大師の昏倒と慮外の潜入 6

「なぜ、その餓鬼がきを斬らなかった、バリ?」


 ゼダンが、居丈高いたけだかになって訊ねる。


「よもや、自慢の剣が錆びついているわけでもあるまい」

「……斬れば、ふたりに……、明良あきらくんと美名くんにふたりがかりで殴られ、とんでもない非難をもらうと……。そう思ったからさ」

「ふん。腑抜ふぬけめ」


 ヤヨイに横目を流してのち、ゼダンは、少年少女に正面を向けてきた。


「ゼダン……。何しに現れた……?」


 いぶかしみ、刀を握る手に力を込めた明良を、ゼダンは鼻で笑う。


附名ふめい大師の推測を裏付けてやろうと思ってな。そこの餓鬼は使役しえき大師の魔名により、操狗そうくの使役術がかけられている」

「『タ行・操狗』……。大型動物やアヤカムを意のままにできるという術か?」

「そうだ。納得したのであれば、早く始末し、大都だいとから出ていけ」

「始末……? こんな状態で、どうやってレイドログ様を倒すだなんて……」


 困惑する美名を小馬鹿にするような目を向けると、大都の王は「餓鬼だ」と言い放った。


「私は、その餓鬼を始末しろと言っているのだ」

「なんですって……?」

「操狗の術にかけられた者は、まさしく糸繰いとくり人形。繰り手が遠く離れていれば、打つ手はない。それでもなお、すべてが筒抜け、不意に『むしき』を仕掛けられもするこの現状を解消したいというなら、貴様らに出来ることはただひとつ。。間抜けな餓鬼を殺すことだ。それだけでいい。死体の片付けくらいはしといてやろう」

「何を……言ってるの、アンタは? ヤヨイさんを……、私たちがここで……、こんなところで……」


 唖然とする美名、言葉も出てこない明良、ただならぬ戦意を露わにするバリ、憎々し気に睨みつけてくるヤヨイ――。

 それぞれに目線を流していったあと、ゼダンはふたたび、少女を見下ろす。

 

「いずれにせよ、あまりにもたついていると魔名を返上する者がひとりでなく、この場の全員になる。私自身の手によって、な。そうなりたくなければ、決断は早くすることだ」


 言い終えると、ゼダンは、現れたときと同様、瞬く間に姿を消したのだった。


「言うだけ言って、あの男は……」

「明良……。あんなヤツ、ほっとこう。それより大事なのは、こっち。ヤヨイさんやグンカ様よ。なんとかしないと……」


 かといって、そうすぐに打開策が思いつくはずもなく、美名の心ははやるばかり。

 「殺せばいい」――。

 ゼダンの言葉が、妙に生々しく、少女の耳に残る。


「くふ……、ふ、ふふ……。あーはっはぁ!」


 ふいに、ヤヨイの口からタガを外したような笑いが上がる。

 まるで、当惑する少年少女を嘲笑うかのよう――いやな笑い方であった。


「あの野郎……。こっちが少しばかり脅しをかけたものだから、ムキになって肩入れしてきたかぁ?」

「ヤヨイさん……」

「あぁ、美名ちゃん。そんなに哀しい顔しないでくれよ。これからいっしょに旅をしていく仲間にさぁ」


 美名も明良も、あらためて実感する。

 木に結わえつけられ、悲愴に暮れていたヤヨイは

 口調やしゃべり方、いやらしく歪む表情――今、ここにいるのは、ヤヨイとは別のなのだ。


「レイドログ様……なんですか……?」

「だとしたらどうする? ゼダンの提言どおり、俺ごと、この餓鬼を殺すかな?」

「……」

「だが、俺はなにも痛くない。どこも怪我しない。ただ、この餓鬼が死ぬだけ。そこに伸びてるギアガンの弟子が死にゆくだけ。これも、ヤツが言っていったとおりだな、はっはぁ!」

「外道め……」


 さげすむ明良を無視するように、は、ただ美名にだけ目を注ぐ。


「さぁ、美名ちゃん。解きなよ」

「解くって……、何を……?」

「決まっているだろう。この忌々しい縛りつけを解けと言っているんだ。これは『頼み』なんかじゃないよ? 命令だ。さっさとこんな古臭い国なんか出て、客人まろうどのクミ様に会いにいこう。まぁ、残りのむさい男どもは殺して、ふたりになってからだけどね」


