんて、そんなことない。ゼッタイにありえないわ」

「……すまん。ひどいことを訊いた」


 バリに顔を戻した明良の表情には、今にも目の前の男を切らんばかりの怒りがみなぎっていた。


「美名が断言するなら、彼は敵ではない。ほかに正当な理由がないのであれば、今この場で、俺こそ貴様を斬るぞ」

「……使使は、存在していたんだ」


 バリがつぶやいた言葉に、明良はハッとする。


「僕も、美名くんの評は妥当なのだと思う。は、優しい心根をした、なんだろう。シアラのハ行転呼てんこやゼダンのような転生てんせい……、特異な能力者でもない」


 バリの片目が、チラとヤヨイに向けられた。


「さっきの騒ぎのなか、彼が響かせようとした魔名の光は、だったんだ。緑といえば、タ行使役しえきのもの。彼の元来の魔名は、ヤ行のはず……。他奮たふんの光は、どんなに熟達した者でも青みがかる程度。

「それでは、彼は……」

使。おそろしく熟達した使役者に操られ、タ行の魔名を放とうとしていたんだ。グンカくんの不調も、まず間違いなく、が仕込んだものだろう」

「それって……、レイドログ様……?」


 明良も美名も、にわかには信じがたい。

 少女らが目を向けた先、ヤヨイ少年はしおれきっており、顔をひきつらせている。今にも泣き出してしまいそうなほどである。バリの言ったことが誤認であれば、あまりに憐れな状況だった。

 だが、この推測が語られ、一同の言葉が途切れるのを待っていたかのよう――場に忽然こつぜんと現れた人影があった。


「『むしき』だな」


 美名が飛び退き、明良が振り返る。

 いつの間にやら、グンカのそばに人影がいて、彼をのぞきみるようにしていた。

 その人物は――。


「ゼダン?!」

「な……、貴様!」

「……もうまもなく正午になる。今日中に立ち去れと命じたはずだが、何をもたついている。貴様ら、そんなに死にたいか?」


 「動力どうりき大師はすでに死にかけているようだがな」とほくそ笑んだゼダンは、黒衣をはためかせ、明良とバリに向き直った。

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