説話会とその機会を破るもの 3

「『嘘偽りのない居坂は、よき世である』……。説諭せつゆの題目としては有名どころですので、この解釈は御存知の方も多いはずです」


 眼鏡がんきょうの大師は壇の上から、探るように目線を配る。

 明良あきらは彼と一瞬だけ目が合ったような気がするが、そのまま眼鏡の奥の瞳は流れていき、すぐに留まった。


「そこの御麗人ごれいじん

「え……、私?」


 登壇者に目を向けられたのは、明良の隣席りんせき、「智集手ちしゅうしゅ」の受付員、ミンミであった。


「突然で失礼。よろしければこの『神言かみごと』の解釈を答えていただけますか」


 「えっと……」と言い淀むミンミを、去来の大師は微笑んで見守る。放っておけば、その笑みのままいくらでも待っていそうだ、と明良は感じた。


「……『居坂のともがらは素直で正直なヒトばかりだから、私たちの旅路はよきものとなる』……でしょうか」


 ミンミの言葉に眼鏡の大師は笑みを深めて頷く。

 彼女の声音が、自分に対しているときとは違って、どこか取り繕っている様子なのが可笑しくて、明良は少しだけ口元を緩ませた。


「ありがとうございます。本当、突然で失礼しました」

 

 大師から贈られる深々とした礼に、ミンミはペコリと頭だけの礼をした。

 そのやりとりもまた、明良の緩みを誘う。


「解釈としては仰られたとおりで申し分ありません。さて、ここからは、まったくの個人としての私の解釈です。ほかおんがたの御説諭を否定したり、おとしめたりする意図はないことを予め断っておきます」


 去来の大師は聴衆に背を向けると、黒板の「神言かみごと」に「自戒」と書き加えた。

 振り向き直った大師。

 明良の位置では角度が悪くなったのか、眼鏡に陽光が照って、その顔色を読み取ることがし辛くなった。


僭越せんえつながら、『幻燈げんとう大神たいしん』の言葉に、私はこう続けたいと思います。『嘘偽りのない居坂は、よき世である』。『……であるから、貴方も誠実であるよう、努めなさい』」


 去来の大師の声音には、いくらか力がこもり始めたようだった。


「『幻燈大神』は大らかに仰られておりますが、いざ私自身をかえりみてみるとどうでしょう。嘘をついたことはないか? 虚栄を張ったことはないか? 自分より優れた者をねたんだことはないか?」


 シアラ大師の「あります」といった告白は、天井の高い教会堂に澄んだ色で木霊こだました。


「ないわけがありません。まったく恥じ入るばかりですが、私自身に嘘偽りがないと断言することこそ、嘘であると言わざるを得ません」


 大師の眼鏡が、広く堂内を見渡す。


「皆様の中で、『ない』と言い切れるヒトもいましょう。その方の旅路はすでに素晴らしいものであり、これからも素晴らしいものになっていくでしょう。ですが、この『神言かみごと』はそうでないヒトに向けられているのだ、と私は解釈します。マ行の大神が諭すのはすなわち、『自戒じかい』せよ」


 去来の大師は黒板の文言にチラリと目を遣る。


「私の目の前の者も、隣の者も、私と同じで度々に道を逸れてしまう者かもしれない。ウソを吐いてしまうこともあるかもしれない。それでもきっと、可能な限り実直であろうとする、旅路の頼もしい供連れでありましょう。この『神言』は、そんなともがらならい、自らの言動を省み、実直であることに努めよと励ます、『幻燈大神』からの御言葉なのだと、私はそうかいしております」


 穏やかな調子の、けれどどこか熱情がこもった大師の言葉は、そこで途切れた。

 「だから、皆様も……」云々と、説教のような締めをする気はないのだ、と明良は悟った。

 あくまでも、「大師自身の解釈の仕方」でこの話は終わりなのだ。


(だがその分、聴く者は自問をせずにはいられない……か)


 明良もまた、「聴く者」のひとりである。

 彼は省みた。

 自らのを思い返していた。


(俺の旅路は、「山仁やまひと」の荒涼とした景色と、洞蜥蜴の「冷息吹れいいぶき」の記憶から始まる。少なくともそれ以降、俺は「嘘偽り」などとは無関係だった。……いや、そんな余裕もなかった、と言い換えたほうがいいだろうか……)


 ヤマヒトの村に世話になりだしてから、明良は可能な限り村人の稼業を手伝ってきた。農閑期などの合間を見て、「智集手」ほどにはないにしろ、書物閲覧を可能としている町に出向いたり、自身の持ち物――「神代遺物」と「洞蜥蜴の鱗」――から出自を確かめようとも試みてきた。

 魔名が奪われてきたことを「直感」してからは村を離れ、「使役者」と「劫奪者」と「洞蜥蜴」の捜索に邁進まいしんしてきた。

 いずれも、脇見をするも、ひとところに長く留まって他の者と親交を深めていく時間もないほど、あっという間だった。


(『自戒』か……)


 この手の説諭の常として聴衆は、自身の立場や現況に置き換えて思考を拡げていく。

 明良の場合は、「復讐」についてだった。


(過ごそうと思えば、俺はヤマヒトの村でそのまま暮らせた。今からでも、この希畔の町に身を落ち着けることもできよう。この旅路が「未名みな」として終わるものだとしても構わない。今の俺には……、名がある)


 それでも、と明良は思う。


(……野放しにできるか? 俺と同じような仕打ちを誰かが受ける可能性を。クシャにあのような災禍をもたらしておいて、平然としていられる者を……)


 明良は自覚した。

 自身の「復讐」が、復讐以上の何かに昇華しつつあることを。


 明良が見つめていた黒板の文字は、去来の大師がおもむろに、綺麗に消していった。

 それからシアラ大師は聴衆に向き直り、軽快な調子に戻して「質問の時間」なるものを唐突に宣言した。


「私の話の種は以上で尽きました。せっかくですので、皆様からの御質問があればそれにお応えしようと思います。魔名教のことから、去来魔名術のコツ、魔名教学の抜け道……、何でもよいです。私や希畔きはんの議会へのご意見でも構いません。なにか御座いましたら、挙手をお願いいたします」


(……結局、「対話」とやらもやるんじゃないか)


 去来の大師の能弁ぶりと、隣でやおら勢いづいて片腕を掲げるミンミとに呆れるようにため息を吐く明良。

 最初の質問者を定めようと、目配せする大師。

 だが、「質問の時間」には、前触れもなく横やりが刺してきた。

 注目されている教会堂の前方に、白い外套衣の者が立ち入って来たのだ。

 外套衣はそのまま、壇上の去来大師に、慌てた様子で近づいていく。

 去来大師は少し身をかがめ、その男の耳打ちを受けると、顔つきを怪訝に変化させていく。

 考える必要もなく、なにやら異変があるようだと、明良だけでなく教会堂内の全員が悟った。

 大師も男に耳打ちを返すと、白外套衣の男はやって来た際と同じく、急いで壇を下りて姿を消していく。


「……皆様、大変申し訳ありませんが、本日の集会はこれで終わりと致します」


 大師の威厳めいた宣言に、堂内がざわめく。


「そして、突然になりますが、今から


 教会堂内の困惑のざわめきは、一際ひときわ大きくなった。

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