 ヤヨイの口の端が吊り上がる。

 その変貌――少女の見知ったヤヨイの顔が、見知らぬ愉悦にじれる様――。

 

「美名ちゃんとふたりきり……。そうなれば、このいぬも本望だろうよ」

「レイドログ様……。お願いです。もう、やめてください。ヤヨイさんもグンカ様も、助けてください……。お願いします」


 美名は、懇願するように、ゆっくりと深く頭を下げた。


「あぁ、そうじゃない。そうじゃないんだ。そんな情けない姿を見たいんじゃない。それだったら、剣を構え、この餓鬼を殺しに来てくれるほうがよほど気持ちがいい見世物だ」

「お願いします、レイドログ様……」

「く、ふふ。いや……。これはこれで……」


 ただ頭を下げる美名。

 そんな彼女を、喜色満面で眺め下ろす

 あまりに理不尽なやりとりに怒り、けれど刀を抜くこともできず、わなわなと震えるばかりだった明良は、少女の真下の地面に滴がぽたりと落ちたのを見て、思わず、「バリ」と叫んでいた。


「バリッ! 附名の筆頭ッ! 何か、手立てはないのか?!」


 ギリギリと歯軋り鳴らし、明良は、オ・バリに詰め寄っていく。


「あの外道をヤヨイから追い出し、助け出す方策が、何かあるだろう、バリ?!」


 美名から少年へ、憎々しい目つきを向けたは、「黙れ」と吐き捨てるように言った。


「今は、お前みたいなクソ小僧の出る幕じゃない」

「貴様こそ、黙っておけ!」


 少年は、幾旅金いくたびのかねの切先をに差し向ける。


「いいか、レイドログ! たとえ、この場の結果がどうなろうと……、美名が悲しむ結果になろうと! 俺は、貴様を必ず殺す……。殺しに行くぞ!」

「はぁん……。偽善者が。戦争反対だの、真名だの言っておいて、殺害宣告とは、化けの皮が剥がれたな?」

「黙れ!」


 明良は、に向かい、突進していく。


「明良、ダメ!」

「ほら、殺せ! さぁ、そのなまくらを突き立てろ!」


 刀を水平に浮かせ、駆け抜ける。

 だが、その刀は途中で放られ――代わりに明良は、懐から何をかを取り出した。美名がよく見れば、それは、刀身をぬぐうのに使う懐紙のようである。

 少年の手中で、その懐紙がクシャクシャにまるめられる。

 そして――。


「ふぐっ?!」


 笑い上げていたヤヨイの大口に、そのまるめ紙が詰め込まれた。


「――ッ?! ――!」

「バリ、これでいいんだな?!」


 同じようにまるめ紙を作り、二、三個を追加で入れ込んでから、明良は、後ろへと振り返った。


「ああ。ひとまずはそれでいい。だが、飲み込まれたら、ヤヨイくんの身体によくない。すぐに布切れかなにかに変え、さるぐつわをしてくれ」


 実のところ、少年は、さきほどの挑発で激昂を見せた際、背後から――バリから小声での指示を受け取っていたのだ。「口を塞げ」と。


「今の状態で唯一使えるのは、口だ。『自害する』などとヤヨイくんの身体を盾にされたら面倒だし、なにより、聞くにえない言葉にはうんざりだからね。さ、美名くん。僕の縛りを解いてくれるかい」


 ジタバタと暴れる

 縄を取り出し、言われたとおり、さるぐつわを施す明良。

 事の成り行きを見守っていた美名は、慌てて駆け寄ると、附名のバリの縄を解きにかかった。


「バリ様……。ヤヨイさんやグンカ様を助ける手立てがあるのですか?」

「……ひとつ、思いついたことがあるんだ。今からそれを試す。さっさとしよう。ゼダンがまた、邪魔しにくるとも限らない」


 不安げな顔色の少女に、バリは、ふっと笑いかけてやった。

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